21. 継美の悩み

 ソラが玄関を開けると、掃除機をかける音が聞こえた。


「ただいまー」


 リビングに入ると、ユイが掃除機をかけていた。

 ユイは料理がまったくできない。皿は割るし、洗濯物をたたむのも下手だ。しかし、掃除だけはできる。本来なら、上司に雑用をさせるなどあってはならないことだが、人間界でのことだし、ユイもやると言っているので任せている。


 ソラは、買ってきた洗剤をキッチンの収納にしまって、寝室に入った。

 ベッドに腰を下ろして、携帯端末を取り出す。


継美つぐみ、どうしたんだろう)


 駅で別れてから、ずっと気になっていた。

 ソラは、継美にメッセージを送った。


『疲れてたみたいだけど、何かあったのか?』


 継美からの返信は、すぐに届いた。


『べつに、大丈夫だよ』

『探偵なんて話が出て、大丈夫なわけないだろ』


 次の返信までには、しばらくあいだがあった。


『でも、神守かみもり君には関係ないことだし』

『そうかもしれないけど、一人で悩むのはよくないぞ』

『ありがとう』


 継美は、何事もないかのように振る舞おうとする。もしかすると、ソラには話せないことかもしれない。

 ソラは、次にこばまれたら引き下がろうと思って、メッセージを送った。


『困ったことがあるなら、力になりたい。片沼かたぬまさんは、こっちに来てはじめてできた友達だから』


 メッセージは既読になった。しかし、継美からの返信はなかった。


(うっとうしがられたかな)


 ソラは、ベッドの上で仰向けになった。無機質な天井を見つめながら、ぼんやりと考える。


 人間界には、任務のために来た。友人は、人間社会にとけこむために作っているにすぎない。それなのに、メッセージの返信がないことに、不安になるのはなぜだろう。


 三十分ほどたって、ソラの携帯端末がふるえた。画面を見ると、継美からメッセージが届いていた。


『直接話したいから、明日の十時、駅に来てくれる?』


 ソラはほっとしたような、嬉しいような気持で返信した。


『わかった』


 立ち上がって、リビングに向かう。


 ユイは掃除を終えて、ソファーでカップアイスを食べていた。ソラは、後ろからユイに声をかけた。


「明日の朝、出かけてくる」


 ユイは、振り返らずにたずねてきた。


「何の用だ?」

「ちょっと、クラスメイトに会いに」


 ユイがスプーンを止めた。


「人間にとけこむのはいいが、あまり情を移すな。人間たちにとって、俺たちは異質な存在だ」


 ソラは、ユイから目をそらした。


「……わかってる」


 そうこたえはしたものの、ソラはユイほど薄情になれない。

 ソラにとって、自分たちと同じような姿や思考を持つ人間に情を移すなというのは、無理な話だった。



 ***



 ソラは、改札前で継美を待っていた。今朝は雨が降っていて、傘を差した人々が通りを行きかっている。


 しばらくすると、改札の向こうから継美が現れた。ロゴの入ったシャツにショートパンツを合わせ、ロング丈のカーディガンを羽織っている。継美の私服姿を、ソラははじめて見た。なんだか新鮮だ。


「お待たせ」


 継美は、ソラに笑顔を向けてきた。だが、笑い方に力がなく、昨日よりさらに疲れて見える。


 ソラは継美とともに、近くのコーヒーショップに入った。


 店内には、コーヒーの香ばしいにおいがただよっていた。時間帯のせいか、客は少ない。

 カウンターでソラはオレンジジュースを、継美はアイスティーを注文し、ほかの客から離れた席に座った。


「それで、何があったんだ?」


 ソラがたずねると、継美はまわりの様子をたしかめてから、小声で告げた。


「私の友達が、その……ストーカー被害にあってるの」


 ソラは、継美の言う友達が萌菜もなだと直感した。だが、名前を口にはしなかった。声を落として、継美に確認する。


「ストーカーって、つきまといとか、嫌がらせとかしてくる、あの?」


 継美は小さくうなずいた。


「六月ごろから、友達の家に、隠し撮りした写真や『いつもおまえを見てる』っていうような手紙が届くようになったの。怖いし、気味が悪いよね。だから、友達が一人にならないよう、外では私や、友達の彼氏がつき添いをしてるんだ。学校の行き帰りや、休日に出かけるときなんかも」

「彼氏がそばにいたら、よけいひどいことになるんじゃないか?」


 好きな相手が彼氏と仲よくしていたら、ストーカーが嫉妬したり逆上したりしそうだが。


「それは……今のところ大丈夫みたい」

「警察には、相談したのか?」


 ソラの質問に、継美は曖昧にうなずいた。


「一応、相談はして、家のまわりのパトロールは強化してくれてるみたい。でも、ストーカーの正体がわからないから、今のところどうしようもないって。犯人を突き止める方法もないし、逃げる方法もわからなくて……どうして、友達がこんな目に」


 継美が涙をにじませる。友達のことも心配だろうが、ストーキングされている者のつき添いをするというのも、危険なことだ。この一月半、継美に心休まる日はなかったのではないか。


(限界なんだろうな)


 ソラはオレンジジュースを一口飲んだ。甘さと酸味の中に、かすかな苦みを感じる。


「わかった。俺のほうでも、どうしたらいいか調べてみる」

「ありがとう。でも、このことはだれにも言わないで。お兄さんにも」

「約束する」


 それから、ソラは継美とたわいない話をして、飲み物がからになったころ店を出た。

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