第4話 メルヘン能力

エリナがうちに来てから大体2週間が経過した。

その期間の間にお母様と新しいお父様(今後、面倒なのでそのまま『お父様』と呼ばせて頂きます)は婿入りの形で再婚、エリナは正式に私の妹になった。


この2週間、私は『メルヘン・テール』についての情報を紙に書き出してまとめる事に専念していた。

いくら私が描いた漫画とは言え、25歳当時の私にとってはもはや7年前の漫画である事、自分の中でも黒歴史の様に扱われていた事もあって、細かい設定とか結構記憶が曖昧な箇所も多い。

もちろん、物語の大筋は覚えているんだけどね。

まず、今この瞬間の時系列は本編の開始前…、いわば前日譚に当たる。

『メルヘン・テール』の第1話は今から大体1年後…。

私とエリナが14歳になって、メルヘン能力保持者専門教育機関・フェアリー学園に入学してから始まる。

ここで改めて、メルヘン能力について説明しておこうと思う。

メルヘン能力、正確に言えば作中では単に”メルヘン”と呼ばれるそれは、私の漫画『メルヘン・テール』で一番の中核をなす設定だ。

シンデレラや赤ずきん、ジャックと豆の木等、西洋に伝わる様々なおとぎ話。

それらのおとぎ話をモチーフにした特別な特殊能力、それがメルヘンだ。

と言っても、『メルヘン・テール』の作中にモチーフになった童話が実在しているわけではない。

あくまでも現実世界の読者視点でお馴染みの童話がモチーフになっているだけで、この世界の人に『シンデレラ』とかグリム童話の事を聞いてもさっぱり通じないのだ。

なので、この世界に住んでいる人にとっては、メルヘンの能力を所謂”魔法”の様なものだと認識し、使用している。

メルヘンを使えるようになるためには、その才能に恵まれた一部の人間が、14歳までに激しい感情の爆発を経験する必要がある(15歳以降はたとえ覚醒する素質のある者であってももうメルヘンには目覚めない)。

例えば、原作の『メルヘン・テール』では、ヒロインのエリナは原作のアタシ(アグネス)に日々虐げられる中で、己の不甲斐なさ・存在価値の無さを痛感。

己の存在自身に絶望してメルヘンの能力に覚醒した…という経緯がある。

ところが、今私が存在しているこの世界では、私…つまりアグネスがエリナを虐めていない。

よって、このままだとエリナがメルヘン能力に覚醒しない可能性がある。

「…それは、ひょっとしてまずいんじゃないの?」

私は冷や汗をかく。

フェアリー学園に入学出来るのは、メルヘンの力に目覚めた14歳の能力保持者のみ。

このままエリナや、ついでに私がメルヘン能力に覚醒しなければ、私達はフェアリー学園に入学出来ない事になる…。

私とエリナが入学出来なければ、本編主人公のトオルがエリナと出会わなくなり、そこから波及的に色んな影響が及んでこの漫画のメインキャラが皆ロクに出会わないまま世界の崩壊を迎える事になってしまうだろう。

「ど、どうしよ…。

最悪私はメルヘンに目覚めなくても良いけど、エリナは絶対目覚めないと今後の物語の進行に大きく影響を及ぼすよね~…。

けど、かと言ってエリナの能力を私が人為的に目覚めさせるなんて多分出来ないし……。


多分一番確実な方法は…、原作通り”アタシ”がエリナを虐めて精神的に追い詰める事、だよねぇ…?」

無意識にニタ~ッと上がる、私の口角。


「…、はっ!?」

バチン!と私は両手で自分の顔をひっぱたいた。

「また、アグネスとしての”アタシ”に引っ張られた…!

ダメよ私、エリナは私の大切な妹…!

