第6話 いざショッピングへ

早いもので、エリナがうちに来てからもう半年の月日が経過した。

私とエリナの仲はとても良好で、私の中の”アタシ”もあの時暴走して以来表には出て来ていない。

平和な毎日だった。

…そうなると、ますます頭を悩ませる事になるのが私とエリナの”メルヘン”が未だに未覚醒な事で……。

「『メルヘン・テール』の第1話の時系列に到達するまであと大体6ヶ月。

それまでに私とエリナ…、最悪エリナだけでもメルヘンの能力に覚醒しないと、フェアリー学園に入学出来ない…。

エリナが入学出来ないとそもそも物語自体が始まらないのよね~…」

『メルヘン・テール』は主人公のトオルとヒロインのエリナが出会う所から物語が始まるボーイミーツガールストーリーだ。

だから私はいなくても良いとして何としてもエリナだけはフェアリー学園に入学してもらわないと、あまりにも今後の物語に支障をきたしてしまう…。

困ったなぁ……。

「アグネス様、また”まんが”なる物を描いてたんですか???」

「わぁっ!?!?!?」

突然横から話しかけられ、私は飛び上がりそうになる。

「い、いたのねエリナ…。

気が付かなくてごめんなさい」

「いえ、私の方こそまた勝手に部屋に入ってきてしまってごめんなさい…!

どうしてもアグネス様とお会いしたくて…!!!」

あれからどんどん私と仲良くなって行ったエリナは、こんな風に扉をノックする事無く私の部屋に入って会いに来る事が多くなった。

この間まではあんなに引っ込み思案で大人しかったのに、最近はどんどん明るい性格になって来ていて嬉しい限りだ。

「それにしても、アグネス様は本当に絵がお上手ですね…!

その紙に描かれている建造物も、まるで本物の様に緻密に描き込まれていますし…」

エリナが見ている紙には、私が今後の事を計画しながら描いていたフェアリー学園の校舎のイラストが描かれている。

一瞬慌ててしまったが、幸いエリナに見られてまずい情報は何も書き込んでいなかったので、ほっとして胸を撫で下ろした、

「あっ、ありがとうエリナ。

私、絵を描くのだけは自信あるんだ~…」

アグネスとしての体に生まれ変わってからも、魂は漫画家・渋谷翼の物であるおかげか、生前と同じように思うように絵を描く事が出来た。

このお屋敷…、というかこの世界には娯楽が少ない。

本はあるけれど、ほとんどがノンフィクションの書き物で、空想の物語を描いた本はあまり普及していなかった。

これは恐らく、『メルヘン・テール』の世界において”おとぎ話”というものが存在しないという風に私が設定してしまったが故の事態だろう。

流石に週刊少年アドバンスで連載中はそんな事してる暇は無かったけれど、本来私は漫画やアニメと言った創作物を見るのが趣味なオタク気質。

なので、あまりにも私好みの娯楽が無いこの環境に耐えられなくなり、ついには暇な時間にちょっとした読み切り漫画を描くようになった。

流石に元の世界の事を描くのはまずいので、あくまでもこの世界の人が読んでも違和感を感じない設定の物語だ。

…3回打ち切られる位には続き物の物語を書く才能は全然無い私だけど、幸い読み切り漫画なら前世の頃から得意だったのが功を奏した。

そして、そんな風に漫画を描いている途中でさっきのようにエリナが部屋に入ってきて見られてしまったので、『漫画』という概念をエリナに教えた。

最初は見た事も無い形式の絵物語に戸惑っていたエリナだったけど、段々慣れてきて、今では私の描く漫画の一ファンになってくれている。

…なんだか、私がこの世界における『漫画』という概念の創設者になってしまったような気がするけど、まぁ仕方が無い。

そんな事を言いだしたらそもそもこの世界を生み出したのは私だし…。

「ところでアグネス様。

お母様が先程、私とアグネス様で久しぶりに町に行ってみてはどうかと提案して下さりました。

一緒に行きませんか!?」

「そっか~、そう言えば最近は忙しくて中々行ってなかったわね。

良いわよ、一緒に行きましょう!」

「ありがとうございます、嬉しいです!」

エリナがうちに来てから一ヶ月程経った頃から、お母様の提案で私とエリナは定期的に町へ出かけるようになった。

曰く、社会勉強のためにこの屋敷以外の外の世界も見て学びなさい、という事だ。

「そうと決まったら準備しなくちゃね。

アイラさ~ん、馬車の準備をお願いしまーす!」

「かしこまりました、お嬢様」

私の声を聞いて、外で待機していたアイラさんがすぐに馬車の手配を始めた。

あれから半年も経つと、流石に少しずつ使用人の皆さんとも打ち解けられるようになってきた気がする。

特にアイラさんとはこうやって頻繁に関わる機会が増えたから、最初の頃あんなに私の事を怖がっていたのが嘘のように距離が近くなったと思う。

外行き用の着替えを済ませ、家の門の前に向かうと、小さな馬車の用意が既に済んでいた。

私とエリナが馬車に乗り込もうとすると、お母様が「ちょっとお待ち」と私の服の袖を引っ張った。

「良い?アグネス。

いつも口を酸っぱくして言ってるけど、これは遊びじゃなくて社会勉強だから、あまり羽目を外しすぎないようにしなさいね!

市場で無駄遣いもしない事!

それから知らない人や怪しい人には絶対に…」

出た、お母様の過保護!

お母様は昔から私の事を甘やかしてくれたけど、こういう風に屋敷の外に出る機会があると人が変わったように過剰な心配をしてくるのだ。

「あ~あ~もうわかってるわよ!!!

外行く度にお母様から聞かされてるからもう全部覚えました!!!

