第5話 闖入者は徒労と共に

 エネーヴ家に入ってきたのは、熊のように大柄な男性だ。

 顔も体格に見合った厳つさで、ヒゲモジャのそれは山賊の頭領と言われても違和感はないだろう。


 しかし、ここに集まった一同の中に恐怖を表す者はいなかった。


「あれって~、冒険者ギルドの~」


「ギルド長……だよね?」


 リースとサリィの二人も、彼の肩書きを知っていたらしい。


 冒険者の互助組織、冒険者ギルド。

 依頼の取りまとめや冒険者の身分保証等、冒険者にとって無くてはならない存在だ。


 当代でその長を務めるのがこの男、ターム・コンフィである。

 現役時代は自身も優秀な冒険者であったため、冒険者たちからの信頼は厚い。


 その見た目に反して事務作業も卒なくこなすらしく、歴代の中でも優秀なギルド長として知られていた。


「セクレト! てめぇ、こんなとこで何やってやがんだ!?」


 もっとも、セクレトに食って掛かるその姿は荒くれ者そのものであったが。


「何って、飯食ってんだけど?」


 屈強な冒険者たちを一喝で黙らせるタームの怒声を受け、しかしセクレトは平然とそんな風に返した。

 それどころか、切り分けたコカトリスの肉を口の中に放り込んでモグモグと咀嚼している。


「そういうことを聞いてんじゃねぇんだよこっちゃあよぉ!」


 今にも切れてしまいそうな程こめかみに血管を浮かび上がらせ、タームが更にセクレトへと迫る。


「今日はグレートドラゴンの目撃情報に関する調査隊組むって言っといただろうが! 万一マジでいた場合、お前がいなきゃ話になんねーんだぞ!?」


「だって、今日はポーファの入学式だぜ? ドラゴン探しに行ってる場合じゃねぇだろ」


「場合だわ!? ってか、何を天秤にかけてやがんだ! そんなもん比べるまでもないだろうが!」


「確かに、比べるまでもなく入学式の方が重要だしな」


「話が通じねぇ!?」


「いや、全部通じた上でこの判断に至ってるんだけど?」


「余計にタチが悪ぃわ!?」


「まー、いいじゃん別に。ドラ公は討伐しといたんだしさ」


「いいわけあるか!? 確かに眉唾モンの情報ではあっけど、無視するわけにゃいかねーだろ! マジだったら洒落になんねーんだぞ!」


「いや、情報自体は合ってたぜ? 実際いたし」


「だったら尚更だろうが!? お前、仮にグレートドラゴンなんかが街に近寄ってきた日にゃあどんだけの被害が……!」


 興奮した様子で捲し立てていたタームが、ふと「ん?」と首を傾けた。


「ん?」


 なぜか、セクレトも首を傾け返す。


「おめぇ、今なんて言った?」


「ん? って言ったんだけど。えっ、この距離で聞こえてなかった?」


「そこまで直前の話はしてねぇよ! じゃなくて……ひょっとして、ドラゴンを倒したって言ったか?」


「いや? ドラ公は討伐しといた、って言ったんだけど?」


「細かい言い回しの違いはどうでもいいわ! おま、それ……」


 途端、タームの身体から力が抜けた。


「そういうことは早く言えよ……」


 口調も弱々しいものとなる。

 なんとなく、身体全体が萎んだようにすら見えた。


「ちゃんと、受付のねーちゃんには言ってきたっつの。つーか鍛錬場に死体置いてきたんだけど、あんなデカいもん見てねーの?」


「お前がいねぇって話だけ聞いて、すっ飛んできたからな……」


「報連相は大事だぜ?」


「あぁ、うん……」


 最早、タームには反論する気力も残っていない様子である。


「しかし、そうか……倒しちまったか……一人で……」


 納得とも呆然ともつかぬ調子で呟く。


「つか実際、小龍程度ならともかくグレート級になると一人じゃないと・・・・・キツいっての。俺を殺す気か」


「うーむ……お前の場合は確かに……いや、けどなぁ……うーん……」


 腕を組み、タームは悩ましげに唸った。


「せっかく人集めたのに、無駄になっちまうと色々文句が出んだよなぁ……」


「ドラ肉一塊貰ったから、俺の報酬はそれだけでいいよ。後は、参加予定だった奴らで分けてくれ」


「大半の奴ぁそれで大喜びだろうが……龍殺しって名前目当ての奴もいるからなぁ……」


「じゃあ、俺に挑んでくればいいじゃん? 上手くいったら、龍殺し殺しって名乗れるぜ? ただの龍殺しより格好よくね?」


「……まぁ確かに、それもそうか」


 セクレトの言葉に、タームの表情も徐々に緩んでくる。

 結局のところ、タームも大多数の冒険者の例に漏れず割と脳筋思想であった。


「しかしおめぇ、やるならせめて俺に一言断ってからやれよな……滅茶苦茶焦っちまったじゃねぇか……」


 もっとも、未だセクレトへの恨み言は尽きぬ様子だったが。


「だって、そしたら入学式に向けて身だしなみ整える時間なくなっちまうかもしれないし」


「身だしなみと冒険者ギルド、どっちが大事なんだよ……」


「その答え、本当に聞きたい?」


「いや、いいわ……」


 タームが疲れたように溜息を吐き出した。

 恐らく、答えが容易に想像出来たのだろう。


「なんだ、元気ないな? まだ昼なのに、お疲れか?」


 不思議そうに、セクレトがタームの肩を叩いた。


「誰のせいで疲れたと思ってんだよ……」


「さぁ? 俺の知ってる奴?」


「あぁ、誰よりもよく知ってるだろうさ……」


「しかし果たして本当に、俺がこの世で一番俺のことをわかっていると断言出来るかな? 俺は、結構自分で自分のことがよくわからなくなるぜ? 今だって、なんでこんなことを言い出したのか俺自身が困惑してる」


