第20話 脱皮したザリガニの殻が元の硬さに戻るのは数日後

 7月最後の月曜日、時刻20時2分


 両チーム無得点で迎えた6回の表、突如とつじょ試合は動き出す。

 下位打線から始まった兵庫トラーズの攻撃は打者一巡だしゃいちじゅん猛攻もうこうを見せ、一気に5点を奪取だっしゅ

 歓声に包まれ、熱狂ねっきょうぶりを増していく3塁側トラーズ応援席。


 そんな大盛り上がりのグラウンド向こうとは対照的な1塁側応援席でコーヒーを売り歩いていた俺。

 テンションダダ下がりで下を向く横浜スターズファンから一向に声がかからず、一息つこうと移動した柱の陰でズボンのポケットに入れたスマホのLED点滅に気付き、慌てて取り出す。


 仕事中でバイブも着信音も消していて気づかなかったのだが、留守電にメッセージが残されているようだ。

 俺はそっと『再生ボタン』を押す。


『もしもし、早馬そうま?緊急事態発生よ。今、休憩所にいるからあんたもすぐ来なさい!』


 相変わらずひどい茉依まいからの留守電メッセージ。

 これでも過去にらった『あ、私だけどアレ返して』というメッセージに比べたら、何をすればいいのか分かるだけ、まだマシな方ではある。


「ったく、何が起こったかくらいはメッセージ残せって言ってるのに……」


 俺は詳細不明な『緊急事態』に対応するため休憩所に向かった。



 ◇


『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の横にある機械に、自分のセキュリティーカードをかざし『ピッ』という音と共にノアノブを回す。


 本日2回目の訪問となる休憩所という名の会議室前通路には、入口そばに立ったままボールを手にこちらをにらむ茉依。

 そして、その少し後ろには壁を背中につけ、ひざかかえ床の上に体育座りするオフェーリアの姿が見える。


「ボール握りしめてどうしたんだ?それに、その目つき。怖いぞ」


「早馬……、入ってきたのが他の奴だったら、これで追っ払うつもりだったのよ。あんたで良かったわ」


 表情をゆるめ、ボールをウエストポーチにしまう茉依。


「『追っ払う』だなんて、ずいぶん物騒ぶっそうな話だな。それも『緊急事態』だからなのか?」


「そうよ。他の人に知られてはまずい『緊急事態』が発生したの。何が起こったのかは見てもらった方が早いわね。オフェーリアちゃん、もう体育座りで隠さなくてもいいわ。恥ずかしいと思うけど立ち上がって早馬に見せてくれる?」


「はい……茉依さん。早馬さん、私の事で急に呼び出してしまってごめんなさい」


 申し訳なさそうな顔でゆっくりと立ち上がり、こちらを向くオフェーリア。


「早馬、見ての通りオフェーリアちゃんに緊急事態が発生したの。あんたなら言わなくても分かるわよね。何が起こったのか……」


 その姿を見た瞬間、俺の全身に衝撃しょうげきが走る。

 前回測った3回裏終了時と比べ、著しく巨大化したお胸の大きさも驚きだが、最大の衝撃はその位置がいつもより下。

 そう、お胸が地球の重力にかれているのだ。


「この、おさえる物が無いゆえの胸のたれ方……、まさかノーブラ……」


「ふっ、さすが早馬。あんたみたいに見破みやぶる奴がいるかもしないから、誰とも会わないようオフェーリアちゃんをここにかくまったのだけど、私の判断は間違いじゃなかったわ。ちなみに『さきっちょ』は、靴擦くつずれ用に持ち歩いていた絆創膏ばんそうこうでケア済みだから探しても無駄よ」


 確かにケアされているらしく、オフェーリアが着る胸が大きくふくらんだ『YAESUヤエス BEERビール』のユニフォームには、どこにも『凸』は見当たらない。

 聞こえないよう心の中で『チッ』と舌打ちを終えた俺は、さっそく事情聴取じじょうちょうしゅを開始する。


「しかし……、なんだってノーブラに?」


「すいません、魔力が急回復して、持ってきた小さめの下着では入りきらなくなってしまったんです。大きめのサイズの下着は、ここ数日使用してて洗うタイミングが無かったので、来る前に部屋で洗濯して干してきちゃいまして……」


「せ、洗濯!?」


「一日でここまで回復するとは思わなくて……すいません」


 腕を組み、うつむきながら話すオフェーリア。

 組んだ腕の上には、二つの立派なお胸が乗っかっている。


「事情は理解したが……それにしてもおどろきの回復速度だな。何があったんだ?」


「はい……。さっきまでトラーズ応援席でビールを売ってたんですが、お客様に買って頂いた直後にトラーズの選手が打ったんです。それを見ていた他の方が『あれ、お姉さんからビールうたら、選手打つんちゃうか』とおっしゃって、その方も買って下さったら、次の選手も本当に打って得点まで挙げて……。そうしたら皆さん私の事を『幸運の女神だ』と言って、ひっきりなしにビールを買いたいと声が上がったんです」


