42. 鬼

 水渕みずぶち探偵事務所は、夜木原よぎはら市の中心にある。駅のまわりは夜でも明るく、人通りも多い。そんな街の路地裏で、ソラたちは水渕から連絡が入るのを待っていた。


 連絡があったのは、日付がかわる一時間ほど前だった。


 ソラたちは、水渕とメッセージで状況のやり取りをしながら、大学方面に向かった。水渕は先行し、徒歩で涼正りょうせいを追っているそうだ。事務所から大学まで、歩いて四十分ほどかかる。


 繁華街を抜けて住宅地に入ると、急に人気が少なくなった。大学に近づくにつれて、どんどん暗く、静かになっていく。

 ソラは、ふと上を見た。夜空に満月が輝いている。


(そういえば、はじめて人間界に来たのも、満月の夜だったな)


 大学の敷地が見えたあたりで、水渕から何件目かのメッセージが届いた。


『法学部前の庭にいるよ』


 ソラは、ユイと視線を交わした。そして、人の目と監視カメラがないのを確認してから、霊力を封じる装飾をはずした。


 耳が頭の上に移り、尻尾が生え、髪の色が黒から銀にかわる。感覚が研ぎ澄まされ、かせをはずされたかのようにからだが軽くなった。

 リバーシブルのパーカーを裏返して、全身を黒でおおう。


 ユイが、ソラに視線をよこした。


「行くぞ」


 ソラたちは、フェンスを越えて大学に侵入した。

 構内は緑が多く、ひっそりしていた。だが、建物の窓はところどころ明かりがついているため、無人というわけではないようだ。


 ソラは事前に頭にたたきこんだ地図を思い浮かべて、ユイとともに、指定された庭に向かった。そこもまた、緑に囲まれていた。


 水渕は、庭のすみに立っていた。その視線の先、十メートルほど離れたところに、スーツを着た涼正の姿があった。背を向けているため、表情はわからない。

 水渕がぽつりとつぶやく。


「ここは、俺がはじめて、桜ちゃんに声をかけた場所なんだ」


 ユイは、水渕を一瞥いちべつすることもなく前に出た。


「水渕は離れていろ」

「わかった」


 ソラはユイの隣に並んで、ポケットから小型化した刀を取り出した。霊力を注いで、もとの大きさにもどす。

 そのとき、涼正の肩がぴくりとふるえた。ソラたちに気づいたのか、逃げるように走り出す。


 ユイが、両腕を左右に広げて障壁を展開した。白い光の壁が、ソラたちと涼正を囲む。行く手を阻まれた涼正が左右を見たものの、逃げ場はない。


 障壁は、人間に対する目くらましにもなる。視える者が通りかかっても、内側にいるソラたちが認識されることはない。


 ソラは、ちらりと背後を振り返った。水渕は光る壁の外にいる。障壁の展開前からソラたちを認識していたため、中の様子は見えているはずだ。しかし、障壁内に入ることはできない。


 準備は整った。


 ユイが、手のひらから白い光を放つ。光は一瞬にして壁のように平たくなり、涼正にぶつかった。

 涼正のからだがのけぞる。だが、普段なら分離するはずの寄生きせい霊魂れいこんが、姿を現す気配はない。


(どういうことだ?)


 ソラは眉間にしわを寄せた。そのとき、涼正がソラたちを振り返った。


「このからだは、非常になじみがいい」


 涼正が、唇を弧の形にゆがめた。口の端から牙がのぞく。ひたいから、二本の角が生えていた。人間なら、その姿を見て鬼と呼ぶだろう。


 ユイが、涼正を見てつぶやく。


「寄生霊魂に、からだを乗っ取られたのか」

「そんなこと、ありうるのか?」

「実際、目の前で起きている」


 涼正のからだを乗っ取った寄生霊魂が、胸に手を当てる。


「おまえたちの目当ては、我ら迷える魂のみ。人間ごとは斬れきまい」


 たしかに、ソラたちは寄生霊魂を退治するために異界から来たが、人間の命を奪っていいとは言われていない。任務の一環とはいえ、人間を殺したとあっては、人間界の神がだまっていないだろう。

 なにより、ソラは涼正を手にかけたくなかった。


(どうすればいいんだ)


 奥歯をかんだソラの耳に、ユイの声が届く。


「涼正ごと斬れ」


 ソラは思わずユイを見た。


「何だって?」

「責任は俺が取る」

「いや、でも、涼正が……」


 とまどうソラとは反対に、ユイはいたって冷静だった。


「もういい。俺がやる」


 ユイの手もとに刀が現れる。小型化していた自分の刀に、霊力を注いだのだ。

 ユイは、涼正に向かって地面を蹴った。だが、数歩駆けたところで、ユイのからだを紫の光がかすめた。


 ユイが、足を止めて背後を振り返った。腕に血がにじんでいる。

 ソラもまた、光が飛んできた方向を見た。


「桜ちゃんを、斬らせるわけにはいかない」


 障壁の向こうで、水渕が銃をかまえている。

 ソラの斜め後ろから、ユイの不快そうな声が聞こえた。


「涼正は、寄生霊魂にからだも意識も乗っ取られた。放っておいても、魂を食いつくされて死ぬだけだ。もとにはもどらない」

「どうして言いきれるの? もしかしたら、死なずにすむ方法があるかもしれない」

「おまえの言うとおりだ、人間」


 涼正の声を借りて、寄生霊魂が水渕に告げる。


「私は、この男と共生しよう。三夜に一度、ほかの人間の魂をかじる程度に食う。それを見逃せば、あとはこの男が好きに生きることをゆるす」

「……いいよ」


 水渕が小さくうなずく。その瞬間、ソラは背後に殺気を感じた。あわてて振り返ると、寄生霊魂がソラに向かって爪を振りかざしていた。涼正の顔には、不敵な笑みが浮かんでいる。


「涼正に、そんな顔させるな!」


 ソラは刀で爪を弾いた。しかし、すぐに二手目が来る。


(涼正を傷つけるわけにはいかない)


 決して早い攻撃ではない。一撃が重いわけでもない。だが、ソラは涼正のからだ相手に反撃することができなかった。ひたすら爪を防ぐしかない。


 ソラが五手目の爪をかわしたとき、視界の端で白刃がひらめいた。

 いつの間にか、ユイが涼正の斜め後ろに回りこんでいた。しかし、ユイが刀を振るおうとしたとき、そのからだをふたたび紫の光がかすめた。


 ユイが足を止めて、障壁の外にいる水渕をにらみつける。


「じゃまをするな。寄生霊魂は、人の魂を食らうだけの存在。約束を守るわけがない」

「けど、なにもしなければ、桜ちゃんは君に斬られる。大切な人が目の前で殺されるのを、君はよしとするの?」


 ユイは目をすがめた。口を開いたものの、なにも言わずに唇をかむ。

 ソラは涼正の爪を受け流しながら、ユイにたずねた。


「どうする?」

「いったん退く」


 ユイが、寄生霊魂に背を向けて走り出す。


「了解」


 ソラもまた、突きつけられた爪を思いきり弾いて、障壁の外に出た。

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