「こっちはもっと困惑しとるわ……」


 再び、先程よりも深くタームが溜息を吐き出す。


 それを見て、セクレトがポンと手を打った。

 次いで、ニッと笑う。


「さては腹が減って力が出ないんだな? しゃあないな、飯食ってけよ。だいぶ多めに作ってあるしさ」


「何か釈然としねぇが……まぁ、いただくわ」


 言って、タームはドッカと空いた椅子に腰を下ろした。


 そこで初めてその存在に気付いたかのように、リースとサリィの方に目を向ける。


「悪ぃな、嬢ちゃんたち。お騒がせしちまってよ」


「あ、いえ……!」


「お、お気になさらず~……!」


 呆然と事態の推移を眺めていた二人も、それで我に返ったらしい。

 慌てた様子で首と手を激しく横に振った。


「私……今、信じられないことを聞いた気がするんだけど……」


「私も~……」


 そして、ヒソヒソと話し始める。


「グレートドラゴンを単独撃破なんて~、そんなこと出来る人~……私~、一人だけ知ってるかも~……」


「奇遇だね、私もだよ……」


「ポーファちゃんの家名がエネーヴで~……」


「それから、さっき入ってきた時のギルド長の呼びかけ」


 ゴクリと喉を鳴らした後、二人は一度大きく頷きあった。


「あの~」


「つかぬことを伺いますが……」


 そして、セクレトに向けて小さく手を上げる。


「貴方様のお名前は、セクレト・エネーヴ様……で、しょうか……?」


 恐る恐るといった調子で、リースがそう尋ねた。


 セクレトは一瞬キョトンとした表情を浮かべた後、納得顔となる。


「悪い悪い、そういや自己紹介してなかったっけ? おっしゃる通り、俺はセクレト・エネーヴっていいます」


 セクレトの答えに、リースとサリィの顔が驚きと喜びに染まった。


「史上最速、十九歳でSランク冒険者に至った天才魔法師の!? ですよね!?」


「はー、よく知ってんね」


「みんな知ってます~! 学園の卒業生の中でも~、一番有名だと思います~!」


 二人がセクレトを見る目は、今や畏怖と尊敬に満ちたものだ。


「マジで? やっぱ、触ると三日くらい手からネギの匂いが消えなくなる呪いがかかる魔法陣で歴代学園長の肖像に落書きしたのが有名なわけ? それとも、勝手に鍛錬場の扉を増やした上で最上級の封印魔法かけて開かずの扉を捏造した件? いや、あれか。食堂に住み着いてるシルキーにデザートのレシピを教え込んで、しれっとメニューに加えといたやつが効いてる?」


「いえ、あの……冒険者としての実績が有名で……というかその辺りのことって、セクレト様の仕業だったんですね……」


「私~、シルキーちゃんのデザートメニュー凄く好きです~……」


 セクレトが喋る度に、彼女たちの表情は半笑い気味に変化していった。


「そ、それはそうと!」


 その微妙さを振り払うかの如く、殊更明るい顔でリースが手を叩く。


