第7話 作者の手
「わたくしが、わたくしが着いていながら…!」
アイラさんはエリナを守れなかった悔しさで、地面を拳で殴った。
「…けど、誘拐されたって、あの一瞬で!?
そんな事出来るわけ……っ!?」
そこまで言いかけて、私は察する。
「えぇ、通常なら不可能です。
しかし…、”彼ら”なら可能でしょう」
…そうだ。
この世界で、こんな事が出来る存在と言えばただ一つ。
「”メルヘン”の力に目覚めた、能力者なら……!!!」
アイラさんの口から”メルヘン”という単語が出た瞬間、私は絶望で胸が張り裂けそうになった。
「やっ…ぱり…」
間違いない。
あの一瞬だけ吹いた強い風。
あれは何らかのメルヘン能力だ。
悪意を持ったメルヘン能力者がエリナを誘拐した、それしか考えられない。
しかし、私は一つの違和感を抱く。
エリナがメルヘン能力者に誘拐される、なんてイベントは私が描いた原作の『メルヘン・テール』に存在しないのだ。
それもそのはずだ、そもそも原作のエリナはアグネスに屋敷で虐められていて、町に買い物に行く機会なんて無かったのだから。
でも、私がアグネスになって、エリナと仲良くなって、原作と違う道筋を進んだせいで、『エリナが誘拐される』という原作に存在しない未知の展開が起こってしまった。
原作者である私ですら知らない展開。
それは当然、その展開に関与しているメルヘン能力者の能力もまた、『原作者の私が知らないメルヘン能力』である可能性が高いと言う事…!!!
「こんな…、事って…!!!」
まさか、こんなに早く私が原作を改変してしまった弊害に出会う事になるとは思ってもいなかった。
「私のせいだ…。
私が展開を変えちゃったから、エリナは…!!!」
「何を仰ってるんですか!
お嬢様のせいでは御座いません!!!」
もちろん、私が展開を変えた事に後悔があるわけじゃない。
原作通りならアグネスがエリナを虐めていたのだから、そうはならずに私とエリナが仲良くなれたのは素晴らしい事だ。
問題は、この事態を私がしっかり予測して対策を取らなかった点だ。
私が原作の『メルヘン・テール』に無い展開に導けば、それに比例して原作との矛盾…、綻びが生まれる。
その綻びによって、原作の物語に存在しない未知の展開が発生する事位、わかっていたはずなのだ。
当然、その未知の展開が『アグネスとエリナが仲睦まじくなる』という良いイベントだけでなく、私達に牙を剥くバッドなイベントである可能性も…。
「私は無意識に考えないようにしていたんだ…。
毎日エリナ達と楽しく日常を過ごして、この日常に牙を剥くイベントなんてきっと発生しないはずだって…」
作品が作者の手を離れる。
それは、恐ろしい事だ。
普通、自分の描いた作品が作者のコントロールを離れる事は無い。
でも、作者の手を離れて、作者にも予想が出来ない動きをするようになった作品は、作者にすら制御が出来ない…!
「全部私のせいなんだ…!
作者の手を離れた『メルヘン・テール』にどんなイベントが発生しても良いように思考を働かせるべきだったのに、そうしなかったからエリナは…!エリナは…!!!」
「お嬢様…?
さっきから一体何のお話を…!?」
憎い。
私は私が憎い。
全ての登場キャラが幸せな結末を迎えられるようにするんじゃなかったのか???
かつて無責任にこの世界を滅ぼした原作者として、今度こそこの世界とこの世界の住民を幸せにしなくちゃいけない責任があるって決めたじゃないか。
なのに愚かな私は一度ならず二度までも、エリナを不幸な目に遭わせるのか???
「良いわけ無い…!
そんな事あって良いはずが無い……!!!
エリナは、皆は、幸せにならなくちゃいけないのに…!!!
それをこのクソ悪女は…!
結局、自分の事しか考えてないから……!!!」
右手が熱い。
左手も燃えるように熱い。
でもどうでも良い。
ただただ『前世の記憶を思い出して聖女にでもなったつもりのクソカス悪女』への怒り、憎しみ、それだけが私の中を埋め尽くしていく。
「いい加減にしなさいよ、アグネス・スタンフォードぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!」
ボッ!!!!!!
