壁ドン
※今回、一部過激な描写や言動があります。苦手な方はご注意ください。
十二月に入って寒い日が続く中。今日は久々に紗奈が悠の家に遊びに来た。
「なんだか、紗奈が部屋にいるの久しぶりな感じ」
「私も。悠くんのお部屋久しぶりだね」
最近は悠がずっと、真人に呼ばれて紗奈の家に来ていた。約一ヶ月ぶりの悠の部屋だ。
「あ、新しい本」
「読む? 母さんの知り合いの作家が書いた本だよ。児童書じゃなくてライトノベルで、ラブコメなんだ」
悠が差し出してくれたので、紗奈はクッションに背中を預けて本を読み出す。悠も自分のクッションに身を預けて、スマホで音楽を聴き始めた。
最近は、家ではこうしてまったり過ごすことが多い。他には学校の宿題を一緒にやったり、お菓子を食べながらお喋りを楽しんだりしている。たまに甘えたくなったら、どちらかがピッタリとくっついてくるので、それに応えてやるのがいつものパターンだ。
「……ふんふーん」
悠が聞いている音楽に合わせて鼻歌を歌っていると、紗奈がちょいっと悠の袖を掴んだ。
「ん、ごめん。もしかして声うるさかった?」
「ううん。そうじゃないんだけど、気になるシーンがあったから」
紗奈はそう言うと、悠に本の挿絵を見せた。その絵では、学ランを着た男の子がセーラー服の女の子を壁ドンしている状態で、紗奈はこの壁ドンというものが気になるらしかった。
「これ、女の子がキュンキュンしてるシーンだけど、そんなにいいのかなぁって気になっちゃって……。それで、試しに悠くんに壁ドンして欲しいなって思って」
「女の子って壁ドンとか普通に好きなイメージあるけど、紗奈は違うんだ?」
「私はギューってくっつくのが好きだから……」
紗奈が照れくさそうにそう言うと、悠は壁ドンではなく抱きしめてしまいたい衝動に駆られた。しかし、紗奈の希望は壁ドンである。
紗奈と悠の位置関係的に、悠は紗奈を後ろの本棚に追いやった。そして、本棚に軽く両手をつく。
「こういうのでいいの?」
「これが壁ドン……」
紗奈は何故か感動しているが、悠は少しだけ不満げだ。
「ねえ、紗奈。去年のイルミネーションの時もこういうのしなかった?」
去年の十二月下旬頃。紗奈に告白をしたイルミネーションデートの日に、悠は今と同じように紗奈を壁に追いやった記憶がある。なんなら、その時の方が距離が近かった。紗奈はそれを忘れてしまっているのだろうか。そう思って、悠は少しだけ不貞腐れた気分になる。
「ほら。こうやって……」
悠は肘を使って更に紗奈に顔を近づけ、額同士をコツンとくっつける。
「はわ。こ、こんなに近かったんだっけ……?」
思っていた以上に距離が近い。ドキドキと胸が高鳴っているのを感じる。紗奈は正しく、ラノベのヒロインのようにキュンキュンしてしまっている状態だ。
「あうっ」
「え。ちょっ」
紗奈は、もじもじと身体を揺らしたせいで後ろの本棚に頭をぶつけてしまった。紗奈が頭を抱えて蹲ると同時に、本棚からは何冊かの本が衝撃によって落下してきていた。
「ひゃっ!?」
紗奈は悠に思い切り腕を引っ張られ、床に倒れ込む。その身体を、悠が庇うようにして覆った。
「いたっ」
「わっ! 悠くん!?」
今度は悠が頭を痛める番だった。落下してきた本が悠の背中と頭にぶつかり、床に落ちる。
「ふふっ」
頭の背中は少々痛かったが、この怒涛の展開にはつい笑ってしまう。紗奈が不安と不思議で戸惑っていると、悠から声がかかった。
「まるでこれ、ラブコメみたいな展開じゃない?」
今のこの状況が、ラブコメのようなイベントに見えて、悠は笑っていたのだった。
