第3話 私とアタシ

「お嬢様!?大丈夫ですか、大声を出して!!!」

バタン!と大きな音を立てて、銀色に輝く髪が特徴的な使用人のアイラさんが部屋に入ってきた。

私が大声で騒ぎすぎたせいだ。

「え、えぇ…。少し頭が痛んだだけよ。心配してくれてありがとね…!」

私が感謝の言葉を伝えると、アイラさんはきょとんと首を傾げた。

「…さ、左様でございますか。何かお気に召さない事はございませんでしたか…???」

「え…、どうして?」

「いつもなら、わたくしめの背格好や態度にお嬢様がお気に召さない箇所が必ず一つはございましたので…」

そう私に問いかけるアイラさんの目は、まるで猛獣に怯える小動物のようだった。

「…あっ、そっか」

私は気が付いた。

私…、いや、アグネスとしてのアタシは、いつもアイラさんを初めとした使用人の皆に威張り散らして、ワガママを言って、常に困らせ続けていた。

『そのスカートの裾、気に入らないわ。あと2cm長くしなさい?』とか『歩き方が不愉快よ!今すぐ違う歩き方に矯正しなさいよ!!!』とか、思い返してみても本当に無茶苦茶なイチャモンを付けていたものだ。

だから『渋谷翼』としての記憶を思い出した私が何もワガママを言わなかった事に驚かれているんだ…。

「特に問題は無いようなので、わたくしめは一旦失礼させて頂きます…」

「あっ、ちょっと待って!」

そう声をかけるも一足遅く、アイラさんは逃げるように私の部屋から出て行ってしまった。

今までの態度の事謝りたかったんだけどな~…。

けど、どちらにせよアイラさん以外の使用人の皆にも謝らなくちゃいけないし、またいつか機会があるはずだ。

それにしても、アグネスの使用人の『アイラ』なんて、随分とマイナーなキャラも出て来るのね…。

確か『メルヘン・テール』原作だとアグネスとエリナの過去編に1コマだけ出て来たようなキャラだったし、名前も私が適当に名付けたほぼモブ同然のキャラだったんだけど…。

漫画家として、自分の描いた物語の世界が緻密なクオリティで現実化して目の前に広がっているという現状は、少しだけ興味深いものがあった。

…まぁこれで私が転生した世界が『君の瞳が見たくて』か『現妖大戦』のどっちかだったら尚良かったんだけれど……。

ほんと…どうしてわざわざ終焉確定の絶望的な世界に……。

すると、コンコンと扉を叩く音がする。

「あ、アグネスお姉様…。入ってもよろしい、ですか……?

この声は…、この漫画のヒロインにしてアグネスの義理の妹・エリナの声だ。

「え、えぇ。もちろんよ」

「失礼いたします…」

エリナは先程と同じく恐る恐ると言った様子でゆっくりと私の部屋に入って来た。

「お、お身体の方はいかがでしょうか…?」

…あれっ?

さっきは嫉妬の憎悪に駆られていたから気が付かなかったけど…。

エリナって滅茶苦茶かわいくない!?!?!?

汚れはついているけれど、ふわふわとした長い金髪。

お人形さんの様な小さくてかわいい身体。

クリクリの青い瞳に美しい顔立ち。

私の吊り目に悪人面とはあまりにも大違いだ。

いや、そもそもの話確かにエリナのキャラクターデザインをしたのは他でもない作者の私だった。

けど、こうして現実に目の前に現れると、私の絵を通して観ていたよりも何倍もかわいく見えてくる。

こりゃあ新しいお父様は勿論お母様もベタ惚れなわけよ。


…と、そう思う傍らの事だった。

胸の奥のずっと先で、何かドロドロとした悪意の様なものが私の中に渦巻いている。

……あぁ、そっか。

これは ”アタシ” の…、13年間生きて来たアグネス・スタンフォードとしての感情だ。

渋谷翼としての25年間の記憶を思い出したと言っても、今の私の体はあくまでアグネス・スタンフォードの物…。

”渋谷翼”としてエリナの事を好きになったとしても、私の中の”アタシ”が抱くエリナへの憎悪はそう簡単に無くなるわけじゃないらしい。

憎い、鬱陶しい、泣かせたい…。

そんな”アタシ”としての黒い感情を、”私”は必死に抑え込んだ。

「えぇ、全然平気よ。

先程はお恥ずかしい姿をお見せしてしまってごめんなさいね?」

すると、エリナは不思議そうな表情で私に問うた。

「ど…、どうしてアグネスお姉様がお謝りになるのですか…?

私が怖がってお父様の隣から動かなかったせいで、お姉様が足を動かす事になって、そのせいでつまづいて頭を打たれてしまったと言うのに…」

…そっか、エリナは私が転んだのは自分のせいだと思ってるんだ。

「だってあの時つまづいたのは完全に私のドジだし、初めて会う義理のお姉さんに挨拶するなんてそりゃあ誰だって緊張するわよ!

ケガも大した事無かったし、あなたは少しも気にしなくて良いのよ、エリナ?」

「ほ、本当…ですか……?ありがとうございます、お姉様……!」

まだ警戒心が解けないのか身体をビクビクと震わせながらも、エリナはニコッとはにかんで私に感謝の気持ちを伝えてくれた。

その笑顔の何とキュートな事か…!

か、かわいい…っ!

私が描いた絵柄のエリナの何倍もかわいく見えるっ!!!

前世では兄弟がいなかったけど、妹ってこんなにかわいい存在なんだ…。

エリナとはこれからも仲良くしたいな~!

…あぁ、そう言えば。

思い出した。

本来の ”アタシ” …、つまり原作のアグネス・スタンフォードは、うちに住み始めた初日からエリナの事を徹底的に虐め始めたのだった。

まず一発エリナの顔面を平手打ち、そしてこう言い放つ。

『この家に来てお母様の実の娘であるアタシよりお母様に愛されようなんて思わない事ね!!!

アンタみたいな汚い平民が高貴なアタシの妹になるなんて絶対に許されないのよ!!!

良い?お母様達の見ていない所ではアンタはアタシの奴隷よ?ど・れ・い。

屋敷の清掃や身支度、面倒な事はぜ~んぶ使用人達と一緒にやってもらうから!

一生こき使ってあげるから、感謝することね!』

『はっ……、はいぃ……!!!ごめんなさい、ごめんなさい…!』

そうして、お母様の見ていない所で私はエリナの事を自分の召使いとしてこき使わせた。

幸い、お母様も新しいお父様も普段は仕事が忙しくて屋敷に帰って来られなかったり、娘と顔を合わせる機会に乏しい。

使用人達にもお母様への告げ口はさせないように脅して、気分が良ければエリナを奴隷扱い、気分が悪ければエリナの事を殴って憂さ晴らし。

服もお母様達と顔を合わせる機会が無い日はまともな物は着せずボロ着を与え、食事も一日一回最低限の物だけ。

お風呂にもほとんど入らせなかったから、エリナはこの家に来た時以上に汚くなり、性格もさらに臆病で弱々しいものになってしまった……。


これが、原作のエリナが経験するはずだったこの家での暮らし。

…でも、目の前のエリナを見ていると思う。

この子に、エリナにそんな生活を送らせられるわけがない。

だって、エリナは…!

私はエリナの経歴を思い返す。


エリナは元々貧しい平民の家出身で、この家に来る前は家族三人仲良く暮らしていた。

しかし、お母さんが病気になって、その治療費を稼ぐためにお父さんは家を空けるようになった。

そして日に日にお母さんは衰弱して行き、お父さんが出稼ぎから帰って来た時には、お母さんはエリナの目の前で既に帰らぬ人となっていた…。

それからは死に目に会えなかった事への後ろめたさからか、お父さんとエリナの家族関係もどこか冷ややかなものになってしまう。

しかし、胸の中ではエリナの幸せを第一に考えていたエリナのお父さんは、エリナにこんな貧乏な暮らしではなく幸せな生活を送らせるために、様々な名門家系の人々と交流を深めるようになった。

そんな中で出会ったアグネスの母と恋に落ち、結ばれた二人。

新しい愛する人と結ばれ、さらに超名門家系のスタンフォード家に婿入りした事でエリナにも幸せな暮らしをさせられる、正に一石二鳥。

エリナのお父さんはそう考えていた。

でも、それがエリナにとっては逆効果だった。

『お父様は…、お母様の事を忘れてしまったの?

もうお母様の事はどうでも良いの???』

そんな風に感じ取ってしまったエリナは、ますますお父さんと距離を置くようになる。

そして追い打ちをかけるように、スタンフォード家に来たエリナをアグネスが虐待し始めた…。

ここまでの経歴でも既にお母さんとの別れ、お父さんとのギクシャク関係という二つの悲劇を背負っているのに、原作のエリナはここからアグネスに虐められるというあまりに可哀想な運命を背負っている。

ここで原作通りに ”アタシ” がエリナを虐め始めるなんて…!そんな事あってはならない……!!!


「…ねぇ、エリナ。

あなたは急にこの家に来る事になって、きっと今凄く緊張してると思う。

突然見ず知らずの人と姉妹になる事になって上手くやって行けるのか怖くて仕方がない、そうでしょ?」

「っ…!?」

どうしてわかるの?と言いたげな瞳で私の方を見て驚くエリナ。

「私もね、無理に慣れてくれとは言えない。

あなたが今どんなに怖い思いをしているのか伝わってくるから。

けどね、私は今、すっごくエリナと仲良くなってみたい!

本当の姉妹みたいに毎日一緒の時間を過ごして、お互いの事を知って行く…。

そんな毎日が過ごせるように、精一杯頑張るつもり。

だからエリナも、少しずつでも私に付き合ってくれたら嬉しいな、って…!」

エリナの表情が少しずつパァァっと明るくなっていく。

「は、はいっ…!今後とも、よろしくお願いいたします……!!!」

ぺこりと頭を下げて、エリナは私の部屋を出て行く。

その足取りは、この部屋に来た時と比べても明らかに軽やかになっていた。

「…良かった、とりあえずファーストコンタクトは気に入ってもらえたみたい」

…これで、私がこれから辿る運命は原作の『メルヘン・テール』のそれから大きく異なっていくはずだ。

私はエリナを虐めず、エリナと私の因縁は無くなる。

これによって『メルヘン・テール』本編で発生するはずだったアグネス・スタンフォードに関するイベントのほとんどが全く異なる展開を迎える事になる…と思う。

正直、原作から展開を変えた『メルヘン・テール』がどんな物語になるのかさっぱり予想が付かない。

私はこの世界の元になった物語の原作者ではあるけれど、今の私はこの世界その物の神様ではないのだから。

それでも、私が生み出したキャラクターであるエリナが私の目の前で人間として生きている姿を見たら、私には彼女をこのまま放っておく事が出来なくなった。

半ば黒歴史と化している作品ではあっても、やはり私がこの作品の全てのキャラの生みの親みたいな物なのだ。


…決めた。

私は、この『メルヘン・テール』の世界を、原作者として自分の手で改変する。

全ての登場キャラが幸せな結末を迎えられるように。

この世界が崩壊するバッドエンドを回避するために。

18歳の時に無責任にこの世界の未来を放り投げた私には、原作者としてこの世界とこの世界の住民を幸せにしなくちゃいけない責任がある気がしてならないのだ。

……けれど、私、渋谷翼は今、”アタシ”、アグネス・スタンフォードでもある。

『私』と『アタシ』は同一人物でありながら、まるで二重人格の様に感性がシームレスに切り替わる。

さっきエリナにあんな優しい感じの事を言ったのに、”アタシ”としての心の中には未だにエリナへのドロドロの憎悪が残っている。

果たして、私の中の”アタシ”を胸に封じ込めたまま、私は本来の『メルヘン・テール』の物語と異なる展開に導く事は出来るのだろうか…。

「ううん、それでもやるしかない…!

絶対、私も皆も生き残る道を見つけてみせる……!!!

頑張るぞーっ!!!」

…ふと、目の前の姿見に視線を移すと、ガッツポーズを決めながら不気味に笑みを浮かべる吊り目で三白眼の強面少女が映っていた。

ハハハ…、やっぱり悪人面だなぁ、”アタシ”……。

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