「長らく消息不明って聞いてましたけど、帰っていらしてたんですね! というか、もしかしてなんですけど! 最近この街にSランク冒険者が来たって噂、あれってセクレト様のことですか!? Sランクなんて、滅多にいるもんじゃないですし!」


「魔法を一切使わず剣一本であらゆる敵を打ち倒して~、付いた二つ名が『神剣』だって聞きました~」


「なに? 今、俺ってそんな風に呼ばれてんの?」


 セクレトがタームに顔を向けた。

 タームが肩をすくめたのは、肯定を示したのだろう。


「ついでに、滅多に依頼を受けねぇギルド泣かせの不良冒険者だって話も広めといてくれ」


 自身の頭程もあるロックバードのゆで卵に齧り付きながら、タームがゲンナリとした声でそう付け加えた。


「よし任せろ! めっちゃ拡散するわ!」


 それに対して、真っ先に反応したのは誰あろうセクレトである。


「なんでお前が乗り気なんだよ……」


「だって、そうすりゃ指名依頼も減るかもしれないじゃん?」


「どんだけあったところで、どうせほとんど受けることねぇだろお前……」


「なるほど、さもありなん。確かにそう考えると、あんま関係ないな。拡散するのはやめとくか」


「出来たら、依頼を受ける方向で改善してもらえませんかねぇ……」


「残念だがその願いは、俺の力の限界を越えている。別の奴に頼んでくれ」


「お前が駄目だったら誰に頼みゃいいんだよ……」


「神様とか?」


「教会にでも通うようにすっか……」


「ちなみに、俺は神的存在に出会ったら真っ先に斬り倒そうと心に決めてるが」


「あぁ、なんかおめぇなら斬れそうな気がするわ……やっぱ神に縋るのはやめとくか……」


「そうだな、なんでもかんでも神頼みにするのはよくないもんな」


「俺的には、たった一つだけ願い事を叶えてくれりゃあそれでいいんだがな……」


「本当に叶って欲しいたった一つの願いに限って叶わない……世の中って、残酷だよな」


「俺のたった一つの願いが叶うのを誰より阻んでるお前が言うと説得力が違うな……」


「なにせ俺は学園生時代に先生方から、説得力がないことに対しての説得力については他の追随を許さないと言われた男だからな!」


「学園の先生方とは美味い酒が飲めそうだ……」


 セクレトとタームが、そんなやり取りをする傍ら。


「セーくんさんって~、セクレト様のことだったんだね~」


「無職どころか、伝説の冒険者だったとは……」


「それに~、兄妹だったんだ~」


「つまり、最初からポーファの冗談だったわけね」


「すっかり騙されちゃったね~」


 ホッとした様子で、リースとサリィがヒソヒソと話していた。


 どちらの会話に混ざることもなく、ポーファはただ微笑むのみで。


「冗談でもなければ、騙してもいないんだよねぇ……」


 ガードが半笑いで、誰にも届かないそんな呟きをポツリと漏らした。

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