悠がクスクスと笑っているおかげで、紗奈も少しずつ冷静になってきた。冷静になってくると、ある事に気づく。
「ひぇ……」
額同士がくっついていた時には、近すぎて顔も見えないほどだった。しかし、この床ドンされた状況は、壁ドンの時よりも近い上に顔がよく見える絶妙な距離にある。
紗奈が大好きな、悠の笑顔が物凄く近くで見えている。心臓が早く脈を打ちすぎて、胸が苦しくなった。
「あれ? 紗奈もどこか痛めた? ちょっと待ってね。今どくから……」
「そ、そうじゃないんだけど…………」
紗奈がしどろもどろにそう言うから、悠はどこうとしたそのままの状態で静止して、紗奈を見つめた。
見つめられてしまうと、紗奈の心臓は更に鼓動が早くなってしまう。
「ただ…その……こ、これさっきよりも…ち、近すぎて、心臓が爆発しちゃいそ……」
紗奈は真っ赤になった顔で、照れくさそうにそう言った。その赤みが、照れくささが悠にも移る。
「……それはちょっと可愛いがすぎる」
悠は紗奈の方に身体を完全に戻し、紗奈の頬を優しく撫でた。紗奈は今この状況で撫でられるとは思っていなくて、ビクッとして思わず目を瞑る。
「悠くん……?」
「心臓、本当に爆発させちゃったらごめんね」
「え」
悠の言葉を読み解く前に、唇に何か温かいものが当たる。紗奈の思考は低下していて、キスをされた事に気づいたのは、悠の唇が離れた後の事だった。
「……っあ」
心臓の前に、頭のパンクの方が早い気がする。紗奈はいっぱいいっぱいで、悠に抗議することしか出来なかった。それも、ちょっとおかしな方向にだ。
「ずるい! 今のキス、私何が何だか全然わかんなかったっ」
「え? 紗奈、怒ってる?」
「悠くんとのキス、よくわかんないうちに終わっちゃった……。寂しい……」
「うっ」
紗奈の怒りのポイントがあまりにも可愛くて、悠は喉を詰まらせる。悠の頭の中もいっぱいいっぱいになって、ボーッとしてきてしまう。
「も、もう一回する?」
「……する」
紗奈が強請るように悠のネクタイをちょこんと引っ張る。それが可愛くて可愛くて、悠はさっきよりも深く紗奈に口付けた。
「ふへへ……」
キスの後、紗奈の満足そうな蕩けた表情を見て、悠はゴクリと喉を鳴らした。
「紗奈……」
「んっ……? ひゃっ」
悠にもう一度キスをされたと思ったら、首元や首筋にキスを落とされてしまい、驚いた。悠の温かい手が紗奈の二の腕の辺りを撫でていく。
「く、くすぐったいよ」
紗奈は悠のカーディガンをギュッと掴んで、抵抗を見せる。それでも悠は止まらなかった。
「ひゃわっ!?」
耳元にキスをされると、背筋から足の方まで全部ゾクゾクと痺れてしまう。
「ゆ、悠くん……っ。待ってえっ」
グイッと悠の身体を引き離そうとすれば、やっと悠が正気に戻ってくれる。
「…………あ」
冷静になった悠は、自分の行動を振り返る。そして、顔色がみるみる悪くなっていった。
「ごめんなさい。紗奈、嫌がってたのに俺……」
悠は急いで紗奈から距離を取ると、綺麗な土下座を見せる。悠なりの精一杯の謝罪だった。
「ち、違うの。嫌な訳じゃなくて、今は放課後だし。こういうのは、もっと時間がある時に…し、して欲しいの」
土下座までする悠を見て慌てた紗奈が、早口でそう言った。悠が驚いて顔を上げると、紗奈が照れくさそうに縮こまっているのが見えた。
悠は暫く唖然としていて、紗奈が不安げに悠を見上げたところで、ハッとした。
「あの、それって…俺が紗奈に触れるのを許してくれるってこと……? というか、その先に進んでもいいって思っても…い、いいの?」
そう聞いた悠の表情も少し不安げだった。
