28. 河童

 ソラたちは路地にひそんで、萌菜もなの住んでいるマンションをうかがっていた。高さも幅も、ソラたちの住むマンションの二倍以上ある。まわりに高い建物が少ないため、とても目立っていた。


 そのうえ、マンションは正面が大通りに面しており、深夜でも人通りはあるし、車も走っている。


 ちなみに、ここはソラたちのマンションの最寄り駅から、二駅離れている。時間的に帰りは歩きだ。そう考えると気が重い。


 ソラは、目の前のマンションを見上げた。


「侵入するのは、難しそうだな」


 萌菜は、二十二階建てのマンションの十九階に住んでいる。そのため、ベランダ伝いに侵入するのは不可能だ。


 一軒家なら、チャイムを鳴らして家人がドアを開けた隙に、常人には見えないことを利用して室内に侵入するという方法もある。しかし、このマンションでその手は通用しなさそうだ。


 ソラは、マンションのセキュリティを思い浮かべた。


「オートロックだと、家の人間が下まで様子を見に来ることがないんだよな。深夜だから、マンションを出入りする人間もいないし」


 残る方法は、ユイの障壁を足場にして萌菜の部屋の前まで上がり、同じく障壁を駆使して鍵を開けるくらいだ。


 ユイの作る障壁は、人と寄生きせい霊魂れいこんを分離させたり、人間の目をくらませたりするほか、物質にもある程度干渉できる。なんとも便利な術だ。


 部屋の中で寄生霊魂と戦うことになっても、障壁があれば壁や家具を物理的に守れるので痕跡が残らない。問題があるとすれば、部屋の中だとせまくてソラが刀を振るいにくいことだ。しかし、今回は戦う場を選べる状況でもない。


「やっぱり、ユイが障壁で足場を作るしかないんじゃないか?」

「それでいく」

「了解」


 ソラは、人目がないのをたしかめてから、霊力を封じているチョーカーをはずそうとした。だが、ユイがソラの手をつかんだ。


「待て」


 ユイが、マンションの正面玄関をのぞきこむ。ソラもまた、路地から顔を出した。

 エントランスから、萌菜が出てきた。Tシャツにハーフパンツ姿で、サンダルをはいていている。

 ソラは首をかしげた。


「コンビニにでも行くのか?」


 萌菜は、真っすぐ前を見ながら歩を進めた。ソラたちのいる路地の前を通りすぎたが、ソラたちには気づいていない。

 ユイが、萌菜を見て眉をひそめた。


「寄生霊魂に操られている」

「たった半月で、ここまでなるのか」


 寄生霊魂が宿主しゅくしゅの意識を操れるのは、宿主の魂をかなり食らってからだ。寄生霊魂の成長が早いのは、それだけ萌菜が罪の意識を強く感じている証拠でもある。


 ソラは、萌菜を目で追った。


「これって、池のある公園に向かってるよな」


 寄生霊魂は、宿主に罪の意識をより強く感じさせるため、事件や事故が起きた場所へ連れていく習性がある。

 ソラはユイに目を向けた。


「どうする?」

「あとをつける。退治は公園で行う」


 大通り沿いより、深夜の公園のほうが人目につきにくそうだ。広いので、刀を振るいやすくもある。


「わかった」


 ソラは、ユイとともに路地を出た。


 ほどよい距離を保って萌菜のあとについていくと、思ったとおり、池のある公園に着いた。

 萌菜は池を半周すると、桟橋の前で足を止めた。その姿を、ソラたちは林の中から見ていた。


 あたりに人気はない。ソラは、今度こそチョーカーをはずした。尻尾が生えて、耳が頭の上に移動する。かせがはずれたようにからだが軽くなり、感覚が研ぎ澄まされ、水のにおいや葉音が鮮明になる。


 ユイもまた、封じのブレスレットをはずしていた。暗い林の中、銀色の髪がかすかに輝いて見える。

 ソラたちは、パーカーを脱いで近くの枝に引っかけた。


 ユイが耳を動かす。ほぼ同時に、萌菜がソラたちを振り返った。だが、目の焦点が合っていない。虚ろな表情で、唇を動かす。


広輝ひろき……なんでだましたの? 好きだったのに……信じてたのに……」


 突然、萌菜が頭を抱えて叫び出した。


「あああああ! 私に助けを求めるな! 私は、なにも悪くないんだ!」


 萌菜は絶叫を響かせながら、身をひるがえして桟橋を走った。柵に近づいても、まったく速度を落とさない。


「水に飛びこむ気だぞ!」


 ソラが言い終わらないうちに、ユイが右手を前に突き出して、障壁を放った。


 柵に手をかけた萌菜に、白く光る壁がぶつかる。その瞬間、萌菜のからだから何かが弾き出されて、池に落ちた。萌菜はというと、柵に寄りかかるようにして倒れた。


 池に落ちたのは、萌菜に宿っていた寄生霊魂だ。子どものように小さく、からだは緑色だ。頭に皿のようなものがついており、背中には甲羅がある。河童かっぱと呼ばれる妖怪によく似ていた。


 河童もどきは、ソラたちに背を向けた。そのまま泳いで逃げようとする。河童もどきが水をかくたびに、ソラは肌がひりつくのを感じた。からだは小さく、臆病なのに、なかなか強い力を持っているようだ。


 ソラは、ポケットから小型化した刀を取り出した。霊力を注いで、刀をもとの大きさにもどす。ベルトにつけた革製の筒にさやを差し、つかに手をかけながら林を出た。


 後ろから、ユイが声をかけてきた。


「準備は?」

「いつでもいいぞ」


 ソラがこたえると同時に、白く光る障壁が河童もどきの行く手を阻んだ。正面だけではない。ユイの障壁は、あたり一帯をぐるりと囲んでいる。


 河童もどきは、障壁の前で止まった。だが、ひるんだ様子はない。陸を振り返ると、空中にこぶし大の玉を無数に作り出し、ソラたちに向かって飛ばしてきた。


 ソラは、高速で襲いかかる水の玉を、刀で残らず斬り落とした。ユイも障壁で防いでいるはずだ。


 水の玉が効かないとわかるや、河童はすかさず水を縄のように伸ばして、ソラの足をつかみにかかった。いつものことだが、寄生霊魂はユイではなくソラばかりねらってくる。


(俺のほうが弱いって、わかるんだろうな)


 ソラは刀で水の縄を切断し、口角を上げた。


「甘く見るなよ」


 河童もどきがひるんだ。すかさず、ユイが障壁の範囲をせばめる。河童もどきは、障壁に押されるかたちで陸に追いやられた。

 ソラと河童もどきとのあいだは、およそ五メートル。


(今だ!)


 ソラは、河童もどきに向かって駆け出した。そのとき、後ろから声が飛んできた。


「待て!」


 ユイの声が聞こえた次の瞬間、河童が口から水を噴き出した。


 ソラは、さっきと同じように、河童の放った水を斬ろうとした。だが、水は刃をからめとり、またたく間にソラのからだを包みこんだ。


(まずい、息が!)

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