第20話 彼の日の願いは結実に
時は、今から十年前。
場所は、今は亡きフィジカ帝国帝都。
その日、帝城は建設以来初めてとなる侵入者を迎えていた。
その数、九。
とある国の騎士団長、世界で最も広く学ばれている武術流派の師範、表の世界を追放された異端の治療師、歴代最速でSランク冒険者にまで上り詰めた魔法師、等々。
肩書き、出自は様々である。
唯一共通するのは、我こそが各分野で至高の存在であるとの自負を持っているという点。
事実、全員その実力は世界でも有数のものであったと言えよう。
癖の強い連中ではあったが、それぞれ強者に対する敬意は持っており、連携に問題が生じるようなこともなかった。
自分たちであれば、どんな難関だろうと突破出来る。
誰もがそう信じて疑っていなかった。
実際に、掛け値なしの、他の追随を許さぬ程の、『世界最強』と対峙するまでは。
それでも、結果的に言えば。
彼らは、魔王討伐というその任を果たすことには成功した。
なぜならば、魔王と呼ばれた彼女も結局は人の子で。
そして、人の親だったためである。
十人入り乱れての激しい攻防は、多数の保護魔法に守られた帝城の建材ですらも耐えきれぬ程だった。
城を破壊しながら戦いの場を移していった一行は、ついにそこに辿り着く。
辿り着いてしまった。
その部屋では、幼い少女が、更に幼い少年を抱いて震えていた。
二人が魔王の血脈を受け継いでいることは、すぐにわかった。
その麗しい見目は、既に彼女と彼にも表れていて。
そして、何より。
その場に至った時、魔王が初めて動揺を見せたから。
文字通り致命的なまでの隙を、生む程に。
そしてそれを見逃す程、見逃してやれる程、此度の面々は弱くなければ甘くもなかった。
全員がそのボロボロの身体に残った最後の力を振り絞り、魔王に一撃を加えた。
それらは初めて魔王に対しての有効打となり、同時に死に至らしめる傷ともなった。
喜びを露わにした者はいなかった。
子供の目の前で母の命を奪ってしまったことに、大小あれど全員が罪悪感を覚えていた。
とはいえ、彼らの間に弛緩した空気が流れたのは事実だ。
唯一、魔法師として『それ』の兆候を感じ取ったセクレト・エネーヴを除いては。
その後の行動について、なぜ自分がそうしたのかは十年が経過した今でもわからない。
ただ単に、最も手近にいたからなのか。
自分の中にもあった罪悪感がそうさせたのか。
あるいは今際の際に我が子たちへと向けられた、母の視線に何かを感じ取ったからなのか。
わからないが、ともかく。
セクレトは少女と少年を掻き抱いた。
それから詳細な場所も定めず、ありったけの魔力を注ぎ込んで転移魔法を発動させた。
直前で、瞬く間に広がってきた『黒』がセクレトの右半身を飲み込んだ。
それが、帝都の大部分を消滅させた魔王の『最期の魔法』であったと。
セクレトが知るのは、もう少し後のことであった。
◆ ◆ ◆
気が付けば、セクレトは地面に倒れ伏していた。
雨が降っている、と思った。
液体の流れる音は、しかし自分の身体から溢れ出す血液が奏でているものだった。
それを他人事のように、セクレトは己の左目で確認した。
どういうわけだか、右目はさっぱり見えなかった。
否。
右目だけではない。
右半身の、ほとんどが消滅している。
その事実を、セクレトはやはり他人事のように受け入れた。
(そうか……俺は、死ぬか……)
至極素直に受け入れられたことに、自分自身が意外に思った程だ。
(あぁ、そうか……)
けれど、その理由にはすぐに思い至った。
(もう、生きる理由もなくなったしな……)
最強たらんと思っていた。
少なくとも魔法の道においては、至高の域に手をかけているという自負があった。
とんだ思い上がりだった。
(あんな高みが、あったなんてな……)
魔王の使う魔法は、セクレトの想像の域を大きく越えていた。
ほとんど、何をしていたのかすらわからなかった。
それでも、仮にセクレト以外の者が魔法師として参加していたならば。
恐らく、パーティーは開戦数秒以内に壊滅していたことだろう。
そんなものは、何の慰めにもならなかったが。
(最期に、わかって良かった)
物心ついた頃から、最強の魔法師に憧れた。
どんなにふざけて見えてもその実、二十年近くに渡って鍛錬を欠かしたことはない。
だからこそ、わかる。
(俺じゃ、
魔王が倒れた今、現在の世界における最強ということであれば。
あるいは、セクレトが手を挙げることも可能だろう。
しかし既に、セクレトにとってそんなものはもう何の価値もなくなっていた。
(未練は、ない)
本心からの気持ちだった。
実際、セクレトの心は凪のように穏やかだ。
ゆっくりと、目を閉じる。
もう左目の視界も随分とぼやけていたから、見える景色はあまり変わらなかった。
と。
ポツリ。
何かが、セクレトの顔に降り注いだ。
やっぱり、雨が降っているのだと思った。
「っく……」
けれど、雨音にしては妙なノイズが混ざっているような気がした。
「ひっく……」
しかも、どうにも耳につく音だ。
(最期の最期に、なんだってんだ……)
このまま無視して、眠りにつこうかとも思った。
けれど、それではどうにも収まりが悪いような気もした。
(ったく……)
だから、セクレトは再び瞼を持ち上げることにした。
たったそれだけの行動に、とんでもない労力を費やす。
(ま、人生最後の重労働も悪かねぇ……)
そんな風に考えながら、どうにか目を開けた。
先と同じくらいの苦労を伴って、焦点を結ぶ。
「ひっく……」
すると、そこに。
(女の、子……?)
