第13話 アニキと私

「これを頭から浴びると大量出血してるように見えるから『ひどく怪我しているように見える』という条件はクリアできると思うのだが、どうだろう?」


「現状だとベストではないにしても、ベターなアイディアだと思います。今浴びると外に出るまでに熱で乾いてしまうし、目に入ったら前が見えなくなるかもしれないので、浴びるなら1階に降りてからですかね」


「いや、1階だと浴びているのが外から見えてしまう可能性がある。それだとまずいだろうから2階から1階に降りる階段の途中で浴びるといい。ちなみに移動中は新兵器が守ってくれるんだよね?」


「はい、守ってくれます」


「よし。では、この作戦で行こう」


 作戦の成功を祈り稲田氏とがっちり握手を交わす。


 出口のある一階に続く階段の途中でトマトジュースを頭から浴び、ひどい怪我をしているをしながらビルを出て、究極の治癒魔法での治療を懇願する。

 作戦内容を簡単に言ってしまえば、こんなシナリオだ。


 後で頭を洗い流す必要があるが、熱湯を浴びるよりはるかに良い。

 燃えさかるビルから大量の血を流して出てきたようにさえ見えれば、オフェーリアならきっと『パイ包み究極の治癒魔法』を使ってくれることだろう。


 あの胸に包まれる……。

 一度、顔を突っ込んだことのある胸ではあるが、今度は顔全体があの胸で覆われるのだ。

 想像するだけで、俺の胸も期待でふくらむ。


「なんかニヤけてるけど、大丈夫かい?」


 壁に手を掛け自力で立ち上がってきた稲田さんが不思議そうに俺の顔を覗き込む。

 どうやら期待が顔に出てしまっていたようだ。

 自分で頬を叩き気合いを入れなおす。


「大丈夫です。では、肩につかまってください」


 稲田さんが俺の右肩から左肩にかけて手を回す。

 そして俺は、左手で稲田さんの手を取る。


「では、行きますよ!」


「うん、よろしく頼むよ」


 稲田さんは『火災現場から生還する』ため。俺は『夢を現実にする』ため。

 それぞれの思いを胸に二人は進み始めた。


 ◇


「そろそろじゃないかな」


 2階から1階に降りる階段の途中で、稲田さんが切り出す。


 稲田さんに肩を貸しながらの移動で時間がかかった分、きよりも多くの火や煙に襲われたが、新兵器効果で二人ともここまで無傷ノーダメージ

 順調に出口へ向かっている。


「そうですね、ここは外から見えませんし、出口もすぐなので何か問題が起こっても対応できるとおもいます。でも、浴びる前にやる事がありますので、稲田さん、一度、俺から離れてもらえますか」