突然耳をつんざく大きな音に、私は我に返る。
下を向くと、右手と左手が、灰色のオーラに包まれている。
「……へ?」
間抜けな声が出る私の喉。
「お、お嬢様…?
まさか、それは……!?」
これって…。
まさか……。
「”メルヘン”能力ぅぅぅぅぅぅ!?!?!?」
メルヘン能力の覚醒条件は、『激しい感情の爆発』である。
覚醒した者は、実際の能力の内容とは別に両手にオーラが浮かぶようになる。
本来の物語において、アグネス・スタンフォードのメルヘン能力は『エリナへの憎悪』で覚醒する。
エリナがスタンフォード家に来て、毎日の様にエリナを虐げるアグネス。
しかし、それでも尚、時々顔を合わせるお母様とお父様は自分よりもエリナをかわいがる。
…実際はエリナだけを優遇しているわけではないのだけれど、当のアグネス本人はそう感じてしまっていた。
募る憎悪、燃え盛る嫉妬の炎。
それらがピークまで達した瞬間、原作のアグネス・スタンフォードはメルヘン能力に覚醒した。
しかし、私…渋谷翼が転生したアグネス・スタンフォードはエリナへの憎悪を心の底に封じ、エリナと仲良くなる事によって、このイベントが発生しなかった。
だから今日までメルヘン能力が発現しなかったのだ。
それが、今…!
「…もしかして、『私自身への激しい憎悪』を抱いたおかげで、覚醒条件を満たせたの!?」
エリナではなく、自分自身へ憎悪を燃やした結果、メルヘン能力の発現に成功した…!!!
「だったら……」
私が今、取るべき行動は…。
「…アイラさん。
私、この紙に書かれた指定場所に行って、今目覚めた”この力”でエリナを助けに行ってくる」
「なっ…!?」
これしか考えつかなかった。
「いけません!!!
何を言ってるんですか!?
相手は誘拐犯、それもメルヘン能力者です!!!
使用人であるわたくしや、ましてや13歳の子供のお嬢様には危険すぎます!!!
今すぐ屋敷に帰ってお母様に報告、騎士団に通報するべきです!!!」
「確かに、無謀なのはわかってる!
でも、お母様に報告して、騎士団の到着を待っていたら、エリナの安全が保障出来ない!!!
相手がメルヘン能力使いの犯罪者ならなおさら、こちら側の金銭の用意を真面目に待ってるとは思えないの!!!
最悪、私達がお金を準備している間にエリナはどこかに売り飛ばされて、お金を持ってきた私達を殺してお金だけ奪って逃げていく可能性もある…!!!」
「そ、それは…!」
私が描いた『メルヘン・テール』にエリナの誘拐イベントは存在しない。
けれど、この『メルヘン・テール』の世界の治安が非常に悪い事は間違いなく私自身の手によってそう設定してある。
今さっきアイラさんに熱弁した『誘拐した子供を売り払って身代金を持って来た相手を殺して金を奪う』という手口も、単行本の設定紹介おまけページに”そういう実例がある”と書いた事があった。
作者である私がそう設定してしまった以上、この世界において最悪の場合それが実際に発生する可能性は0ではないのだ。
「確かにお嬢様の言い分にも一理あります!
しかし、やはり危険すぎる!
いくらお嬢様にメルヘン能力が備わったからと言って、いきなりそれを使って悪しきメルヘン能力者と戦うのは無理があります!!!
許可出来ません!!!」
「…わかった。
じゃあ、アイラさんは急いで馬車に乗ってお母様にこの事を知らせに行って。
もしもの事があったら、私の代わりに騎士団の人達にエリナを助けてもらえるはず。
少しでもエリナを助けられる可能性が高くなるわ。
それじゃ、頼んだわよ!アイラさん!!!」
アイラさんの制止を振り切って、私はその場から駆け出した。
「待って下さいお嬢様!
お嬢様ぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ごめんなさいアイラさん…!
私が今、無茶苦茶な事しようとしてるのはわかってる。
けど、万が一にでもエリナを助けられなかったらと思うと我慢出来なかったの…!!!
「待っててね、エリナ。
私が絶対…!助けてみせる…!!!」
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