第二章 水にまどいて

15. 山の中で

 ソラは夜空を見上げた。

 まだ梅雨は明けていないが、今夜は晴れていた。あたりに街灯がないため、星がよく見える。


 ソラたちの故郷と人間界とでは、星の位置が異なる。だが、夏になると星の数が増えるのは同じだ。


(懐かしいな)


 人間界に来て五か月。故郷でながめた星空を思い出して、ソラは尻尾をゆらした。


 ふと、背後で物音がした。ソラの耳がぴくりと反応する。

 振り返ると、相棒兼上司のユイがポケットから鏡を取り出した。


「当主に報告か?」

「ああ。帰ってからでは遅くなる」


 ユイはもっともらしいことを言うが、実のところ、姉である当主に早く会いたいだけだということを、ソラは知っている。


 ソラもユイも人間ではなく、異界から来た狼族だ。本来の姿にもどっている今、髪は銀色で、耳は頭の上についており、尻尾も生えている。


 ソラとユイで違うところといえば、ソラは髪が短く、顔が十人並みなのに対して、ユイの髪は襟足えりあしがやや長く、顔がむだに整っているところだ。身長も、ユイのほうが少し高い。


 ソラたちは、天龍王の魂を食らった寄生きせい霊魂れいこんを退治し、その魂を取りもどすため、人間界にやってきた。


 寄生霊魂は、罪の意識に引かれて人に宿り、その魂をむしばむ。今夜の標的は、夜木原よぎはら市の北、山にある民家に住む中年の男に宿っていた。男は今、開いた玄関の前で気を失っている。


 ソラたちの世界では、寄生霊魂は光か火のかたまりのような浮遊体だが、人間界では妖怪と呼ばれるものたちとよく似た姿になる。今夜退治した寄生霊魂は、大きな猿の姿をしていた。


 ソラは、手にしていた刀に霊力をこめて、小型化した。


(今回も、はずれだったな)


 刀をポケットにしまいながら、ため息をつく。


 もう九体の寄生霊魂を退治したが、天龍王の魂を食らった寄生霊魂はいなかった。いったい、何体の寄生霊魂が人間界に放たれてしまったのやら。ほとんどは夜木原市に留まっているとユイは言うが、よそに広まったらと思うと頭が痛くなる。


「それにしても、どうやって帰るんだ?」


 ソラはあたりを見回した。


 民家はあるが、明かりはほとんどついていない。田畑があるため、かえるや虫の声がうるさいほど聞こえてくる。生ぬるい夜風に混じるのは、緑と土のにおいばかり。この国で有数の大都市とは思えない光景だ。


 山を下ったとしても、日付がかわったこの時間、バスも電車も走っていない。タクシーを呼んだとしても、人間たちにとって未成年であるソラとユイが、こんな時間に出歩いていれば、警察に補導される恐れがある。


 ソラは街の灯りを見下ろした。人間の街は、星空よりもなお明るい。きらめく街の向こうには、暗い海が広がっている。


「車があればいいのにな」


 ソラは十五歳で、ユイは十六歳だ。この国では、まだ自動車の免許を取ることはできない。

 どうしたものかと悩むソラに、ユイが視線をよこす。


「このまま、走って帰る」

「まあ、それしかないよな」


 人間の姿にもどって帰ると、住処すみかのマンションに着くころには夜が明けてしまう。


 本来の姿にもどった今のソラたちは、人間よりはるかに体力がある。だが、それでも疲れるものは疲れる。それに、人間と似て非なる姿のまま見つかったら、さわぎになりかねない。ほとんどの人間は、今のソラたちを感知できないが、中には視える者もいるのだ。


(ホワイトウルフなんて言われて、ただでさえさわがれてるのに)

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