女同士の闘い【後編】

 あの後も、紗奈と真梨瑠は物理的に叩き合ったり、髪を引っ張り合ったりを繰り返していた。


 女同士の喧嘩に口を挟もうにも、紗奈が止めてくるので何も出来ず、悠は呆然と二人の様子を見つめて震えていた。


 (どうしよう……。紗奈が暴力振るうのなんて初めて見た。俺のせいで……)


「いたっ」

「紗奈!」


 真梨瑠の長い爪が頬に引っかかったらしく、紗奈の頬に傷がついた。悠は慌てて紗奈の腕を引き、今度こそ止めに入る。


「もうやめて。お願いだから……」

「真梨瑠も。そこまでにしておきなよ」


 いつの間にいたのか、真梨瑠の肩を宥めるように掴んでいる桐斗がいた。


「予想通り、こっちも玉砕さ。そもそも俺は、この間も彼女に拒否されているしね。ほら、真梨瑠。彼らの目に俺達が映ることは無いって分かっただろ? 行こう」


 桐斗は真梨瑠を背付き、教室を出ていってしまう。


「紗奈……」


 紗奈の手を握る悠の手は震えている。紗奈が悠に視線を合わせると、悠の手は紗奈の傷ついた頬へと移動した。 


「えっ。悠くん、駄目だよ。血がついちゃう……」


 紗奈の頬には血が滲んでいる。その傷口を悠が優しく撫でたので、痛みはないが悠の手が汚れると心配になった。


「そうだよ。血が出てるんだよ。紗奈……」


 悠は今にも泣き出してしまいそうなほどに震えた声で、そう言った。


「ばか」


 表情も、泣き出してしまいそうなくらい、酷く辛そうだ。


「悠くん。ごめんね。そんな顔しないで」


 今度は紗奈が悠の頬に触れて、優しく撫でる。


「ばか……」


 悠はもう一度呟くようにそう言うと、紗奈を強く抱き締めた。


。。。


 帰り道、いつものようにマンションまで紗奈を送り届けた悠が、紗奈の両親に今日の出来事を説明をしたがった。そのため、今日は二人で一緒にエントランスの玄関をくぐる。


「紗奈。今帰り?」


 すると、丁度帰って来たらしい真人に、後ろから声をかけられる。


「悠くんも、おかえり」

「……ただいま帰りました」


 悠の表情が暗いので、真人は首を傾げた。説明を求めるように紗奈を見つめれば、絆創膏が貼られている紗奈の頬にも気づく。


「ふむ……。とりあえず上がってく?」


 真人はそう言うと、エレベーターを開けて待っていてくれた。


 三人で家に帰ると、出迎えてくれた由美が驚く。悠が部屋まで上がって来ることも、真人と一緒の時間に帰ってくることも珍しいのだ。


「由美。悠くんにもコーヒー入れてあげて」

「はーい。悠くん、いらっしゃい」

「お邪魔します……」

「紗奈。洗面所まで案内してあげてね」

「うん!」


 紗奈達が洗面所で手洗いうがいをして帰ってくると、由美がコーヒーをテーブルに用意して待っていてくれていた。


「ありがとうございます」

「召し上がれ」


 コーヒーを飲んで一息ついた頃、真人の方から改めて、紗奈の傷について話題にした。


「すみませんでした。俺のせいで紗奈、クラスの女子と喧嘩して……。怪我までさせちゃって……」


 悠は綺麗に頭を下げて謝るが、由美と真人はキョトンとしている。何も反応がないので不安になって、悠は恐る恐る顔を上げた。


「あははっ」


 突然、真人がケラケラと笑いだした。


「もう。真人ったら……」


 それに対し、由美が少しだけ照れくさそうに頬を染め、紗奈の頭に手を伸ばした。


「紗奈も、駄目なところまでは親に似なくていいのよ?」

「だって……。あの子、悠くんを誘惑しようとするんだもん」


 紗奈はむくれた顔で言い訳をしながら、由美が撫でてくれている手にそっと触れた。


「なんて言えばいいのか…愛が強烈というか、自分の大事なもののためなら、相手がなんであれ立ち向かうところ。凛としててかっこいいんだよな」


 真人は由美と、それから紗奈を交互に見つめて、最後に悠に視線をやる。悠は今もまだ驚いた表情のままで、真人を見つめて固まってしまっていた。


「由美も昔、俺の事で女と喧嘩した事があったんだよ。俺は悠くんと違って不誠実だったし、由美と付き合う前に関係を持ってた女がいてね。そいつに啖呵切る由美は凄かったなあ」

