第6話 しかし なにも おこらなかった!
時計を見ると既に23時30分を過ぎている。
『元の世界の入口』の場所によっては、終電が無くなっていてもおかしくはない時間だ。
「これは『異世界の歩き方』という私たちの世界で売られているガイドブックなのですが、ここにある入口を目指していました」
テーブルの下で何やらゴソゴソとした後、文庫本サイズの本を手にした少女は、付箋のつけられたページを開きテーブルの上に置く。
「これ、富士の樹海じゃないか。だとしたら、ここからかなり距離があるぞ」
すぐに手元のスマホで検索するが、神奈川県東部に位置する最寄り駅からの検索結果には明日の電車が表示される。
「今日中の到着は無理そうだが大丈夫か?」
「はい、そう思ってましたので大丈夫です」
心配する俺をよそ目に、表情を変えることなくあっけらかんと答える。
「今日中に到着できる時間に移動を始めたのですが、具合が悪くなって電車を降りてしまったのが原因ですね。そのまま乗ってても空腹でたどり着けたか分かりませんし、降りたおかげでこのように食事を施して頂けたのですから私としては幸運でした。切符は明日まで有効ですので、今日はどこかで休んで朝からまた目指そうと思います」
オフェーリアの持つ切符を見せてもらう。
『根岸→市ノ瀬』と書かれた切符の有効期限は明日。
目的地までの距離が100キロを超える普通乗車券だ。
「なるほど。確かにこの切符なら明日も使えるが、今日はどこに泊まるんだ?」
「それについてお聞きしたいのですが、近くに公園は無いでしょうか?できれば屋根のあるベンチと、水道があるとうれしいのですが……」
「年頃の娘がダメだろ。それは」
公園でこれから少女が行おうとしていることを察し、思いとどまるように伝えるが当の本人は不思議そうな顔をしている。
「なんでダメなのでしょうか?こちらの世界の人はみな親切で優しい方ばかりなので大丈夫ですよ。つい先日も公園のベンチで寝ていた私の事を気づかってくださった3名の若い男性の方々に、深夜にもかかわらず宴会を開いていただいたばかりです」
(すでに公園での野宿を経験済みとは驚きだ。しかし、3人の若い男が深夜に宴会を、ねぇ)
『若い男性の目的』を気にしつつ、オフェーリアが楽しそうに語る宴会話に耳を傾ける。
「宴会ではそれはもう、たくさんの飲み物や食べ物をふるまってくださって本当に助かりました。ただ、私ったら疲れていたのか途中から急に眠くなってしまって、『目覚めの魔法』を自分自身に何度もかけながらの参加になってしまったんです。最後はあまりの眠さで満足に話もできなくなった私に、酔いがさめたと言って苦笑いして帰られてしまわれましたが、本当に良い方たちでしたよ」
一区切りつき、残されたオレンジジュースを飲み干すオフェーリア。
グラスの中が氷だけになったのを見届けると、気になった点について質問を始める。
「飲み物は男たちがついでくれたのか?」
「紙コップについでくださいました。コップが空いたらすぐに次の飲み物を用意してくださって、本当に気遣って頂きました」
「ほう。飲み物は酒か?」
「男性の方々は飲まれてましたが、私はお酒を飲みませんので、お茶とジュースを頂きました」
「なるほど」
深夜に突如現れた3人の若い男が開く宴会で、お茶とジュースしか飲んでいないのに急に眠くなってしまった。
その事実に『ある推測』が俺の頭を駆け巡る。
「なあ『話もできなくなった私に、酔いがさめたと言って』って話してたけど、なんて言ってたんだ?」
「『全然聞いてないじゃん。なんかさめたから帰るわ。じゃあね』とおっしゃって、その後、苦笑いしながら帰って行かれました」
頭の中の『推測』が『確信』に変わる。
若い男が言っていたのは『聞いてない』ではなく『効いてない』、さめたのは『酔い』ではなく、きっと『やましい気持ち』だ。
「オフェーリア、それ盛られてないか?」
「『盛られる』って何をですか?」
「薬だよ薬。たぶん、飲み物に睡眠作用のある薬を入れられていたと思うぞ」
「えっ、あの親切な方々がですか?。そんなことある訳ないじゃないですか」
オフェーリアは否定するが、深夜の公園で”
その3名の男たちはおそらくクロ。
だが、一番の問題は『被害者』であるオフェーリアが危機を全く感じておらず、そんな怪しい輩ですら『本当に良い方たち』と疑うことなく信じ込んでいる事だ。
今回は魔法が使えたから
あまりの不用心さに心配になる。
(いや、待てよ。これは交渉材料として使えるかもしれない……)
本日の宿泊場所として、良くて『屋根のあるベンチと水道』がある公園を覚悟している時に、屋根も風呂もトイレも、なんなら空調まである部屋で誰にも邪魔されずに一晩ぐっすり寝れるチャンスが舞い込んだとしたらどう思うだろう。
そんな快適空間で過ごせるのであれば多少のこと、そう例えば不幸な偶然により発生した『お胸ダイヴ』の事くらいなら、きれいさっぱり忘れてくれてしまうのではないだろうか。
俺ならばそんな部屋がすぐに用意できる。
これは、この世界の大人が使う『なにもなかったことにする魔法』、そう『示談』だ。
(よし、聞くならこのタイミングだ。もし『お胸ダイヴ』の事に何か言ってくるようであれば、一晩の『部屋貸し』を条件に示談交渉してみようではないか)
俺は意を決してオフェーリアに声をかける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます