第5話 アグネスの目覚め
さっきまであんなに優しかった相手が突然激昂して全力で両肩を握ってくる。
さぞかし恐ろしい事だろう。
現にエリナは事態が呑み込めず、おろおろとした表情で困惑している。
でもそんな事知った事か。
もう我慢ならない。
徹底的に言ってやる。
この”アタシ”がッ…!!!
「エリナぁ…、アタシはねぇ。
あんたが自分を徹底的に卑下し続けて悪く言い続けるのがずっと気に入らなかったのよ!!!
この家に来た時からウジウジウジウジ。
『私は何の価値も無い人間だから許して下さ~い』とでも言いたげな目でこっちを見つめて来て!
その癖本当はアタシなんかより何倍も美しい美貌にそれに見合う性格の良さを持ってる!!!
何が『生きてる価値の無いゴミのような人間』よ!?
あんたが生きてる価値の無いゴミなら、アタシは今すぐ死ぬべきこの世の病原体よ!!!
あんた、アタシにそう言いたいわけぇ!?!?!?」
「そっ…、そんなわけ、無いです……!!!
お姉様は私にも優しく接してくれる本当に素晴らしいお方で…!」
「じゃあ自分の事を無駄に悪く言うのを辞めなさいよ!
そんなアタシの何億倍も天に恵まれた様な優れた才を持ってるのに自己嫌悪され続けたら不愉快なのよッ!!!
自分を誇りなさい!!!
今の自分が誇れないのなら、誇れる自分になれる努力をしなさい!!!」
「自分を…、誇る……?」
「この家に慣れなくて緊張するのは構わない!
でも、自分を悪く言うのは今日この瞬間を持って禁止するわ!!!
あなたはもう平民じゃないの。
スタンフォード家の一員になったのなら、誰に見られても恥ずかしくない誇れる自分らしさを持つ事!!!
次自分の事を卑下したら…、アタシが絶対許さないから。
…良いわね???」
吊り上がった目で、アタシはギロリとエリナを睨み付ける。
「…、はっ!?」
……と、その瞬間、一時的に弱まっていた”私”が正気に戻った。
ヤ……、ヤバいぃぃぃぃぃぃっ!?
私、ついうっかり私の中の”アタシ”の嫉妬による憎悪に飲み込まれてエリナをボロカス言ってしまった…!
最悪最悪最悪最悪!!!
せっかくこうならないように私の中のアグネスを押さえつけてきたのに~!!!
「ご、ごごごごご、ごめんなさいエリナ!!!
私、つい心にもないひどい事をベラベラと喋ってしまって…!!!その~…!!!」
私は慌ててエリナの両肩から手を外し、全力で土下座した。
どうしよ~っ!!!
これじゃ結局『メルヘン・テール』本編と同じように私がエリナを虐めてしまった事になってしまうんじゃ…!?
…しかし。
「あれっ…?」
顔を上げると、エリナはその青い瞳から涙を流してはいるものの、泣きじゃくっているわけではなく、まるで放心状態のようになっていた。
「…確かに、お姉様の言う通りです。
私はずっと、お父さんや今のお母様、お姉様に大事にしてもらっていたのに、その私が私を悪く言ったら、皆さんの事も悪く言っているのと同じになってしまう…。
ずっと独りよがりな考え方をしていたせいで、気が付く事が出来ませんでした」
そう言って、エリナは私の両手をギュッと握り締める。
「私が間違っていました…!
お姉様を始めとした皆さんにいただいたご厚意に恥じぬよう、私が胸を張って誇れるような、そんな自分になれるよう精一杯精進させていだだきます!
その事に気がつけたのも、お姉様が私にかけて下さった言葉のおかげです!
本当に、ありがとうございました!!!」
パァァっとこれまでで最も眩しい笑顔を見せながら、エリナは私にそう言ってくれた。
「あ、あれっ…?
えっと、その、どういたしまして…?」
おかしい、私の中の”アタシ”の思うままに暴走してひどい事を言ったつもりだったんだけど、どういうわけか結果的にエリナを元気づける事に成功したようだ。
う~ん…、これは一体どういう事なんだろう。
正直”アタシ”としての感情に支配されてエリナに思いをぶつけていた時に、自分がエリナに何て言っていたのかあまりよく思い出せない。
でも、”アタシ”としての感情が強く表に出すぎてしまうとこんな風に暴走してしまう危険があるのはあまりにもまずい。
今回は結果オーライだったけれど、今後二度とこのような事が起こらないように自分の感情の制御をもっと訓練しなくちゃね…。
それにしても、どうやらエリナとの距離が少し縮まったみたいでそこは嬉しい。
…そうだ、せっかくだから。
「ねぇ、エリナ」
「はい、お姉様!何でしょうか?」
「あの~、エリナはいつも私の事を”お姉様”って呼んでくれるけど、私とエリナって生まれ年自体は一緒じゃない?
時期としては確かに私の方が若干早く生まれてるけど、実際には同い年みたいなものだし、もし良かったら”お姉様”じゃなくて気軽に名前で呼んでくれないかな?」
「えっ!?お姉様の事をお名前で!?
そんな、私には恐れ多いですよ~!!!」
「良いのよ気にしなくて!
確かに名義上は義理の姉妹だけど、私はもっと気軽に、友達みたいにエリナと話せるようになりたいの!
