第8話 三人ぐらし初日 グループライン『さんにんぐらし』
グループライン『さんにんぐらし』に七海からのメッセージが届いたのは、その日の午後のことだった。
みなとなみ:今日は帰りが遅くなりそうなので晩ご飯はいりません
そこへ即座に古井河からのメッセージが連投される。
ラブリバ:駄目よ。すごくいい肉を買ってるからちゃんと帰ってくるように
ラブリバ:最初の晩餐をやるわよ
ラブリバ:水渡さんが帰ってくるまで、大人二人はお腹すかせて待ってるから
ラブリバ:ずっとね
ラブリバ:(目つきの悪い猫のスタンプ)
なんというレスポンスの早さだろう。
昨今では簡単な業務指示にメッセージアプリが用いられることも多いので、僕も着信があれば早めに目を通すようにしている。しかし、ほんの十数秒で既読どころか返信まで送ってくる古井河の反応速度はただごとではない。
みなとなみ:そんなこと言われても
SNS世代の七海も困惑していた。
僕から特にコメントはないので、メッセージをひととおり確認してから、仕事に戻ろうとする。
と、そのとき、今度は古井河からの電話着信があった。
「……はい、もしもし」
『長谷川君、さっきの見た?』
「ああ、最初の晩餐ってやつだね」
『実はあれ、嘘なの』
「嘘? どこからどこまで」
『肉なんて買ってないのよ。だからお願い、今お店なんでしょ。すぐにいい肉を買って写メ撮って送ってちょうだい。水渡さんが逃げられないように』
「別にいいじゃないか、遅くなったって。連絡を入れている時点で、しっかりした子だと思うけれど」
『親御さんにきちんと面倒を見ますと宣言した手前、いい加減なことはできないの。門限は夜八時。これ以上は譲れないわ』
「まるで教育ママだ」
『教育者だけどママではないわ』
「そうだったね……」
『ちょっと今なんでかわいそうなトーンだったの』
七海の母親には、三人ぐらしを始めた夜に、古井河の方から事情を伝えている。
母親の返事は、例によってぼんやりとした真剣みの足りないもので、その反応の弱さには古井河も苛立っているようだった。七海の生活態度に厳しいのは、七海の母親に対する、当てつけめいた責任感もあるのかもしれない。
『とにかく、お金なら後で払うし、金に糸目はつけないから。一番いい肉を頼むわ』
「肉だけで大丈夫?」
『大丈夫よ、問題ない』
◆◇◆◇◆◇◆◇
というわけで休憩時間を利用して肉を買った。
高級和牛ステーキ用を三人前も購入するというのは今までにない経験だ。独身男性らしからぬ買い方を奇妙に思ったのか、レジの従業員に二度見されてしまった。
休憩室に戻ると、メッセージアプリを起動し、ステーキ肉の画像付きメッセージを送る。
長谷川誠治:買ったよ
みなとなみ:買ったよってつまり今買ったってことですよね。
みなとなみ:センセすでに買ってるみたいな書き方してなかった?
ラブリバ:(口笛を吹いてしらばっくれる猫のスタンプ)
長谷川誠治:買っていたよ
ラブリバ:日本語って難しいわね
みなとなみ:わかりました。ちゃんと帰ります
みなとなみ:でも、あとでレシート見せてください
みなとなみ:(目つきの悪い犬のスタンプ)
ラブリバ:(身体全体で喜びを表す猫のスタンプ)
長谷川誠治:とてもいい肉だからお楽しみに
「……っと」
「長谷川」
メッセージを送信するのと同時に、背後から榊原に声をかけられた。
「うぉっ……、ああ、どうしたの榊原主任」
「そりゃこっちのセリフだ。何やってんのさっきから。生のステーキ肉を撮ったり、ニヤニヤしながらメッセージ打ったりさ」
「変かな」
「控え目に言っても奇行だ。今さらインスタでも始めたの?」
「そういうんじゃないよ」
「あそ。ともかく、周りが不審がるから控えてくれよ」
榊原は興味なさげに言って遠ざかっていく。大方ほかの従業員から『副店長が変』などと話を振られて、注意をしてくれたのだろう。
ありがたいことだ。しっかりしなければと気を引き締める。
自分の仕事は小売店勤務。接客業だ。
表情には職業柄、気を使っている。
お客様には笑顔で、というのは当たり前。
副店長ともなれば、内部からの視線――すなわち、従業員からどう見られているのか、についても注意する必要がある。
しかし、榊原に釘を刺されたように、長年かけて築いてきた外面が揺らいでいたのだとしたら。
部屋に帰ると誰かが待っている生活に、僕は自分で思っている以上に浮かれているのかもしれない。
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それぞれの登録名について
みなとなみ:七海のユーザネーム。自分のフルネームが回文になっていることのアピール。
ラブリバ:古井河のユーザネーム。好きな声優のニックネームと自分の名前をもじったもの(古井河→こいかわ→恋川→英語でラブ・リバー)。同好の士に気づいてもらえるのを待っている。
長谷川誠治:長谷川のユーザネーム。堂々たるフルネームでなんの面白みもない。
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