「もう。恥ずかしいわ」


 由美は紗奈を撫でるのをやめて座り直すと、隣に座って優雅にコーヒーを飲んでいる真人を睨みつけた。


「怒るなよ。あの時の由美、かっこよかったよ。啖呵切ったってとこもだけど、自分一人でケジメをつけようとするところも全部」


 怒る由美を宥めるために、真人は自分の目の前に置かれているクッキーの皿からクッキーを一枚取って、由美の皿の上に乗せる。由美が一番好きな味のクッキーだ。


「ねえ? 悠くんも、どうせ紗奈に手を出すなって言われたんでしょ?」


 真人にそう聞かれて、悠はしょんぼりと頷いた。


「はい……。でも、無理やりでも止めればよかった。そしたら怪我もしなかったのに……」

「それでいいんだよ、きっと。手を出すと何故かこっちが悪者みたいに言われるしさ。俺を巡った女同士の喧嘩なのに、女同士の問題だから関係ない。とか言われるんだぜ? 結局、俺達の出る幕はないんだよね。ちょっと寂しいけど」


 真人は苦い顔をしてそう言うと、もう一枚自分の皿からクッキーを手に取って、今度は自分の口に放り込む。悠は真人に共感して、寂しい気持ちになった。


 紗奈に「止めないで」と言われた時、悠はきっと寂しかったのだ。自分自身でそう思って、悠は真人と同じように自分の皿に乗っているクッキーを一枚口に含んだ。甘いけれど、カカオの苦い味が微かに舌を刺激した。


「あら、あなた達に出る幕がないだなんて当然よ」


 由美はそう言うと、真人が皿に乗せた自分の好きな味のクッキーを手に取って、口に含む。


「大事なものが取られそうになったのは紗奈なのよ? 手を出すのだって正当防衛だし、こういうのはね、第三者が介入して有耶無耶にするんじゃ満足しないの。そりゃあ、暴力は悪い事だけどさ。いくら話し合ってもどうにもならない価値観の違いってあるし、何も解決しないまま止められても、心のどこかでモヤモヤと引っ掛かりを覚えるものなのよ。だから、自分達でとことん戦って、白黒ハッキリつけなきゃ。そうしないとスッキリしないでしょ?」


 由美の言葉に、今度は紗奈が共感した。キラキラと目を輝かせて頷き、紗奈は自分の皿から紗奈が好きな味のクッキーを口に放り込む。


「私、橋川さんを叩いた事、後悔してないよ。叩かれた事も。先に手を出したのはこっちだから、後で謝らなきゃかもだけど。喧嘩したことは後悔しないと思う!」


 紗奈はそう言うと、悠の手に自分の手を添える。


「悠くんに心配かけちゃったのだけ、ごめんね」

「……納得したくないけど、わかった」


 悠が苦い顔で頷くと、真人がまた声に出して笑う。今度はどちらかと言えば苦笑だった。


「な? 強かだろ?」

「紗奈の凛としたところは俺も好き。でも、本音はあんまり危ないことはしないで欲しいって思いますよ。紗奈が好きなんだもん。それも当然の権利ですよね?」


 悠は由美を見つめてそう言う。が、そんな悠に言葉を返したのは紗奈だった。


「悠くんだって、私の事で怒ることあるじゃない。相手を怒鳴る度に悠くんの方が傷ついてるの、知ってるんだから」

「んぐぅ……」

「諦めるのね。真人もとっくに諦めたわ。だって、この人の方が私のために馬鹿な事をするんだもの」

「うっ……」


 悠と真人は顔を見合わせる。もうお互いに苦笑するしかないのだった。

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