第17話 おつりがでないように”ちょうど”払うと非常に喜びます

「お兄さん、こっちこっち」


「はいっ!今行きます!」


 7月最後の月曜日、時刻18時40分。


 スタジアム所在地の『市名の頭文字イニシャル』をイメージしたと言われるYの字型の照明に照らされながら、ポット2つが収められたケースを首から下げ、レプリカユニフォーム姿で手を振るおばさんのもとへ全力で階段を駆け上が。


「お待たせしました、ご注文は?」


「アイスコーヒー1つ貰えるかしら」


「はい、少々お待ちください」


 空のプラスチックカップに『』と書かれたポットからコーヒーを注ぎフタをすると、ストローをさし、ミルクとガムシロップのポーションと共に手渡す。


「はい、450円ちょうどよ。こんなに暑いのに大変ね、ありがとう」


「いえ、またお願いします。有難うございました!」


 軽く頭を下げ挨拶すると、の邪魔にならないようすぐさま通路に移動し、受け取った百円玉4枚、五十円玉1枚を袋にしまう。


(ふう、これで60杯目っと……)


 ひたいから流れ落ちる汗を右手首のリストバンドでぬぐい、次の客を探そうとスタンドに目を向けた途端、肩をトントンと叩かれる。


 振り返ると、黄色いキャップからポニーテールをのぞかせ、背中には黄色のビールサーバー、胸に『一万搾り』と書かれた黄色い制服に黄色いホットパンツという、全身黄色づくめの『ビールの売り子』が立っていた。


早馬そうま、がんばってるじゃない。なかなかさまになってるわよ。どう?、売れてる?」


茉依まいか。今、ちょうど目標ノルマと言われていた60杯目を売ったところなんだが、これは売れている方なのか?」


「まだ序盤の3回途中で目標達成ノルマクリアなんて、初めてにしてはかなり売れている方よ。『コーヒー売り子』は目標達成すると、時給とは別に杯数1杯売るごとのインセンティブがもらえるようになって、実入りが劇的に良くなるの。だから、引き続き頑張って売りまくった方がいいわ。って、売る方が好調なのは分かったけど、感謝の方はどう?このバイト、たくさん感謝してもらえるでしょ?」


「ああ、コーヒー渡すときに必ず『ありがとう』って言ってもらえるな。まあ、遠くから手を上げるだけで、この急な階段を駆け上がって自分の席まで商品を持ってきてくれるんだ。いくら『買う側』とはいえ、自然と感謝の言葉を口にしてしまうだろうな。は」


「でしょ。オフェーリアちゃんは私と同じ、コーヒーより売れる『ビール売り子』だから、もっと多くの人に感謝されて、魔力もバンバン回復してるんじゃないかしら。それにしても、ここのバイトは野球がナマで見れてお金までもらえるなんて本当に最高よ。早馬もそう思わない?」


 兵庫トラーズ対横浜スターズ。

 関西に熱狂的なファンの多いトラーズと、地元人気の高いスターズのナイターナイトゲームは、夏休みシーズンということもあり『関内スタジアム』は超満員の札止ふだどめ状態。


 そんなスタジアムに茉依の紹介で『売り子』のバイトに採用された俺とオフェーリア。

 空きがあると提示された『ビール売り子』と『コーヒー売り子』のうち、数多く売れる『ビール売り子』を、魔力回復のために多くの人に接する必要のあるオフェーリアが担当。

 そこそこに売れるという『コーヒー売り子』担当となった俺は、比較的すぐ空になると、『この暑さでも買う人いるんだ』と売れるたびについ驚いてしまう『』と書かれたが入ったケースを持ち、開場からかれこれ3時間、コーヒーを売り歩いている。


「最高か……。たしかに野球好きには最高なのかもしれないが、そこまで興味のない俺にとって、この暑さの中、重いポットを持って走り回るのはなかなかキツイぞ」


「なによ、せっかく紹介してあげたのに。このバイト、すごく人気があるのよ。もうちょっと楽しんでやりなさいよ」


「そうは言ってもだな。俺はお前に『活躍を見届けろ』と連れてこられただけで、バイトする気なんて無かったのだが……」


 そう言いかけたところで、周囲の観客の悲痛な声で俺の言葉がかき消される。


「ん?みんな一斉にため息ついてるが、なにが起こったんだ?」


「チャンスだったのに三振しちゃったのよ。こういうところで打って点を取ってくれた方が盛り上がってビールも売れるっていうのに、まったく、クリーンナップが聞いてあきれるわ。とにかく、これで3回終了。早馬、この後、『休憩所』でオフェーリアちゃんと合流するのだけど、あんたも一緒に来なさい」


「『休憩所』?バイトの説明受けた時、『休憩時間は無い』って言われたんだが、休憩できる場所なんてあるのか?」


「そうね、関係者しか入れない、エアコンが効いていて、自販機でジュースを買って飲める、そんな場所があるわよ」


「マジか!それは助かる。もう暑くてノドがカラカラなんだ、すぐにでも行くぞ!」


「じゃあ決まりね。ついてきて」


 俺は前を歩く茉依をかしながら、一緒に休憩所へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る