草野第一学園の文化祭
草野第一学園文化祭の当日。学園の入り口までは、紗奈や菖蒲も含めて全員で来た。校舎に入るとすぐにそれぞれ別れて、音久のフリーの時間が終わる二時間後に同じ場所に集まることになっていた。
「あおいちゃん! 頑張ってね」
紗奈はあおいの手をギュッと両手で握ると、あおいを見つめてエールを送る。いつも余裕の顔をしているあおいよりも、何故か紗奈の方が緊張しているように見えた。
「ありがとう。紗奈ちゃんもデートを楽しんでね」
「うん」
「ありがとう。立花さん」
元々、谷塚高校の文化祭であまり紗奈と回れなかった事を悠が話したから、あおいが悠にこの文化祭を教えてくれたのだ。彼女には感謝しかない。
「悠にぃ。他校であんまりイチャイチャしすぎるなよー?」
「はいはい。お前こそ、白鳥くんに迷惑かけるんじゃないぞ。白鳥くん。このお転婆娘をよろしくね」
「任せろ!」
菖蒲がいい笑顔で親指を立てるので、瀬奈はむくれた顔をしてしまう。みんなでクスクス笑ってから、やっとそれぞれが離れて行動を開始した。
「あおいちゃんと音久くん。もっと仲良しになれたらいいよね」
「うん。俺もそう思うよ。坂井くんも、未だに答えを出せていないことを気にしているみたいだから」
「そうなの?」
紗奈は、音久は既にあおいを好きなのだと思っていた。後は勇気を出すだけだ。と、早く結ばれて欲しいなあ。と、楽観的に考えていた。
「惹かれてはいるんだろうけどね」
「そっか……。もしかしたら、初めての感情で戸惑っているだけなのかもしれないね」
「親愛なのか、恋愛なのか、焦らず答えを見つけて欲しいね」
出来れば恋愛なら、友人が二人とも幸せになれるのに。そう思いつつ、悠と紗奈は第一学園の文化祭を巡った。
。。。
一方で、当の音久とあおいも二人で文化祭を回っていた。今は外の広場で飲み物を買って、近くの木陰で休憩がてらお喋りをしているところだ。
「それでね、この前紗奈ちゃんが……」
「……うん」
音久はあおいの手に視線を集中させていて、話を半分くらい聞き流してしまっていた。先日の悠の言葉を気にして、彼女の白くて細い手をついつい意識してしまう。
(立花さんの手、白くて綺麗……。俺も手入れはしてる方だけど、全然違うなあ……)
あおいの飲み物を持つ手は、本当に綺麗だった。あまり外に出ないのか白くて、指は長くて細い。爪も、何か手入れをしているのか艶めいている。勉強を頑張っている彼女らしく、ペンだこは少々目立つが、それ以外は本当に綺麗だった。
(俺の方がたこあるし……。指先も何だか太い)
音久は自分の手のひらを見つめて、そんなことを考える。何となく比べてしまっていた。
「どうしたの?」
「あっ! え、えっと…ごめん。立花さんの話、あんまり聞いてなかった」
音久がなんだか上の空だったから、あおいは不思議に思って首を傾げる。案の定、音久はほぼあおいの話を聞いていなくて、申し訳なさそうに謝った。
「それはいいのだけど。何かあったの?」
あおいは怒るどころか、心配して話を聞いてくれようとする。音久の罪悪感は更に募って、正直に全てを話してもう一度謝った。
「ってわけで……。ごめんなさい。全然立花さんの話に集中できてなくて。心配までさせちゃうし」
「そうだったのね」
あおいが呟くように言うと、音久はビクッとする。あおいはいつも温厚だけれど、言いたいことはズバッと言う人だ。不快な思いをさせていたらどうしよう。もしかしたら怒られるかもしれない。と、音久は不安になる。
「悩んでくれてありがとう」
「え」
あおいは、いつもの温厚で優しい口調でそう言った。
嫌な思いをしていないのならいいのだけど……。音久はそう思ってあおいに視線を向ける。すると、あおいはやはり、優しい表情でこちらを見ていた。
目が合って、音久は思わずドキリとしてしまう。
「でも、ゆっくりでいいのよ」
「……え?」
あおいに見蕩れていた音久は、しばらく反応できなかった。音久が聞き返すと、あおいはクスッと笑みを零す。
「たとえ気持ちが分からなくても、私は分かるまでじっくり待つし。友達としてでも、大切だって言ってくれただけで、私は満たされた気持ちになれるのよ」
あおいはそう言うと、音久に視線を合わせ直してニッコリと笑う。
「覚えてる? 私、最初はフられるつもりで告白したの」
中学生の卒業式の日。あおいが音久に告白をした日。音久の家は音楽家で、音久もヴァイオリンを弾いている。恋愛よりも習い事に夢中だった音久は、告白を断るだろう。あおいはそう予想していた。
しかし、音久はあおいの覚悟や献身的な気持ちに対して、迷いを見せた。友人として、あの頃からあおいを大切に思っていた。だから返事を保留にしたのだ。
「うん。きちんと答えを出すから。こんなにも……まだこれからも、待たせてしまってごめんね」
「ふふ。そういう誠実な所も素敵ね」
あおいはクスクスと、いつものように上品に笑って言う。
「もっと好きになっちゃった!」
「えっ!?」
「わっ!」
音久は驚いて持っていたプラスチックのコップを落としそうになる。それを、あおいが慌てて支えてくれた。音久の手ごとだ。
「あ……」
ギュッと触れた手にドキリとして、音久はあおいの顔を見つめる。あおいが手を離そうとすると、音久は何かを確かめるかのように、逃げようとしたその手を握りしめた。
「坂井くん?」
「……まだ、きちんとした感情ではないと思う。けど、俺は立花さんの事を…友人としてだけじゃなくて、女性として特別に思ってる。って、今感じた」
あおいの手を握りしめたまま、音久は真剣な表情でそう言った。あおいは、自分の顔が少しずつ温まっていくのを感じる。
「もっとハッキリとわかるといいなあ……」
あおいは待つと言ってくれるが、やはり罪悪感は募る。音久はそう思って、少しだけ落ち込んだ。
「ええ。そうね」
あおいは珍しく照れた表情で、音久の手をそっと握り返した。
「もう少しだけ、握っていたいんだけど……いい?」
「ええ。もちろん」
あおいがそう言ってはにかむと、音久は頬を染めて、改めてあおいの手を握った。
。。。
あおいと音久から少し離れた場所で、同じく飲み物を買って涼んでいた紗奈と悠。二人の様子を遠くから見守っていた紗奈は、ペシペシと隣の悠の肩を興奮気味に叩いていた。
「いい感じだよ? いい感じだよねえ!?」
「うん。そうだね」
悠はニコニコと紗奈の攻撃を受け止めつつ、二人を見守る。
無自覚なだけで、音久はとっくにあおいに陥落している。後は本人が気づくだけだった。
「嬉しいね。あおいちゃん、幸せそう」
「ふふ。紗奈も」
あおいを見つめて嬉しそうに頬を緩める可愛らしい恋人に、悠は優しく笑いかける。
「ゆっくりでも、坂井くんがきちんと自分の気持ちに気づけるといいね」
「うん!」
悠の言葉に、紗奈が大きく頷いた。早く二人が結ばれる日が来るといい。改めてそう感じる。
「ところで、あの二人を見ていたら羨ましくなっちゃった」
「え?」
「手を繋いでもいいですか?」
悠が空いている方の手を差し出すと、紗奈はキョトンとそれを見つめてから、次第に嬉しそうな笑顔になっていく。
「うん!」
満面の笑みで手を取った紗奈は、悠と共に歩き出す。二人の邪魔をしないように、離れた場所で文化祭デートを楽しむのだった。
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