第15話 同窓会 前編


「水渡さん、あさっての夕食はいらないから」


 食事を終えてのんびりした空気が流れているリビングで、古井河が不意にそんなことを言った。

 七海は洗い物をしていた手を止めて、弾んだ声で問いかける。


「なになにセンセ、どこか出かけるの? オトコ? 合コン? 婚活パーティー?」


「同窓会よ」


「なぁんだ」


 七海は露骨にテンションを下げて洗い物を再開する。


「県外に出ている人たちも多いから、帰省シーズンのこの時期にしかできないのよ。あとは年末年始くらいね」


「帰りなら、電話くれたら迎えに行けるよ」


 同居人のよしみでそう申し出たのだが、古井河の反応は鈍い。礼を言うでもなく、喜びの笑顔を見せるでもなく、ただ無言でこちらを見つめてくる。


「……ああ、もしかして朝帰りのご予定が?」


「生徒の前で馬鹿なこと言わないで。わたしの同窓会ってことは、長谷川君も参加者でしょ」


「いや、僕はちょうど仕事があるし、不参加ってことで……」


「本当は?」


 古井河はなぜか僕ではなく七海へと質問を飛ばす。


「同窓会へ顔を出すのが面倒くさいんじゃ?」


「そうなの?」


「だってあさってはライバル店が特売やってる日だから、ウチの店いつもよりヒマだし。同窓会って夜でしょ? 定時で上がればフツーに行けると思う」


「なるほどね」


 古井河は満足げにうなずいてスマートフォンを操作する。


「ひさしぶりー、うん、楽しみだね、……で、ちょっと幹事様にお願いがあるんだけど、一人追加できる? あ、ホント? よかった。え、ああ、長谷川君よ。誰それ……、って失礼ね、ほら、えーっと、特徴がないのが特徴っていうか」


 国語教師のくせに失礼という単語の意味を取り違えているらしい古井河愛佳は、「じゃあお願いね」と通話を終えてこちらを向いた。


「――というわけだから。あさっては長谷川君も出席ね」


「そんな強引な」


「青春を挽回するんでしょ」


「やめて」


「青春ばんざい?」


 七海が首をかしげている。よく聞こえていなかったようで何よりだ。


「あさって、長谷川君も、出席ね?」


 古井河は同じ言葉を繰り返す。どうやら拒否権はなさそうだった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 というわけで二日後、準ブラック管理職にしては珍しく定時で仕事を終えた僕は、やむなく同窓会に参加していた。


 ……なんと、卒業してから12年である。


 長い年月は人を変える。


 高校時代はキラキラと輝くような明るさを放っていた女子が、今はくたびれた目元を厚化粧でごまかしている。


 年齢に不相応なグラマラスな身体つきをしていた女子が、出産のたびに肉がついちゃってアハハ、と声を出して笑っている。


 かと思えば、昔は教室の隅で目立たなかった女子が一転、艶っぽい美しさで男の視線を集めていたりする。


 女性の話ばかりになってしまったが、ともかく、12年という歳月は人を変えるには十分な時間といえよう。


「古井河は変わらないな」


 隣の席の旧友が、枝豆をむさぼりながら言った。


 視線の先には、満面の笑顔で瓶ビールを酌しながら、あちこちのグループに声をかけて回っている古井河の姿がある。


「昇進おめでとう」「ちょっと太ったんじゃない?」「二人目、産まれたって?」などなど、クラスメイトの近況をすべて把握しているような話の振り方だ。その積極性も含めて、自分にはとても真似できそうにない。


「年相応にきれいになったが、性格とか振る舞いとか、そういうのは昔のままだ」


「そうだね」


 旧友の言うとおり、古井河愛佳は昔からああだった。クラスの中心にありながら、決して偉ぶったりしない。昔なじみと再会している間だけ、あの頃と同じように振る舞っているのかもしれないが、その自覚もまた変化というものだろう。


 そんなことを考えつつ、旧友と宴会場の隅っこでちびちびとっていると、


「愛佳のアパート、なんか大変なことになってなかった?」


 女性陣の中からそんな声が上がった。


 古井河のアパートの水漏れ事故騒動は、複数の部屋にまたがる結構な被害になっていて、施工業者や引越し業者がいまだに出入りを続けている。おそらくその現場を見たのだろう。


 どういうことかと周囲の連中が話に食いつく。


「大丈夫、ちょっと家財道具がやられちゃったけど、補償は利くみたいだし」


「住むところは? やっぱり実家に戻ってるの?」


「知り合いの部屋に転がりこんで、のんびりやってるわ。居心地がいいから、そのまま住み着いちゃうかも」


 古井河の返事に周囲がざわつく。

 それって相手は男? 彼氏のところ? 同棲? そのまま結婚? などと話がエスカレートしていた。


「いい歳して騒ぎすぎじゃないかな」


「酔いと懐かしさとでおかしなテンションになってるんだろ」


 僕と旧友は騒がしい元クラスメイトたちを冷めた目で見ていたが、そのスタンスも結局は昔と同じだ。教室の隅っこから、華やかな中心を遠巻きにしていた、あの頃と同じ立ち位置。