絶対幸せにするって決めたじゃない!!!」

気を抜くと、前世の記憶を思い出す前の”アタシ”としての考え方が滲み出てしまうのが最近の悩みの種だ。

やっぱり、どこまで行っても今の私はアグネス・スタンフォードなんだなぁ…と痛感させられる。

「ほんっと…、我ながらしつこいよねぇ。

アグネスとしてのアタシは一体いつまでエリナの事を一方的に嫉妬して憎んでるんだか……。

早く下らないプライドなんて捨てて、心の底からエリナと仲良くなりたいな」

自分で作っておいてなんだけど、アグネスとかいうキャラクターの下らない理由で一方的な憎悪をエリナに向け続けるその熱意が心底恨めしい。

流石、自分の欲望だけで暴れ回って『メルヘン・テール』の人気を地の底に落としただけの事はあるヘイトキャラだ。


すると、部屋の外から扉を叩く音がする。

「…失礼します、お嬢様」

アイラさんの声だ。

「良いわよ~!どうぞ!」

私の声に呼応し、アイラさんはお辞儀をしながら部屋に入る。

「お嬢様、間もなくエリナ様とのお約束のお時間ですのでお呼びに参りました」

「あっ、そうだったそうだった。

すっかり夢中になって忘れてたわ!

呼びに来てくれてありがとう、アイラさん!」

「…?え、えぇ…」

私の言葉を聞いたアイラさんは、相変わらず戸惑い気味にぎこちなくリアクションする。

前世の記憶が戻って以降、屋敷中の使用人さんを集めてこれまでのひどい扱いを何度も謝罪したけれど、やっぱり今までが今までだったからただただ戸惑われるばかりで、私と使用人さん達の距離感は中々縮まらない…。

いや、もうこれは本当に以前の私が100%悪い案件だ。

解決するにはとにかく私の誠意を見せ続けるしか無いだろう。

本当にごめんなさい、ひどい事をしてきた使用人の皆さん…!


部屋着から外で動きやすい服に着替え、待ち合わせの庭先へ向かう。

名門家系だけあって、うちのお屋敷の庭はかなり広い。

この2週間で屋敷の中の案内は概ね終わったので、今日はうちの庭をエリナに紹介する約束だった。

家族になったのだからいつでも会えるのでは?と最初は思っていたけれど、平民からスタンフォード家の一員になった事でエリナは屋敷の皆から毎日マナーや所作の指導を受けており、中々会える時間が作れない。

そこで、大体3日に一度の頻度で事前にお母様にお願いして、私がこの屋敷を案内する時間を確保させてもらったのだ。

「お、お姉様…!お待たせいたしました!」

おっと、ちょうどエリナが到着したみたい。

「エリナ~!こっちこっち!」

右手で手招きしながら、私はこちらに歩いてくるエリナの姿を見た。

毎日お風呂に入れるようになった事で、シルクの糸の様にキラキラ輝いている金の髪。

衣服もまだエリナのためのドレスが届いていないので昔の私が着ていたやつのお下がりだけど、すごく綺麗なかわいらしいものを着ているので、エリナがこの家に来た時の髪や衣服が汚れてしまっていた姿と比べて見違えるように美しくなっていた。

いや~…、やっぱりエリナはすごくかわいい!

