24. 点と点

 突然、ユイが萌菜もなに問いかけた。


「君は、何かしたか?」


 萌菜が、からだをこわばらせた。スカートを握った手が、小刻みにふるえている。


「わっ、私は……」


 つぶやくやいなや、萌菜はきびすを返して走り出した。


「萌菜!」


 継美つぐみが追いかける間もなく、萌菜は十字路を曲がって姿を消した。


 ユイが、萌菜の去っていった方角をじっと見ている。そんなユイを、継美はにらみつけた。先輩だとか、友人の兄だとかいう遠慮はいっさいない。


 ソラも、だまってユイを見つめた。

 一刻も早くマンションにもどって、ユイに詳しく話を聞きたい。だが、今は継美に気をつかうほうが大事な気がした。たとえ、人間にまぎれるため、友人のふりをしているだけだとしても。いや、ふりをするなら、なおのこと放っておくのはまずい。


 ソラの考えが通じたのか、ユイがソラに視線をよこした。


「先に帰っている」


 そう言って、ユイは一人で改札を通った。

 ソラは周囲の人目を気にしつつ、小声で継美にたずねた。


「何があったんだ?」


 継美はしばらく視線をさまよわせたのち、ソラに向き直った。


「ちょっと、私の家まで来て」



 ***



 継美の家は、ごく普通の一軒家だった。

 ソラは、継美に続いて家に入った。アロマか香水か、かすかに甘い香りがする。


「おじゃまします」


 ソラはリビングに通され、ソファーに座るよう勧められた。すでにエアコンがかかっているのはありがたい。室内は、壁もレースのカーテンも白く、ソファーも淡いベージュで、すっきりした印象だ。


「お父さんもお母さんも仕事でいないし、お兄ちゃんは昼まで寝てるから、遠慮しないで」


 継美はキッチンに向かうと、麦茶の入ったグラスを手にもどってきた。グラスをテーブルに置いて、ソラの斜向はすむかいにある一人がけのソファーに座る。


 しばらく沈黙が続いた。


 ソラは、継美が話し出すのを待った。ソラを家に連れてきたのは、人前では話せないことがあるからだ。しかし、継美はまだ、話すかどうか決心がついていないのだろう。それだけ深刻な話ということだ。


 麦茶に入った氷が、カランと音を立てて崩れた。


「あのね……」


 継美は、ゆっくりと話し始めた。


「前に、ストーカーの被害にあってる友達の話、したでしょ?」


 ソラはだまってうなずいた。


神守かみもり君に話した次の日、ストーカーの正体がわかったんだ」

「だれだったんだ?」

「それが……友達の、彼氏だった」


 ソラは、駅前で自分をにらみつけてきた男子生徒を思い出した。名前はたしか、広輝ひろきだ。


「友達がね、彼氏が携帯端末を使ってるとき、たまたま画面を見ちゃったんだって。そうしたら、友達を隠し撮りした画像が見えたらしくて」


 継美が、ひざの上でこぶしを作る。


「友達がデート中、彼氏にその話を切り出したんだって。そうしたら、彼氏が『おまえにたよりにされたかった』とか『おびえた顔がかわいかった』とか開き直って……そのうえ、友達が言い返したら、首を絞めてきたらしくて、もみ合ってるうちに一緒に池に……友達は自力で泳いで助かったけど、彼氏は今も意識不明で入院してる」


 あの池に落ちたカップルとは、萌菜と広輝だったのだ。萌菜は助かり、広輝はおぼれてしまった。

 継美が、唇をわずかにゆがめる。


「その彼氏、おぼれてるとき、友達に助けを求めてきたんだって。でも、友達は怖くて動けなかったみたい。通報も、近くを通りかかった人がしたらしいし」

「それ、継美の友達は悪くないだろ?」

「私もそう思う。相手はストーカーで、自分を殺そうとした相手なんだから、動けなくて当然だよ。でも、友達は、おぼれてるのを見てるだけだった自分を、悪人じゃないかって思ってる。彼氏を見殺しにしようとしたって……お人よしだよね」


 継美は苦笑いした。

 ソラは、声を抑えてたずねた。


「その彼氏がしたこと、警察には話してないのか?」


 継美は、ためらいがちにうなずいた。


「殺されそうになったっていっても、証拠はないし、彼氏の端末は水につかって、ストーカーの証拠もたぶん出てこない。下手に話して、あの男が目を覚ましたあと報復に来たらって思うと、友達も本当のことは話せないって」


 だから、萌菜は「ふざけて落ちた」と言ったのか。


「そいつが、目を覚ましたあと、自白するってことは?」

「あるわけない! 彼女に嫌がらせして、ばれたら殺そうとするやつが、自白なんてすると思う? 悪いことしてるって、自覚してるかさえあやしいよ」


 継美が、目に涙をにじませる。


「もっと早く、友達に言えばよかった。彼氏があやしいって。変だと思ってたんだ。嫌がらせの手紙に『彼氏と別れろ』とは一度も書かれてなかったし、その彼氏、独占欲が妙に強かったし……でも、言えなかった。友達が、あまりに幸せそうだったから」


 継美が声を荒らげる。


「あんな男のせいで、友達の人生がめちゃくちゃになるなんてゆるせない! 悪いのは、全部あいつなのに」


 継美の目から、涙があふれた。


 ソラは、麦茶の入ったグラスに視線を落とした。結露したしずくが、テーブルに流れ落ちる。

 継美に言うべきことを考えたのち、ソラはふたたび継美を見た。


「話してくれて、ありがとう。俺のこと、信じてくれたんだな」

「ねえ、私、どうすればいい?」


 継美と萌菜がこれからどうすべきか、ソラはこたえることができなかった。ソラ自身に何ができるかも、すぐには思いつかない。

 耳の奥に、ユイの言葉がよみがえる。


 ――今以上、人間にかかわるべきではない。


 ソラは、静かに息をついた。


「考えてみる」


 自分は人間ではない。人間に深くかかわることはできない。その意思がこもった一言だということを、継美は知らないだろう。

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