 肩を貸したまま壁に近づき、俺から離れた稲田氏が一人で寄りかかるのを見届けると、距離を開けるために階段を2段ほど降りる。


「よし!」


 俺は気合を入れると、勢いをつけて自分の顔を壁に打ち付ける。


『ゴンッ!』


「何やってるんだ!?大丈夫か!」


 周囲に鈍い音と、稲田氏が心配する声が響き渡る。


「わざとやってるので大丈夫です。無傷はまずいので『ちょっとした怪我』くらいはしておかないと……」


 ビルに入る前、オフェーリアは外から治癒魔法を使い、治癒時に発生する『青い光』で要救助者を探していた。

 これからトマトジュースを浴びたとしても無傷は無傷。治癒魔法を使われたら光を発することなく、すぐにかすり傷一つないことがバレてしまうだろう。

 『パイ包み』を食らうためには、光らせるための何らかの怪我が必要だ。


「壁が相手なら風で動くこともなく、ぶつかれば怪我もできるだろうけど……。しかし、すごい執念だ、一体何が君をそこまで……」

 ドン引く稲田氏を横目に、俺は再び自分の顔を壁に打ち付ける。


『ゴンッ!』


 先ほどと同じ鈍い音がした後、鼻の下をツーっと伝わるものを感じ手で拭いとる。


「やった!鼻血だ!鼻血です稲田さん!。これで最低限の怪我はできました!。次はトマトジュース浴びますね!!」


「う、うん」


 引き気味の稲田さんを横目に、ポケットからスチール缶を取り出しプルタブを一気に開ける。


「では行きます!」


 トマトジュースの缶を頭の上にもちあげ、勢いよく下に向ける。

 その瞬間、俺の目の前が真っ赤に染まり、血で詰まり気味の鼻腔からもトマトの甘酸っぱい香りがしてくる。


「稲田さん、どうですか?」


「鼻血と比較すると、トマトジュースが赤色すぎて少し黒みが欲しい所ではあるけど、痛がれば大怪我に見えるんじゃないかな」


「本当ですか!よしっ!」


 思わずガッツポーズする俺に、稲田さんが心配そうに声を掛けてくる。


「これで見た目はOKだと思うんだけど……大丈夫かい?前、見える?」


「……いえ、痛くて目、開けられないです」


 危惧していた通り、頭から浴びたトマトジュースが目に入り、を上げようとすると強烈な刺激で涙が溢れ出る始末。

 外に出て顔にかかったトマトジュースを拭くなり、水で流すなりしないと、目を開くのは厳しそうだ。


「では、ここからは私が道案内するよ。もう一度君の肩につかまるから、そこから私の言うとおりに進んでくれるかい?」


「はい、お願いします」


 稲田さんが再び俺の肩に手を回す。


「では行こう。まずは残りの階段を一段ずつ降りるぞ。前が見えないと怖いかもしれないが、この階段を降りれば出口までだ。頑張ろう!」


「はい!」


 稲田さんにそう励まされながら、俺はゆっくりと足を前に踏み出した。


 ◇


「ビルから出たら、君は痛がりながらターゲットの女性を呼び怪我鼻血とトマトジュースを見せる。もし救急隊が来ていたら君と女性の邪魔にならないよう、私が大きな声を出して引き寄せる。って事でいいね?」


「はい、それでお願いします」


 『ビルを出た後』の段取り最終確認が終了する。外まではあと数歩と言うところだ。


 2階で出会ってからここまでという短い付き合いでしかないが、その素晴らしい洞察力と考察力、そして俺への気づかいにすっかり『頼れるアニキ』となった稲田氏。


 出口を前に『アニキ、キレさせたお詫びに、この後、一杯どおっすか?』と誘いたくなるが、ぐっとこらえ口をつぐむ。

 理由はもちろん、この後の時間を『パイ包み』に専念するためだ。ここは素直にこれまでの感謝の気持ちと、別れを告げるとしよう。


「ここまで色々と有難うございました。稲田さんのおかげで、俺、なんとか目標を達成できそうです」


「こちらこそ。君と新兵器が無かったら、私はビルから出れなかったかもしれない。本当に感謝しているよ。結局、最後までなぜそんなに大怪我したかったのかさっぱり分からなかったが、君の望み通りになることを祈ってるぞ。では行くか!」


「お願いします!」


「3!2!1!ゼロ!」


 目が見えない俺のために、出口までの残り歩数をカウントダウンで教えてくれるアニキ。

 そのカウントがゼロになった瞬間、アニキに耳打ちされる。


「やはり救急隊が来ているようだ。私がひきつけるから、あとは予定通りに」


「はい、お願いします!」


 俺の肩にまわしていた手を外し、背中をポンと叩くと「足が!足が!」と大声を上げ痛がりはじめるアニキ。

 っているのか、片足でぴょんぴょん飛んでいるのか、目が開かないために移動方法を見ることはできないが、その声は徐々に遠ざかっていく。


「ビルから怪我人が出てきたぞ!救急車!救急車!」


 救急隊員と思われる人々の声と足音が一斉にアニキの方へ向かい、遠ざかっていくのを耳で確認すると、俺も激痛をよそおう大きな声を上げる。


「うおおおおおおおおお、痛い!痛い!痛い!オフェーリア、オフェーリアはいるか?」

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