 当時と違うのは、僕と古井河が特殊な関係にあるということだ。明らかに酔っぱらっている古井河が、うっかり口を滑らせて僕たちの秘密をしゃべってしまわないかと気が気ではなかった。


「……まったく」


「どうした誠治、なんか嬉しそうだな」


「え? どこが」


 今、僕の心を満たしているのは不安だ。

 旧友の言葉はまったくの的外れである。


「なんだろうな……、理由はわからんが、お前のツラから優越感を感じる」


「僕とは無縁の感情だよそれは」


「そうだな。俺の勘違いだ」


 旧友と視線を交わして、二人同時にビールを飲み干した。

 ぬるいビールの喉にまとわりつく苦味に、そろって顔をしかめる。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 結局、古井河の仮住まいの話は、彼女の冗談ということで落ち着いていた。ひと安心である。


 同窓会が終わると、親しい者たちで飲み直すグループと、そのまま直帰する者に二分される。帰宅組が以前より多くなっているのは、羽目を外せない既婚者が増えたためだろう。もちろん例外もいる。僕と旧友は帰宅組だが、既婚者ではない。切ない。


「じゃあな」


「うん、また」


 さっさと立ち去っていく旧友を見送ってから、別れを惜しんで道端にたむろしている同窓生たちをぼんやりと見やる。


『昔話に花が咲いたらワンチャンあるかもしれませんよ』


 不意に七海の言葉を思い出した。


 同窓会の予定を告げてからというもの、彼女はたびたび、そんな励ましともからかいともつかない話を振ってきたのだ。ほかにも、


『がんばって焼けぼっくいに火をつけて、熱帯夜をさらに暑く燃え上がらせてくださいね』


 だとか、


『次の同窓会では結婚報告ですね』


 だとか、明らかに面白がって、好き勝手なことを言っていた。

 ワンチャンも焼けぼっくいも何もなかったと知れば、甲斐性なしと呆れられるだろうか。


 もう一方の同居人はといえば、男と向かい合って話し込んでいる最中だ。


 相手の男は上品な服装をしていた。身に着けている装飾品はいずれも値が張るものばかりだが、決してバランスを崩すことのない、落ち着いたコーディネイトである。


 ただ、同窓会のための格好としては気合を入れすぎだ。夏場ということもあって、男性の多くはポロシャツにジーンズ程度のラフな服装をしている中、彼の格好は明らかに浮いていた。こんな居酒屋ではなくホテル最上階のバーカウンターのほうが似合いだ。


「部屋がないって話してたけど、大丈夫か?」


「実はなかなかいい部屋が見つからなくて」


 心配そうに声をかける男と、悩みのせいかトーンの低い古井河のやり取りが聞こえてくる。


「対応が雑な業者もいるからな、急いでると思わせない方がいいぜ。足元を見られる」


「へぇ、詳しいのね」


「マンションに投資しててさ、いろいろ勉強してるんだ」


「投資かぁ、そういうのってちゃんと収入になるの?」


「おっ、興味ある? だったら本格的に説明するよ。立ち話もなんだし飲み直そう。近くにいい店があるんだ」


「んー、どうしようかしら……」


「古井河」


 呼びかけた声はそれほど大声ではなかったはずだが、古井河と男は驚いた顔でこちらを振り返った。いつの間にか、ほんの2・3メートルの距離まで近づいていたせいだ。


「明日の朝、早いんだろ。生徒の引率だって言ってたじゃないか。大丈夫?」


 とっさに嘘をでっちあげると、古井河は一秒ほどのタイムラグを置いて、


「あー、いっけない、忘れてた。あぶないところだったー」


 ひどい棒読みのセリフのあと、男に向けて頭を下げた。


「ごめんね、その話はまたの機会に」


 軽く手を振って男から離れ、こちらへ小走りで近づいてくる。


 内心、あせった。


 声をかけたのは、あくまで古井河が男から離れるきっかけのためだ。そのまま合流してしまったら、僕のしたことはいろいろと意味合いが変わってしまうじゃないか。


 かといってほんの数秒ではなんの対策もできない。棒立ちになっている僕の横を、古井河は小走りのまま通り過ぎる。すれ違いざまにぽんと肩を叩いて、


「行きましょ」


 弾む声でそう言った。


 僕はまだポカンとしている男と、その周りの同窓生に軽く会釈してから、古井河を追いかけた。どんな場所でもあいさつは重要なのだ。

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