身なりを整えた事で、改めてその容姿がドール人形の様に美しい事を痛感させられる。

「今日はうちのお庭を案内するわね!じゃあ、行こっか!」

「はい…!」

私はエリナを連れて、うちの庭を一周グルッと回った。

庭師の方が毎日整えている木々や、屋敷で使うためのフルーツを栽培している果樹園ゾーン、人工的に作られた小池等を見せて、簡単に解説する。

これまでごく普通の平民として暮らしてきたエリナはとてもカルチャーショックを受けているようで、目を丸くさせて驚きながら私の解説を聞いてくれた。

…それにしても、スタンフォード家の庭なんて漫画家としての私はデザインをした覚えが無い。

そもそも庭が映る回想シーンが無かったからだと思うのだけれど、この世界には漫画『メルヘン・テール』に映っていなかった存在や場所についてもしっかりと存在している。

私が作った物語の世界なのに、私の知らない場所がある…。

そう考えると、何だか不思議な気分になった。


「まぁざっとこんな感じね!どうだった?私の説明でちゃんと伝わった???」

「も、もちろんです…!今まで生きてきた中ではとても見る機会が無かったものばかりで、本当に驚くばかりでした…」

そう笑顔で答えるエリナ。

…けれど、その表情にはどことなく陰りが滲み出ている気がする。

「…どうしたの、エリナ。何か悩んでる事とかあったりする…?」

やっぱりまだこの家に来たばっかりで、不安な事も多いのかも…。

心配になって、私はつい聞いてしまう。

「……この家に来て2週間。お姉様や新しいお母様、屋敷中の皆さんにはとても優しくしていただいています。

本当に感謝してもしきれません。

…でも、そうやって優しくしていただく度に、何だか場違いな気がして…。

私は昔から地位の低いただの平民として生きてきました。

誇れる事も人より上手く出来る事も何もありません。

何の価値も無い人間です。

それなのに、ある日突然お父さんの再婚でスタンフォード家という高貴な家の一員になる事になって、大富豪の様な毎日を過ごす事になって…。

私なんかにこんな暮らしを送らせてもらう資格は無いのにって、怖くなってしまったんです…」

エリナは虚ろな目で、心に抱えた思いを吐露してくれる。

…そっか、エリナはこの家に来た時点でもうこんなに自分の不甲斐なさ・自分への無価値さを感じてしまっていたんだ。

こんな状態のエリナに原作のアグネスが暴力を振るい、虐げ続ければ、確かにエリナがメルヘン能力に覚醒するのも納得だった。

けど、私は知っている。

エリナは無価値な人間なんかじゃない。

あなたは知らないだろうけど、1年後、フェアリー学園に入学して一人の少年と出会ってからのあなたは、心優しくて、それでいて芯の強さも併せ持つ、『メルヘン・テール』でも特に人気の高いメインヒロインになる。

『メルヘン・テール』の事をあまり快く思っていない漫画家としての私でも、エリナのキャラ造形は会心の出来だと自負している。

だから…、そんな事思わなくて良いんだよ!

私は口を開いた。

「そんな事無いわよ、エリナ。価値の無い人間なんていないと私は思う。エリナにもきっと…」

しかし。

「良いんです!

どうせ私は…、お母さんが死にかけている時も…、お父さんがお母さんの死に目に会えなかった事を後悔している時にも…、何も声をかけられない意気地無しなんです……!

お父さんがどうして新しいお母様と再婚したのか、本当は私のためだってわかってるんです。

でも私は、お母さんと暮らした思い出の家を捨ててまで再婚したお父さんの事が、心の奥底で許せなくて…!

身なりだけでなく心の内まで醜い…!

本当に生きてる価値の無いゴミのような人間なんです……!!!」

「……」

私は、言葉が出なかった。

どうしてそんなに思い詰める必要があるのだろう。

そんなに美しい美貌を持って、将来的に主人公のトオルを始め数多くの登場人物達をその溢れ出る優しさで救う事になると言うのに、どうしてそんなに自分を卑下できるのかと。

…もちろん、冷静に考えればそれは私が『メルヘン・テール』の作者であり、未来の展開を知っているからこそ抱ける印象である。

でも、今この瞬間の私には、そんな事を考えられる心の余裕が無くて。

恵まれた才を持ちながらそれに気付かず自分を下げ続けるエリナを見ている内に、私の心には、あの『ドロドロとした嫉妬心』が沸き立ち始める。

吊り目悪人面の私より何倍も美しい人形の様な美貌を持つあなたが?

お母様からの愛を恵んでいただいているあなたが???

価値の無い人間ですって???

あなたに価値が無いのなら、私はもっと下の価値の無い人間だと言うの???

ふざけるな、撤回しろ、身の程を弁えろ―。


ガシッ!!!

「っ!?」

突然両肩を力強く握られて驚くエリナ。

でもそんなの関係ない。

「エリナ…。あんた、ふざけんのもいい加減にしなさいよッ!!!」

”アタシ”が、目覚めた。

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