義人の誕生日【前編】

 紗奈が真梨瑠と喧嘩したあの一件以来、真人が悠をご飯に誘う事が増えた。もう二度ほど、悠は北川家の食卓にお邪魔したことがある。


「悠くん。今日、家に来るんだっけ?」


 帰り道、紗奈が悠にそう聞いた。

 

「うん。真人さんに呼ばれて……」

「悠くんがお家に来てくれるのは嬉しいんだけど、お父さんと義人くんにばっかり構うから、寂しい……」


 紗奈の言葉の通りで、悠が家に来ると、紗奈は最初こそ嬉しそうに真人や義人と会話している悠を見つめているのだが、段々しょんぼりと複雑そうな顔になっていくのが既にパターン化されつつある。


「ごめんね。紗奈にも構いたいんだけど……」

「お父さんと義人くんはいつも会えるわけじゃないもん。仕方ないよね」


 紗奈は「いいよ」と言ってくれるが、紗奈はやっぱり妬いてしまう気持ちもあって、ツンと唇を尖らせている。悠の目にも寂しそうに見えた。


「今日は紗奈にもちゃんと構うから」

「えへへ。ありがとぉ……」


。。。


「ただいま」

「お邪魔します」

「ねーね、にーに! おかえりなさい!」


 今日の出迎えは義人だった。義人は紗奈と悠に交互に抱きついて、可愛らしいお出迎えを見せてくれる。


「義人くん。ただいま」

「手洗いうがいしてくるから、また後でね」


 義人をリビングに帰した後、紗奈と悠は洗面所で手洗いうがいをしっかりとしてからリビングに入った。


「おかえりなさい。二人とも」

「いらっしゃい。悠くん」


 由美は現在進行形でご飯を作ってくれているらしく、キッチンの方から声が聞こえてくる。真人はリビングのソファから声をかけてくれた。その隣では、義人が小さなサイズのボールをポンポンと真上に飛ばして遊んでいる。


「学校はどうだった?」


 紗奈の家に入ったら毎回聞かれる話題だ。今日は何をしたのか。楽しかったか。など、気にかけて貰えていると分かって嬉しい。


「今日は体育でも紗奈と一緒でしたよ。男女ともに体育館だったので」

「悠くん、跳び箱でお手本やってたね」


 今日は男子は跳び箱。女子はマット運動だった。どちらも体操の一環で、試験の形のひとつとして、近々得意な技を先生の前で披露しなければならない。


「へえ。凄いじゃん」

「ありがとうございます」

「僕も体育の時間、跳び箱だったよ!」


 義人が勢いよく手を挙げてそう言った。それだけで周囲は和んだ空気になり、みんなの顔が綻ぶ。当の義人だけは、不思議そうな顔でキョトンとしていた。


。。。


 由美の手料理が全て揃い、手を合わせて挨拶をしたら早速食べ物を口に入れる。紗奈がよく自慢しているので悠も知っていたが、由美の料理は噂で聞くよりもずっと美味しい。


「もぐ……。うわぁ。これ凄く美味しいですね!」

「ふふ。ありがとう」

「だろ? 由美の料理を食べたら、他の料理じゃ中々満足出来なくなるんだよなあ」

「がっしりと胃袋掴まれちゃってますね」

「ああ。もうがっしり、しっかり、バッチリと、ね」


 クスクスと笑い合った二人の会話が広がっていき、結局ご飯を食べ終えるまで悠は真人に独占されてしまっていた。


「食後にコーヒーでもどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 由美が片付いたテーブルの上にコーヒーを置いた。義人のテーブルにはミルクココアが置いてある。


「それでこの間さあ」

「お父さんばっかりずるい……」

「わっ。紗奈?」


 また今日も悠が構ってくれない。不満に思った紗奈がむくれた顔をして、悠に抱きつく。悠は戸惑って、紗奈の方を大袈裟に振り返った。


 普段の悠は人前だろうと気にせずに紗奈を可愛がれるのだが、流石に親の前では恥ずかしかったし、いたたまれない気分になる。


「僕もー!」

「義人まで……」


 悠は照れた顔をして、義人と紗奈の頭をそれぞれ撫でる。真人と由美が微笑ましげに見つめてくるので、更にいたたまれない気分になった。


「それにしたって、紗奈はいつも学校で一緒にいられるんだから家でくらい譲ってくれてもいいじゃないか」

「そうだけど……」


 紗奈自身、真人の言った通りの事を考えていたし、だから今まで何も言わなかった。けれど、ずっとこの調子ではやはり寂しいのだ。


「紗奈はヤキモチ妬きだから……。むくれたままの顔も可愛いけど、今日は紗奈にも構うって約束したんです」


 紗奈の頭を優しく撫でながら、悠は少しだけ困ったように笑った。


「紗奈が悠くんを大好きなのはわかってるけど。こっちもずっと妬いてたんだけどなあ」

「?」


 紗奈と悠が同時に首を傾げると、隣で義人も真似をするように首を大きく傾げた。


「いつも悠くんの家にばかりお邪魔していると聞いて、妬いていたんだよ? 小澤さん家にも悪いしね」


 真人の言葉を聞いて、紗奈が申し訳なさそうに眉を下げた。確かに、悠が紗奈の家に来るようになったのは最近の事で、普段はいつも悠の家にお邪魔している。


「ごめんね。全然考えてなかった……」

「気にしないで。俺の家、どうせ自分たちの作業のために部屋にこもってることがほとんどだから。あんまりその辺気にしてないんだよね」


 寧ろ、紗奈が家に来ると悠の母、真陽まひるは喜ぶ。小説家の真陽が書いた本を紗奈が気に入ってくれているからだ。ホクホク顔で紗奈に本の話題を振っているのを、悠は何度か見かけた事があった。


「うちにも遠慮せず、どんどん遊びに来てね」


 真人がニコニコしながらそう言うので、悠はなんだか暖かな気持ちになる。もうひとつ実家が出来た気分だ。いつか紗奈と結婚しても、こうやって暖かく受け入れてくれるのだろうか。そんな想像をして、悠はとてつもなく照れくさい気持ちになってしまった。


「ありがとうございます……」


 そんな悠の気持ちを察してか、真人が和むような暖かい目で悠を見つめる。


「?」

「ふふ。何でもないよ。あ、そうだ」


 真人は小さく笑ってから、悠に引っ付いている義人の方をジッと見つめて、こう言った。


「もうすぐ義人の誕生日だし、その日に悠くんが来てくれたら、義人も紗奈も喜ぶと思う。由美と紗奈の作ったご馳走も食べれるよ?」


 由美の美味しい料理に加えて、大好きな恋人の手料理が食べられる。それを聞いた悠は、気持ちが揺らいだ。


「俺がいてもいいんですか?」

「もちろん。ほら、隣見てみなよ」

「え?」


 真人が指さしたのは、紗奈ではなく義人の方。義人はキラキラと目を輝かせて、嬉しそうに頬を押さえていた。その仕草は紗奈にそっくりで、悠は思わず笑ってしまいそうになる。


「にーに、来てくれるの!?」


 義人が期待するように悠を見上げた。それがあまりにも可愛らしいから、悠はもう我慢できずに笑を零した。


「そんなに喜んで貰えるなら、お祝いしに来ようかな?」

「わーい!! 僕の誕生日、にーにが来る!」


 義人が両手を挙げて大袈裟に喜んでくれる。悠はそれを見て、とてつもなく癒された気分になるのだった。

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