とても、意外なものを見たような気がした。
けれど、数瞬後に気付く。
(あぁ、魔王の娘か……)
自分が連れてきたのだから、そこにいて当然だ。
同時に、自身の顔に降り注いでいるのが雨ではなく彼女の涙であることも理解した。
これも、直前に彼女が見たものを考えれば納得出来る。
(悪いな……)
心の中で、謝罪する。
彼女の母を殺したことを。
その上更に、どこかすらわからない所に連れてきてこれ以上何もしてやれないことを。
「……さい……」
(何を、言っているんだ……?)
少女は何かを呟いているようだったが、今のセクレトでは聞き取るのが困難だった。
「……いで、ください……」
しかし、少しずつその音がクリアになっていく。
「死なないで、ください……」
(あぁ……)
ようやく聞き取れた声に、セクレトは今度も納得を得る。
(ごめんな、お前の母親はもう俺たちが……)
再び、心の中で謝罪。
「死なないで、ください……」
(それとも、『魔王』なら自分の死すらも乗り越えてたりすんのかな……)
ぼんやりと、そんな益体もないことを考える。
「死なないでください……」
と、そこで。
「死なないでください、おにーさん……!」
「……あ?」
続いた言葉に、セクレトは疑問の声を上げた。
上げることが出来た。
「死なないで……」
そこでようやく、現状を正しく認識する。
少女は、ただ泣いていたわけではない。
セクレトに、回復魔法をかけていたのだ。
セクレトの命の炎が、再び燃え上がることは決してない。
しかし彼女の回復魔法により、一時的に身体が再生していた。
それ自体は、それほど驚くべきことでもない。
少女は、六歳くらいだろうか。
セクレトでさえも、その歳でこれだけの魔法を扱うことは出来なかった。
だが、魔王の娘ということであれば合点もいく。
問題は、彼女の動機だ。
「何の、つもりだ……」
再生しているとは言っても、多少に過ぎない。
文字通り身体が引き裂かれる痛みを伴いつつも、セクレトは尋ねずにはいられなかった。
「俺、は……お前の、母親……を……」
ゴフ、と咳き込む。
ビチャリと盛大に血が吐き出された。
「でも……」
鼻を啜り、しゃくりあげながら、少女は懸命に言葉を紡いでいる様子だ。
「でも……おにーざんは……わだじだぢを、助けてぐれまじだ……」
「は……?」
少女の答えに、呆けた声を返すことしか出来なかった。
助けるも何も、危機に巻き込んだのは他ならぬ自分たちだ。
それを、幼さゆえの無知誤解と断じるのは簡単だろう。
けれどセクレトは、そうは思わなかった。
少女の目に確かな知性を読み取り、全てを理解した上で言っているのだと確信出来た。
その上で、セクレトの死を悼んでくれているのだと。
それを、とても尊く感じた。
少女の幸福を願わずにはいられなかった。
このまま朽ちていくだけの身を、何一つとして彼女の力になってやれないことを。
初めて、心残りに思った。
「あっ……!」
そんなセクレトの内心を恐らくは察することもなく、少女が小さく声を上げる。
そして、胸元からペンダントを取り出した。
「お母様が……どうしても、死なせたくない人がいたら……これを持って、祈れって……」
希望の光を見出したように、少女は泣きはらした顔に笑みを浮かべる。
「待……が、ふっ……!?」
静止の声を上げようとしたセクレトだが、代わりに口から出てきたのは血の塊だった。
少女の回復魔法が止まったことで、再び死に向かう速度が上がったのだ。
それ自体は、何ら問題はない。
むしろ、セクレト自身が望んでいたことだ。
けれど。
「お願いです、お母様……」
少女の願いは、止めなければならないと思った。
漠然とした予感に過ぎない。
しかしその願いは自分などのために使われてはならないものだと、直感的に悟った。
「おにーさんを……」
「や、め……」
けれど、身体はおろか口すらも満足には動かない。
口から出てくるのは、言葉ではなく血ばかりだ。
そして。
「助けてあげてください……!」
それは、願われてしまった。
◆ ◆ ◆
「笑えるだろう?」
コーストに向けて、セクレトは笑った。
「たかだか六歳の小娘が、自分より更にちっちゃな弟抱えて、目の前で母親殺されて」
皮肉げな笑みではある。
「それで願ったのが、赤の他人の、それも母親を殺した当人の無事だってんだ」
けれどそこには、どうしようもない程の愛おしさが溢れていた。
「その時に、俺は思ったんだ」
それは、体裁としてはコーストに対して語っている言葉ではある。
「こんな願いを抱く奴が、泣いていていいはずがないと」
けれど実のところ、半ば以上セクレトの独白であった。
「俺にゃ、あの子を幸せにすることなんてできねぇだろう」
セクレトが、笑みを深めた。
「それでも」
今度は、皮肉げな色はない。
「ほんの少しでも、あの子が流す涙の量が減らせるならと思ってな」
心からの笑みだった。
「俺は、死に損なうことにした」
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