抵抗していた紗奈にあんな事をしておいて、どうしても期待してしまう自分が嫌になる。悠はそう思って、また落ち込んでしまった。
「…………うん」
悠が俯いていると、上から紗奈の声が降ってくる。今度また顔を上げたら紗奈を抱きしめてしまいそうだ。悠は俯いたまま紗奈の言葉を聞いていた。
「恥ずかしいけど、悠くんは私の事好きだからこういうことしてくれるんでしょ? だから全然嫌じゃなくて、むしろ嬉しい」
紗奈がもじもじとそう言うと、悠はやっとゆっくり顔を上げることが出来た。
「こ、この先も……。したらどうなっちゃうのかは、ちょっぴり怖いけど。悠くんだからいいよ」
「紗奈……。そんな風に思ってくれてるのに、突然あんな事をしてごめんね。俺だから。って、信用してくれてありがとう。今度は…しっかりしないとな」
悠はそう言うと、控えめに笑う。落ち込んでいると紗奈の方が気にしてしまう。悠は気持ちを切り替えて、改めてもう一度謝った。
「もういいよ。怒ってる訳じゃないし」
「うん」
「ふふ。でも、ビックリしたのは事実だし。そんなに謝ってくれるなら、我儘聞いてくれる?」
紗奈がそう言うと、悠は当然だと言わんばかりに頷いた。
「うん。何?」
紗奈のお強請りは大抵デートの誘いだ。たまにキスだったりハグだったりもするが、紗奈は無茶な事は言わない。何でも聞いてやろうと思って、悠は聞き返す。
「あのね、壁ドンも気になってたんだけど、お姫様抱っこもどんな感じなのかなって気になるの」
「え」
「駄目だった……?」
「駄目じゃないけど」
冷静な状態の悠なら喜んで引き受けるのだが、今はまだ紗奈にしてしまった事を鮮明に覚えている。この冷静とは言えない状態でまた紗奈に密着をするのか。と、悠はつい悶々としてしまった。
「持ち上げるよ」
悠は悶々としつつも、紗奈を軽々抱き上げる。体格差もそこそこあるので簡単だった。
「思ったより怖いね」
紗奈がギュウッと悠にしがみつく。
(……また首筋にキスできそうな距離だなあ)
悠は無理やり平静を装いつつ、紗奈に言った。
「そろそろいい?」
「あ、もしかして重たい?」
この高さに少し慣れてきた紗奈は、悠の悶々とした感情に気づかない。悠は少し迷ったが、正直に今の状況を伝えようと口を開く。
「俺、まだ冷静じゃないし。これ以上はまた色々しちゃいそう」
「ひぇっ」
悠は本当に冷静ではなかったらしい。声が予想外に色っぽく感じて、紗奈は腰を抜かしてしまった。
「腰、抜けちゃった」
「えっ、何で!?」
「だって、悠くんの声が……」
紗奈は悠にしがみついたまま、恥ずかしそうに言い訳をする。
「何もしないから、一旦寝室に行ってベッドに降ろすよ」
「はい……」
悠の部屋は勉強机や本棚。紗奈とくつろぐ為のクッションやテーブルが置いてある部屋と、その隣に寝室がある。悠の寝室へは今いる部屋からしか行けない構造で、その扉は最近は常に開けっ放しになっていた。
「ありがとう……」
ベッドに降ろしてもらった紗奈は、恥ずかしそうにお礼を言った。声で腰を抜かしてしまうなんて、自分でも予想出来なかったらしい。
「冷たい飲み物持ってくるよ。ついでにトイレも」
「うん……」
紗奈がポーっと相槌を打つと、悠が慌てて何かを言い訳した。
「変な意味じゃないからね!」
「え? うん……」
悠は部屋を出てすぐにリビングに向かい、水を飲んでから考える。
(変な意味じゃないってなんだよ!)
と。本当に冷静じゃない悠は、五百ミリリットルのペットボトルに入った水を、一人で全て飲み干してしまうのだった。
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