第8話 初決闘は一方的に

「それでは、これよりオリギネット・フォメートとポーファ・エネーヴの決闘を始める」


 実地で使える人間を育成する、が教育理念のネトワ学園。


 当然実戦訓練にも重きを置いており、その敷地内には観客席まで備えた立派な修練場が設えられていた。

 衝撃が観客席に届かないよう、結界まで敷かれているという至れりつくせりっぷりである。


 現在、その観客席は半埋まりといったところだった。

 ネトワ学園では生徒間の決闘、及びその観戦が認められているのだ。


 流石に命の危険が生じた際には止めに入るが、真剣勝負――文字通りの真剣を用いた戦いである――を推奨してすらいる。

 「若いモンは、血気盛んなぐらいが丁度いい!」が初代学園長の口癖であったという。


「両名共、学園生としての誇りと節度を持って戦いに臨むように」


 今回、この決闘の立会人を務めるのは当代の学園長たるパス・インターフ老だ。


 普通であればどちらか、あるいは両方の担任教諭が立会人となるのが通例だが、パス学園長自身が「危険」を理由に自分がやると強弁に主張した形だ。

 若い教師陣は首を捻っていたが、比較的年配の教師たちは青い顔で学園長に賛同したという。


「良いか、節度を持ってじゃぞ? 相手だけではなく、修練場も壊さんようにな? ちゃんと節度を持つんじゃぞ?」


「はい」


「? はい」


 やたら念を押すパス学園長に、ポーファがあっさり、オリギネットがやや疑問混じりに、それぞれ頷いて返す。

 ポーファの『保護者』が学生時代に残した数々の所業について、知っている者とそうでない者の差と言えよう。


「では両者、構えて」


『はい』


 今度は二人声を揃えて返事した後、一定距離まで離れたところで構えた。


 といっても、ポーファは身体を弛緩させて棒立ちしているのみ。

 豪奢な剣を抜いたオリギネットが眉を顰める。


「それが、君の構えなのかい?」


「はい」


 オリギネットの問いに、ポーファは気負いなく答えた。


「そうかい……なら、いい」


 納得いかない様子ながらも、オリギネットは両手で剣を握り構える。


「一応言っておくが、受けた以上手加減は出来ない。多少の怪我は覚悟してくれたまえ。学園専属の治療師は腕が良いから、その点は安心してくれて良い」


「そうですか」


 睨みつけるオリギネット相手に、やはりポーファは泰然とした態度で答えた。


「……入試の結果が上だからといって、実力まで僕を上回っているとは思わない方がいい。僕は騎士団の訓練に混ざって、魔物との実戦も経験している」


「肝に銘じておきましょう」


 ポーファの立ち居振る舞いにも、声にも、一切の揺らぎはない。


「……学園長」


 これ以上の会話は無駄と悟ったか、オリギネットはパス学園長に目配せを送った。


 パス学園長も頷く。


「始め!」


 そして、鋭い声でそう宣言した。


「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」


 先に動いたのはオリギネットだ。

 開始の合図と同時に駆け出し、一気に距離を詰める。


「しっ!」


 初撃は、鋭い上段斬り。

 狙いはポーファの肩口か。


 それを、ポーファは一歩も動くことなく迎え撃った。


 といっても、ポーファの取った行動は一つのみ。


 そっと、優美にすら見える遅さで右手を動かしただけだ。


「んなっ!?」


 しかしたったそれだけで、オリギネットの剣は外れることとなった。

 剣の腹に添えられたポーファの右手が、その軌道を逸らしたから。


 オリギネットの顔は驚愕に染まっている。


 当然の反応と言えよう。


 剣で受け流すならば、わかる。

 それは、線と線による対応だからだ。


 それでも、相応の技量は必要となるわけだが……まして、指で剣の腹に触れるとなると点と点。

 十分に剣速の乗った一撃相手に狙うなど、普通は考えることさえない。


「くっ……!」


 それでも、オリギネットは果敢に剣で攻め立てた。


 袈裟斬り、横薙ぎ、切り上げ、刺突。

 フェイントを織り交ぜ、死角を狙い、無理に剣筋を変化させてまで多種多様な攻撃を繰り出す。


 しかし、ポーファには当たらない。

 どんな角度、どんな速度、どんな距離であっても、対応は変わらなかった。


 ただ、指で剣の腹を押して軌道を逸らす。

 それだけだ。


 決闘開始から十分以上経過して、一歩分すらも動いてはいない。


 圧倒的な力量差がなければ、こうはならない。

 それを突き付けられただけで、心が折れてもおかしくはない場面だ。


 それでもまだ諦めようとしないオリギネットを支えるのは貴族としての矜持か、中等部時代にトップを取り続けてきたという自負か。


「これならどうだ!」


 オリギネットは後ろに跳ぶことで距離を取り、目の前に巨大な火球を生み出した。


 火系統魔法、『熱塊』。

 上級に分類される強力な魔法だ。


 炎球は猛烈な速度でポーファに迫ったが、それが当たる直前にポーファの目の前に水の巨球が出現する。


 水系統魔法、『溺球』。

 恐らく、見た者のほとんどはそう判断したとこだろう。


 しかし、炎の球と水の球がぶつかり合った結果……両方が、消えた。


 水が炎を消火したわけではない。


 炎が水を蒸発させたわけでもない。


 まるで、初めからそこに何も存在しなかったかのように消滅してしまったのだ。


「アン……ニヒレイション……?」


 オリギネットが呆然と呟いた。


 アンニヒレイション。

 完全に真逆の構造を持つ魔法同士がぶつかり合った際に、両方の魔法がその魔法構造を食い合って消滅する事象のことだ。


 ただ属性を逆にすれば良いというわけではなく、込められた魔力の量、そして個人に大きく依存する魔法構造の『癖』までを含めて全て真逆に再現しなければアンニヒレイションは発生しない。


 つまり先程ポーファが生み出したのは、結果として『溺玉』のような形となっただけで、厳密に言えば水魔法ではなくオリギネットが放った魔法への反魔法だったのである。


「そんなことが、あり得る……の、か……?」


 オリギネットは、半信半疑という表情である。


 もっとも、それは彼に限ったことではない。

 観客席の生徒たちはもちろん、危険に備えて控えていた教師陣、果ては立会人であるパス学園長まで唖然とした表情を浮かべている。


 先程までポーファの神技に沸いていた修練場は、今やシンと静まり返っていた。


 それもそのはず。

 アンニヒレイションは、実戦で使われるような技術ではない。

 そういう事象が存在する、ということを示すために授業で実験的に使用される程度だ。


 なにしろ魔法の構造を読み解くだけでも相当な知識と技量が必要である上、それをそっくり真逆にして再現するともなれば更にその何倍にも難易度は跳ね上がる。

 熟練の教師が自身の構築した魔法の反魔法を生成するのにさえ、授業一コマ分は費やす必要があるのだ。


 まして他人の構築した魔法への反魔法ともなれば、世界中に目を向けても見たことがある者さえ希少だろう。

 それは例えるならば、他人が右手で描いた絵を自身の左手にて、丸っきり逆の順序でそっくり反転させて描くようなものである。


「……参ったね、これは」


 意外にもと言うべきか、やはり当事者だからと言うべきか。

 その場で逸早く我に返ったのは、オリギネットであった。


「僕の負けだ。どうやら、勝負になる次元ですらないようだね」


 剣を収め、両手を上げる。


「ん、お、あっ……? あ、おー……えー……勝者、ポーファ・エネーヴ!」


 それを受け、多分に動揺を残しながらもパス学園長が決闘の終了を宣言したのだった。

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