…あ、もちろんエリナが嫌だったら強制はしないけど……」
エリナは少し下を向いて考えた後、再び私の方を向いて答えた。
「……わかりました!
これも誇れる私になるための第一歩だと思って…!
とは言えいきなり呼び捨てをするのはとても恐れ多いので、これからは”アグネス様”とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
名前呼び!
どこか壁を感じる”お姉様”呼びよりも、エリナと親しくなった気がする。
「もちろん大歓迎よ!
改めて、これからもよろしくね、エリナ!」
「はい!ふつつか者ではございますが、いつかあなたのお隣に胸を張って立てるような、そんな存在になれるよう頑張ります!
これからもよろしくお願いいたします、アグネス様!!!」
エリナと私はお互いの手を強く握り合い、長く長く握手を交わし続けるのだった。
それから数日後、エリナはお父様と改めてちゃんと話し合う事を決意した。
エリナから『私にも見ていて欲しい』と言われたので、扉の隙間からそっと覗き込む。
室内では、机を挟んでエリナとお父様が向かい合っている。
「…お父さんとこうして二人きりになるのも随分久しぶりだね」
「そ、そうだな…」
お父様はどこか気まずそうだ。
少し重い空気が漂う中、勇気を振り絞ってエリナが口を開いた。
「……お父さんはさ、今の…、新しいお母様の事をどう思ってる?」
「そうだな…、素晴らしい人だと思ってるよ。
僕みたいな元平民にも一切の偏見の目を向けず、一人の男として愛してくれた。
それに、僕達親子を家族として受け入れてくれた。
本当に、あの人には頭が上がらないよ…」
「…じゃあ、さ。
私の…、本当のお母さんの事は?」
エリナが恐る恐るそう口にすると、部屋内の空気が一瞬にして凍り付く。
エリナもお父様も、お互い緊張感に満ちた表情で、外から覗いてる私にもその雰囲気が伝わる程だ。
長い沈黙が続く中、ついに口を開いたのは、お父様だった。
「愛してるに…、決まってるだろっ……!!!」
涙が滝のように流れ落ち、顔中グチャグチャになりながら、お父様は号泣した。
「一生をかけて…、幸せにするって誓ったんだ…!
なのに僕は…、あの人の最期の瞬間に立ち会えなくて…!
ずっっっと後悔してる……。
もうこの傷は一生埋まらないんじゃないかと思う程に……!」
きっと、心の底から奥さんの事を愛していたのだろう。
お父様の思いが痛いほど心に響く。
「…エリナ、きっと君から見た僕は、お母さんの死に目に会わず、すぐにお金持ちの新しい妻と結婚した薄情者なんだろう。
それは完全には否定出来ない。
僕は最低の夫にして、最低の父親だ。
でも、これだけは信じて欲しい。
僕は、今の妻だけじゃなくてエリナのお母さんの事を心の底から愛しているし、君の事も本当に大切に思ってる…!
今はまだ胸を張っては言えないが、いつかそう言えるような父親になってみせる!
だから…!!!」
「…全部、わかってたよ。お父さん」
エリナは椅子から立ち上がり、お父様の前まで歩み寄る。
「お父さんがお母さんと私をどう思ってたのか、本当は私もわかってた。
けど、何だか気まずくて、ずっとお父さんに直接聞く勇気が持てなかったの。
でも、アグネス様から勇気をいただけたおかげで、ようやくお父さんに聞いてみようって決意出来た。
やっとお父さんの口からその言葉が聞けて嬉しかった。
ありがとう、大好きだよ、お父さんっ…!!!」
「え、エリナぁ…!
僕も大好きだ、愛してるぞ、エリナっ!!!」
ようやく親子間のわだかまりが溶け、強く抱きしめ合うエリナとお父様。
「良かったね、エリナ…!」
傍から見ていただけの私まで貰い泣きしてしまう。
ここからは、親子の時間だ。
これ以上ここで覗いてるのは無粋だと感じたので、私はそっと扉の前から退散した。
後日、お父様から声をかけられた。
「やぁ、アグネスちゃん。
先日は本当にありがとう」
「あ、お父様。
えっと…、先日何かありましたっけ?」
何の事かピンと来ず、私はそう聞き返す。
「ほら、エリナの事だよ。
君がエリナの背中を押してくれたおかげで、エリナと僕は腹を割って本音で話し合えたんだ。
実は僕とエリナはある時期からちょっと気まずい関係だっだんだけど…、やっとそのわだかまりを解く事が出来たよ。
君には本当に感謝してる、ありがとう」
あぁ、そういう事ね!
頭の中で手をポンっと打って、やっと納得した。
「いえ、私は何もしていません。
エリナがお父様と直接話し合う機会を設ける事が出来たのは、ひとえにあの子が、エリナ自身が決めた事ですから!
感謝の気持ちは、娘さんに向けてあげて下さいな!」
「そうか…、そうだね。
改めてエリナに感謝しておくよ。
けどアグネスちゃん、何か勘違いしていないかい?」
「勘違い…?」
何の事だろう?
私は首を傾げる。
「君”も”、僕の大切な娘だよ」
そう言って、お父様は私をそっと抱きしめてくれた。「そう…ですよね。
ごめんなさい、”お父様”!」
私はこの瞬間、改めてお父様がエリナだけでなく自分にとっても”お父様”なのだと、深く感じられるようになった。
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