第12話 核心を突く
その日、僕の勤務先であるスーパーマーケットに奇妙な客が訪れていた。麦わら帽子を目深にかぶり、小顔のわりにサイズの大きいサングラスをかけた女性だ。
それだけなら日焼け対策と思わなくもないが、彼女は入店してからずっと、レジが並ぶ通路を行ったり来たりしている。買い物かごにはアリバイのつもりなのかバナナが1袋だけ入っている。
「長谷川」
そろそろ声をかけるべきかと考えていたところ、レジ主任の榊原に呼ばれた。榊原は麦わらサングラスの女性に向けて顎をしゃくってみせる。
「あれ、なんとかして」
「不審者対応をすべて副店長に丸投げする悪しき慣習から、そろそろ足を洗うときが来ていると思うんだけど」
「だってあれ、この前の美人教師だろ。長谷川の担当だ」
「そう? この前とは格好が違うし、別人かもしれない」
僕はしらばっくれるが、榊原は逃がしてくれない。
「同一人物だ。エロい体型とか口元のほくろとか、あと水渡のレジを通過するときだけゆっくり歩く挙動不審なところとか」
「ああ……」
さすがレジ主任、お客様をよく見ている。
そこまで気づかれていては仕方ない。
「あのぅ、お客様」
僕は副店長の職務を果たすべく、バレバレの変装で店内を闊歩している同居人に声をかける。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「違和感があるのよね」
昨日の夜、七海が眠ったあとに、古井河はそう切り出した。
「違和感?」
「わたしの知っている水渡さんと、長谷川君の知ってる水渡さんって、ズレがある気がしない?」
「そりゃあ違ってるよ。バイト先と学校とじゃ環境が違うし、僕と君とじゃ性別が違う。当然、相手が違えば対応が違う」
「そう、それよ。対応の違い」
古井河はビンゴとばかりに僕を指さす。酔っているせいか全体的にアクションが大きい。
「学校での水渡さんはね、あまり笑顔を見せないの。誰に対しても一線を引いた対応をしているし、あと、教師に対して敬語を使わない」
「彼女のあれは営業スマイルだろう。敬語にしたって、職場には年上しかいないし、お客様にタメ口なんてありえないから、自然と敬語を使うようになっただけだよ」
「でも、長谷川君は高校のころ、彼女ほど上手に外面の使い分けができていた?」
そう問われては返す言葉がない。
高校の頃の自分がいまアルバイトの面接にやってきたら、と考えてみる。正直、採用するかどうか迷うレベルだ。当時の長谷川誠治君は、作業のスピードや意欲はともかく、人づきあいに難のある子だった。
古井河は腕を組んであごに手をやる。思考するポーズ。
「というわけで、そろそろ本格的に、探りを入れてみようと思うの」
「……あまり深入りしない方がいいんじゃないかな。調べられてると気づけばギスギスするだろうし」
「大丈夫、あの子にはちゃんと、過干渉に気をつけなさいって注意しているわ。ほどよい距離感が共同生活のコツだって」
「人に注意したことを自分はやるのか……」
「わたしたちは一時的とはいえ、彼女を保護している立場なの。気づかれないように深入りして、彼女の事情を知っておかなければならないのよ。それが責任者ってものでしょ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
そんなやり取りがあっての、本日の古井河の奇行であった。
昼休みになると店を抜けて、近所にある喫茶店で合流する。
店内に流れるおだやかなピアノ曲と、深みのある味わいのブレンドコーヒーと、ちょこまか働くウエイトレスが特長の小さな店だ。
「心構えはともかく、あの手段はちょっと責任者としてどうかと思うけどね」
先に来ていた古井河のテーブルに近づき、見下ろしながら肩をすくめる。
彼女は頬を膨らませて上目づかい。
子供じみた仕草に苦笑しつつ、向かいの席に座る。
「で、水渡さんの仕事ぶりを実際に見てみてどうだった」
「とてもいい笑顔をしていたわ。あれを学校でもやれていたら、もっとモテたでしょうに」
「営業スマイルで勘違いするような輩は危険じゃないかな」
「ああ……、まあ、確かに、そうね……」
古井河は遠い目をした。過去の自分か、それとも現在の自分か、あるいはその両方か。彼女の笑顔で勘違いをした男性に、言い寄られた経験があるのかもしれない。
「学生時代には気づかないことだけど、学校が人生のすべてというわけでもないし、外で上手にやれているのなら、あまり気にする必要はないのかもしれないわね」
頬杖をついて窓の外を眺めながら、古井河はそんなことを言った。
そのセリフに少し、違和感を覚える。
教え子の水渡七海に対してではなく、女生徒だったかつての古井河愛佳に向けて語っているかのように感じたのだ。
僕の知る限り、昔の古井河は友達も多く成績も優秀で、青春を満喫している生徒という感じだった。今でいうリア充というやつだ。……いや、もう当時からその言葉はあっただろうか。記憶があいまいだ。
ともかく、そんな彼女にしてはリグレットを感じさせるセリフだった。非リアには非リアの、リア充にはリア充なりの悩みがある、ということだろうか。
考えごとをしながら古井河の横顔を凝視していたせいか、彼女が顔の向きを戻すと同時に、はたりと目が合った。
「……長谷川君?」
「水渡さんは」
と僕は問いかける。本当は別の主語で、別のことを聞きたかったのだが、それができれば苦労はしない。
「どうしてこちらに残りたがってるんだろうね。少なくともバイト先にはその理由はないと思ってるんだけど」
「学校にならあるかもしれない?」
「そういうこと」
「すぐに思いつくのは、友達と別れる前の、ひと夏の思い出作りってところかしら」
「ありがちなやつだ」
「気になる彼に思い切って告白とか」
「あぁ甘酸っぱいね」
七海の青春のリグレットについて、古井河は好き勝手に可能性を挙げていく。口ぶりは楽しそうだが、本気でそう思っているわけではなさそうだ。かといって、何かをはぐらかしている様子もない。
古井河も知らないのだろう。少なくとも彼女の目の届く範囲に、七海の理由は転がっていない。
言葉が尽きてテーブルに沈黙が下りる。ピアノの旋律が二人のあいだを通り過ぎていく。
「元担任として――なんて息巻いてみても、いざ問題が起こったら、生徒のことを何も知らない自分にがく然とするわ」
弱々しい苦笑いを見ると、反射的に励ましのセリフが出てくる。
「何も知らなくても、何かをしようと行動しているじゃないか。それは大したことだと思うよ」
「……じゃあ、がんばってるご褒美に、1個だけ質問していい?」
「質問? 僕に?」
「そ。絶対に答えないといけない質問」
いつの間にか古井河の口元はニヤリとつり上がっていた。罠にかかった獲物を見てほくそ笑む、性悪な狩人のように。ひょっとして僕は、誘い込まれたのだろうか。
「長谷川君はどうして、わたしと水渡さんを助けてくれたの?」
「そりゃ困っている人を放っておけない――」
「建前じゃない、本心からの理由が聞きたいの」
僕の言葉を遮って、古井河はさらに問いかけてくる。
それは核心的な質問だった。
七海であれば、そこを突いてくるのは仕方がないと思う。だが、古井河は分別ある大人だ。大人特有の気づかいで避けてくれるものと、僕は勝手に期待していた。
疑問を先送りにしたまま、だましだまし現状維持できるのが、良くも悪くも大人の対応というやつだからだ。
しかし、今の彼女はそんなお行儀のいい大人でいるつもりはないようだった。
ずいとテーブルに身を乗り出して、距離を詰めてくる。
「さ、答えて」
緊張感と期待感が入り混じって揺れる瞳。
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