第14話 七海の友人

 年末をハワイで過ごす芸能人みたいな変装をした古井河先生に、副店長が声をかけていた。二言三言、注意されて、トボトボと店を出ていく先生の様子を眺めていると、同じように見送っていた榊原主任と目が合った。


『なんかウチの元担任がすみません』という気持ちを込めて軽く頭を下げると、『あんたの気にすることじゃないさ』って感じで、軽く首を振って応えてくれた。


 先生は少しはしゃいでいると思う。


 前に聞いたときは誤魔化されたけど、やっぱり、あたしの世話をするふりをして、副店長との距離を詰めようとしている気がする。


 アラサーだからって焦ってるんじゃないだろうか。先生なら副店長みたいな冴えない人じゃなくて、いくらでもいい相手を選べると思うんだけど。


「あれ、水渡さん」


 学校がらみのことを考えていると、あたしのレジに高校のクラスメイトがやってきた。ジャージ姿にスポーツバッグを担いでいる。カゴの中身はスポーツドリンクとパンがいくつか。


「ここでバイトしてたんだ」

「これから部活?」

「うん、行くだけでへとへと」

「がんばってね」

「ん、ありがと」


 短いやり取りを交わしている間にレジ打ちを終える。支払いを終えた彼女は、「それじゃ、またね」と言って店を出ていった。


 あっちは、これが最後のやり取りになるとは思っていないだろう。


 あたしが転校することを、あの子は知らない。


 他の生徒には明かさないよう学校側に頼んであった。元から別れを惜しむような親しい友人はいないし、学期末になって急に、あたしのために何かをしなければ、なんて気を遣わせるのも申し訳なかったからだ。


 その場のノリで送別会が開かれて、たいして親しくもないクラスメイトと上辺だけの別れを惜しむ。そんな心にもないイベントを、作り笑いで過ごすのは嫌だった。


 だから黙っていなくなるのだ。

 JKは死なず、ただ消え去るのみ――なんて冗談が出てくるあたり、浮かれているのは先生だけじゃないのかもしれない。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 バイトの時間が終わって、裏へ引っ込もうと通路を歩いていたら、正面からお客さんがやってきた。あたしから見てもかなり短めのスカートと、きつめに脱色した髪の毛、他校の制服。


七海なみっち、元気してる?」


 そんな馴れ馴れしい呼び方に、悪寒を感じて立ち止まる。


「……青葉」


 三ツ森青葉。中学時代の友人だった。


 高校が別々になってからは疎遠になっていて、再会したのは、夏休みが始まってすぐのことだ。本当に偶然に、ショッピングモールでばったりと出会った。


 始めはぎこちなかったけど、青葉の方からいろいろ話しかけてくれて、昔みたいな気安いノリが戻ってきて――だからうっかり、しゃべってしまった。

 転校することや、向こうへ行きたくないこと、せめて夏休み中だけでもこちらに残りたいと思っていること。そんな弱みをこぼしてしまったのだ。


 じゃあウチへ来たら?

 青葉はそう言ってくれて、あたしもそれに甘えるつもりになっていた。

 途中までは。


 数日ほど青葉の部屋に泊まらせてもらった、その後。

 ずっと同じ場所じゃ退屈だろうし、と場所を変える話になった。


 友達のところだから大丈夫、と案内されたのは、青葉の男友達の部屋――アパートの一室の、たまり場のようなところだった。


 あたしは怖くなって、半ば逃げるようにして、彼女の誘いを振りほどいた。

 そしてダメ元で副店長のアパートに押しかけたのだ。


 そんな経緯があるから、この再会をとても気まずく思っているのに、青葉はあたしとは逆に、楽しそうな、ちょっとへらへらした笑顔のまま話しかけてくる。


「泊まるとこがないって言ってたけど、大丈夫? どこ泊まってんの? ラブホ? ネカフェ? もしかして知らないオッサンの部屋とか? ……なーんて優等生の七海っちがそんなわけないか」


「え――?」


 おどろいて、思わず意味のないつぶやきがこぼれる。

 青葉の話には違和感があった。

 ううん、正確には、ずっと感じていた違和感の答えを、彼女の言葉の中に見つけて、その唐突さにびっくりしたのだ。


 泊まる場所に困っているという話は、青葉にしかしていない。

 なのにどうしてそれが古井河先生に――学校側に伝わっていたのか。


「――青葉が、うちの学校に密告チクったの?」


「あー、その荒っぽい言葉づかいとかいい感じ、中学の頃みたいで好きだよ」


「答えて」


「だぁって、昔の友達が危ない目に遭ってたらどうしようって、心配で心配で……」


 青葉は目元をぬぐうわざとらしい仕草のあと、パッと顔を上げる。


「でも無事みたいでよかった」


「うん、あたしは大丈夫」


 ――だからもう関わらないで、と心の中で決別しながら、青葉の横を通り抜けようとする。


 が、彼女のある動作・・・・が目について、足を止めた。


「ちょっと、青葉」


「ん? なーに?」


「そういうの、もう、やめよう?」


「そういうのって?」


「だから……」


「別にいいじゃん、こんなにたくさん並んでるんだし、一個くらい減ったって」


「そういう問題じゃ――」


 こちらのセリフを押し止めるように、青葉が一歩踏み込んでくる。


「昔は七海っちもやってたくせに、ホント、学校が変わるとキャラも変わるの?」


 青葉の面白がるような瞳から、あたしは目を逸らしてしまう。

 悪いことをしているのは彼女の方で、あたしはそれを注意しているというのに、態度はまるで正反対だった。


 罪悪感という重しが、あたしの背筋を曲げている。

 それでも、せめて青葉より先に逃げ出さないように、この場で踏みとどまった。

 ほんの数秒のにらみ合いが、とても長く感じる。


 昼のピークタイムが終わった店内は、外の猛暑とも相まってお客さんはまばらで、あたしたちのいる通路には誰も入ってこない。店内放送のオルゴールアレンジされた流行歌がゆるやかに流れている――その音楽にかぶせるように、


「いらっしゃいませー」


 と大きなあいさつの声が聞こえてきた。

 副店長がお昼の休憩から帰ってきたのだ。午後一番はいつも店内をあいさつしながら巡回している。


 部屋にいるときは未調律のギターみたいに張りのない声のくせに、お店であいさつをする声はすごく元気がいい。

 これまであたしは、その落差を誇張されたコントのように感じていたけど、今は不覚にも、頼もしいと思ってしまう。


 邪魔が入った、とばかりに青葉は肩をすくめて、カバンに入れようとしていたスナック菓子を棚へ戻した。


「また様子見に来るね、トモダチが心配だし」


 軽薄に笑いながら遠ざかっていく青葉と入れ替わりで、副店長の呑気な声。


「いらっしゃいませー……、おや水渡さん、もう上がりの時間じゃなかったかな」


 なんにも知らない平和な顔を見て、身体から力が抜けた。それであたしは自分が緊張していたことに気づく。


「ん? 水渡さん?」


 副店長がまばたきをする。


 あたしは、おかしな態度をしていただろうか。


 目の前の相手がぎこちないときって、自分の側に理由があることも多い。あたしが違和感を感じさせる態度をしているから、向こうもおや? と首をかしげてしまうのだ。


 すぐに笑顔を作って上目遣いをする。

 斜め上の視線の先の、副店長の顔に狙いを定めて。


「副店長の顔を見たくて残ってたんです」


「小悪魔っぷりに磨きがかかっている……」


「センセと何を話してたのか、あとで教えてくださいね」


 お先です、と片手を振って遠ざかる。

 小悪魔らしく、自分の事情は見せないように。

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