しっかり気を付けます!!!!!!」

”私”としての記憶が蘇る前はお母様に対していつもおべっかを使っていたからこんな口答えする事は無かったけれど、今ではこんな風に自然に親子らしい会話も出来るようになった。

「よろしい。

エリナちゃんはアグネスと違ってお利口さんだから心配いらないわね~。

どうかお姉ちゃんの子守をお願いね」

「はい、お任せ下さい!」

「ちょっとお母様!エリナ~!それどういう意味!?」

和やかな空気に包まれる私とお母様とエリナ。

…こんな風に日頃からお母様にエリナと私を比較して下げられていたから、原作のアグネスは余計に嫉妬心を拗らせちゃったのかなぁ?

まぁアグネスはお母様からの比較の言葉をかけられる前から勝手に一人で憎悪の炎を燃やしていたけれど。

改めて、私とエリナ、そして付き人としてアイラさんが馬車に乗り込み、雇われた運転手さんが手綱を引っ張って馬車は動き出した。

「行ってらっしゃ~い」

「「行ってきまーす!!!」」

見送ってくれるお母様に手を振って、私とエリナは馬車に揺られながら町へ向かう。


「さ、着きましたよ、お二人共」

アイラさんの声と共に馬車の扉が開かれると、そこにはうちの屋敷から一番近い大衆市場が広がっていた。

老いも若きも男性も女性も、本当に多種多様な人が至る所に溢れている。

「やっぱり普段から屋敷に閉じこもってると、人がたくさんいるだけでテンション上がっちゃうわね~!」

前世の私は別にそんなにアウトドア派なわけでもなく、むしろインドア派な位だったけれど。

流石にほぼ一年中屋敷の中か、もしくは親交のあるスタンフォード家と同じ位名高い名門家系との交流によるお出かけ位しか外出機会の無い環境に置かれれば、たまには屋敷の人以外の誰かを見たくなるのも当然だった。

「馬車は二時間後に出発予定ですので、それまでにこの場所に戻って来られるように行動しましょう。

お二人共、わたくしの傍を離れないで下さいね?」

「「はい!」」

馬車を離れ、アイラさんの近くに密集しながら、私とエリナはいつものように行きつけのお店を回る。

アクセサリーショップや書店、普段は中々食べる機会の無いちょっとした屋台食を食べたりして、三人で楽しい一時を過ごした。

「いや~、美味しかった美味しかった。絵の参考に出来そうな画集も手に入ったし、今回のお出かけも大漁ね!」

「私も気になったアクセサリーを買えて嬉しかったです!」

「…しかしお嬢様、いつもの事ですが案の定今回も予算オーバーです。

恐らくお母様に厳しくお叱りになられるかと…」

あちゃ~、またやっちゃった。

お出かけの時は毎回お母様からのお小遣いという名目で町で使って良い金額の上限が決まっているんだけど、一度だってその上限を守れた試しが無いんだよね~。

だってお母様の決めた金額の範囲だと本を何冊か買ったらもう上限に達しちゃう位少ないし…。

「…お嬢様。

失礼ながら、屋台で食べ物を購入する時にわたくしの分まで購入しなければもう少し予算に余裕が出来るのではないでしょうか?」

確かに屋体で美味しそうな物を買う時は毎回三人分買ってるけど…。

「何でアイラさんだけ我慢する必要があるの?」

私はアイラさんに問いかける。

「何で、って…。わたくしはただの使用人で、お二人と並び立つ資格は……」

「あるに決まってるじゃない!

アイラさんはいつも私達のお世話をしてくれる家族の一員だし!

ねっ、エリナ!」

「もちろんです!

私だって元はただの平民。

アイラさんだけが我慢する必要なんて無いと思います!!!」

私とエリナの言葉に、アイラさんは混乱した様な表情を浮かべる。

「っ…!?

…お嬢様、エリナ様。

その…、ありがとう、ございます」

少しだけ頬を赤らめて照れているアイラさんを見て、私とエリナは微笑み合った。



「まぁ、それはそれとして。

予算オーバーの件はお母様にしっかりと叱って頂きますからね」

「ひ~ん、厳しい!」

「大丈夫ですよアグネス様!私も一緒に叱られますから!」

そろそろ帰りの馬車の出立時刻が迫っているので、私達は和やかなムードで談話しながら馬車の場所まで戻っていた。

「一緒に叱られても何も大丈夫じゃないって~!」

「うふふふふ…!!!」

いつものように馬車に乗る、はずだった。

「じゃあお説教の後に私が慰めまs」

エリナがそう言いかけた瞬間、謎の突風が私達の間をすり抜けて行った。

「っ…!?」

シーン…。

風の名残は一瞬にして消え、辺りをうろつく人々の声が聞こえてくる。

「随分と強い風でしたね…。

お二人共、怪我はございませんか?」

「えぇ、私は平気。

エリナは大丈夫?」

私がそう言ってエリナの方を向いた瞬間、私とアイラさんは異変に気が付いた。

「エリナ……?」

「エリナ様!?」


エリナが、いない。



「エリナ!?どこ!?」

私は辺りをキョロキョロと見渡す。

しかし、エリナの姿はどこにも見当たらない。

「お嬢様!足下に紙が!!!」

アイラさんに言われて下を向くと、私の足下に一枚の紙切れが落ちている。

急いで拾い上げてペラリとめくると、裏側にはこんな文章が書かれていた。


『この娘は預かった。

返して欲しければ、指定の場所まで現金10億ウィンを持ってこい』


「あ、あぁぁ…!

なんて、こと……!!!」

手紙を読んだアイラさんが、その場に崩れ落ちる。

ウィン、というのは『メルヘン・テール』の世界にある通貨の事だ。

つまり…。

「エリナは身代金目的で誘拐された…!?!?!?」

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