5. 『夜光スミレの調』

 ソラが自分の席にもどると、前の席で継美つぐみがノートに何かかいていた。手の動きからして、文字ではなく絵のようだ。


「何描いてるんだ?」


 ソラが手もとをのぞきこもうとすると、継美はノートにおおいかぶさった。


「なっ、なんでもない!」

「そっか」


 ソラとしても、たいして興味があったわけではないので、無理にノートを見ようとは思わなかった。

 弁当箱をリュックにしまい、机から次の授業の教科書を出したところで、ソラは図書館に行ったユイのことを思い出した。


「そういえば、片沼さんって小説とか詳しい?」


 ノートを閉じた継美が、からだごとソラを振り返る。


「まあ、人並み以上には詳しいと思うけど、なんで?」

「俺の兄貴が小説にはまってるみたいで、おすすめがあったら教えてほしいんだけど」


 次の瞬間、継美の目がきらりと光ったような気がした。


「フッフッフッ……それを私にきいちゃいますか」


 ソラは、わずかにからだを引いた。


(俺、まずいこときいちゃった?)


 身の危険を感じたものの、一度口に出してしまったことを、いまさらなかったことにはできない。


 継美はスクールバッグから一冊の文庫本を取り出すと、鼻息荒く語り出した。


「これ『夜光スミレの調しらべ』っていう人気の和風ファンタジー小説。略してヤコシラね。時は大正、伯爵家に仕える女中の主人公が、お邸で起きた怪事件を解き明かすってストーリーなんだけど、妖怪や伯爵の子息、旅の陰陽師なんかがからんできて、バトルありロマンスあり。ファンタジー好きだけでなく、謎解きや恋愛ものが好きな人にも、ぜひおすすめしたい一作なんだ。三月はじめに出たんだけど、発売後に即重版。作者の日渡ひわたりしずさんは、新人賞を受賞した新進気鋭の実力派で、ほんと面白いから。ソラもお兄さんも絶対に気に入るから、読んで!」


 継美が、勢いよく本を差し出してくる。

 ソラは継美の迫力に気おされながらも、本を受け取った。


「ありがとう」

「返すのはいつでもいいから。私、家にもう一冊、保存用があるから」

「ああ、うん……わかった」


 ソラは、あらためて文庫本の表紙を見た。そこには、着物姿の少女と洋装の男、それに妖怪らしきシルエットが描かれていた。タイトルはやや細めの字で『夜光スミレの調』と縦書きされており、タイトルの横に『日渡静』と作者名が書かれている。


(ユイ、読むかな?)


 とりあえず渡してみよう。そう考えたところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。



 ***



 授業が終わり、ソラはスーパーで食材を購入してから、マンションにもどった。


「ただいまー」


 ユイは先に帰宅しているはずだが、返事はなかった。リビングにも姿がない。

 ベランダにつながるガラス戸の前に、洗濯物を入れたかごが置いてあった。ユイが取りこんでくれたようだ。


(できれば、たたんでおいてほしかったけど……)


 前にユイが洗濯物をたたんだときのことを思い出して、ソラはかぶりを振った。人には適材適所というものがある。

 ソラは食材を冷蔵庫に入れてから、寝室に向かった。


「ユイ、いるか?」


 扉を開けると、ユイはソラのベッドに腰かけて、ノートパソコンを開いていた。飴をなめているのか、ほおが少しふくらんでいる。


(机があるんだから、そっちで作業すればいいのに)


 ソラは、部屋に入って右側、小さな机の横にリュックを置いた。そして、たたんであるユイの布団の上に座った。せまいからか経費削減のためか、ベッドは一台しか用意されていない。


 雪狼せつろう家は、ソラたちの家賃や学費をはじめ、人間界での生活費をすべて出してくれている。だが、寝室が一部屋の物件だったり、携帯端末が格安の料金プランだったり、エアコンの設定温度が決められていたり、節約に余念がない。


 もちろん、何にいくら使ったかは報告しなければならないし、場合によっては経費として認められないこともある。

 ソラは、スーパーのレシートをユイに渡した。


「これ、経費精算よろしく」


 ユイはレシートを受け取ると、ざっと目を通してからキーボードを打ち始めた。


「それから……」


 ソラは手を伸ばして、リュックから文庫本を取り出した。継美から借りた『夜光スミレの調』だ。


「これ、クラスの人間から借りたんだけど、読むか?」


 ユイは、ソラの持つ本の表紙をじっと見つめていた。しばらくすると、パソコンを閉じて本を受け取る。


「ああ」


 どうやら興味はあるようだ。ソラはユイの好みを当てられたことに、なんとなく優越感を覚えた。

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