 そのままのポーズで俺の質問に答えるオフェーリア。

 俺の視線もそのままお胸にくぎ付けだ。


「その後もビールを売るたびに、なぜか選手が打つという事が続きまして、ビールを手渡した時だけじゃなく選手が打った時にも私に『幸運の女神ありがとう』『おおきに』と大勢の方が声をかけてくださるようになったんです。そうしたら、今のような手持ちの下着では抑えられない大きさに……」


「早馬、これが関西人のノリよ。関西人は何かりあがる事を見つけるとすぐ乗っかってくるの。トラーズファンはみんなそんな感じよ」


『個人の感想です』というテロップが表示されそうな横槍よこやりを入れてくる茉依。


「とりあえず状況は分かった。で、俺は何を?」


「早馬、ミッションよ。これから駅前のショッピングセンターに行ってオフェーリアちゃんのブラジャー買ってきなさい」


「え、俺が、か?」


「そう、あんたが、よ。あたりまえじゃない」


 この場にいるのは女性2名と、男性1名。

 このミッションの場合、その遂行者すいこうしゃは2名の女性から選定するのが『あたりまえ』ではないだろうか。

 さすがの俺もブラジャーは買ったことがない。


「いや、こればっかりはさすがに二人のうち、どっちかが行くべきじゃないのか?俺が行ったら店員だって驚くと思うぞ」


「何言ってるの、行けるなら私が行くわ。でもね早馬、今のオフェーリアちゃんのおっぱいは何も守るものが無い、脱皮だっぴしたてのザリガニ並みにヨワヨワな状態なのよ。そんな状態で外を歩かすわけにも、ここにあんたと二人っきりにするのもできるわけないじゃない」


 脱皮したてのザリガニ……。

 それは確かにヨワヨワだ。

 どっちも触ったら柔らかくて『ぷにっ』とする。


「わかった。しょうがない俺が行こう。じゃあ、オフェーリア、測るから言うとおりにしてくれ」


「はい、お願いします」


 正面と、横から『狩り』を行いサイズを測る。

 それにしても、本人同意の上で一日に2回も『おっぱい狩り』ができるとは、なんてラッキーデーなのだろう。

 これで、ラッキープレイスが下着屋ランジェリーショップなら、俺の今日の運勢はどんだけ良くなっちゃうのだろうか。


計測けいそく終了だ。トップが”86”だから、”F65Fカップ”のブラジャーなら入るな。それと、まだ『売り子』を続けると思うから、魔力が最大まで回復しても良いように”G65Gカップ”のブラジャー、この2つを買ってくるよ」


「うん、それでいいわ早馬。頼んだわよ。では、ミッションスタート!」


 俺はザリガニレベルまで窮地きゅうちおちいったオフェーリアを救うため、休憩所を飛び出した。


 ◇


 7月最後の月曜日、時刻20時20分


「今戻ったぞ!!」


 本日3回目の休憩所。

 通路入口そばには、先程同様に立ったままボールを手にこちらをにらむ茉依。

 そして、その少し後ろにはオフェーリアが壁を背中につけ、ノーブラな胸を隠すように膝を抱え体育座りしている。


「早馬、早かったじゃない」


 が俺である事を確認した茉依は表情を緩め、握りしめたボールをウエストポーチにしまう。


「ちゃんと買えたみたいね」


 俺の手元の紙袋を見てほっと一安心といった表情を浮かべる茉依。


「ああ、さすが多様性たようせいの時代だ。俺が『ブラジャーをください!』と言っても、店員は平然と対応してくれたぞ。ただ、購入サイズを伝えたらさすがに気になったらしく『どなたが使用されるのですか?』って言うので『母と姉のです』って答えたら『スタイルの良いお母様お姉様ですね』って。でも、すぐ売ってくれたよ」


 俺の『はじめてのおかいもの(ブラジャー編)』話を苦笑いしながら聞く茉依とオフェーリア。


「じゃあ、これからけるから、早馬は『よしっ!』って言うまで後ろ向いてて。もしこっち向いたらすぐに危険球きけんきゅうが飛ぶから気を付けるように」


 俺の手から紙袋をうばい、あっち向けと後の扉を指さす茉依。

『よしっ!』って、俺は犬か。


 鉄製の真っ白な扉をひたすら眺めていると、紙袋の開く音、商品袋をやぶる音、そしてぬのがすれるがした後に『よしっ!』という声がかかり、茉依とオフェーリアの方に向きなおす。

 本気で犬になった気分だ。


「早馬さん、ありがとうございます。買ってきていただいた下着、ぴったりでした!本当に見ただけでサイズ分かるんですね。私、感動しちゃいました!」


 お胸を引く重力と、脱皮したてのザリガニ状態から脱し、目を輝かせるオフェーリア。

 ちなみに、この能力をほめてくれる女性が現れたことに俺も感動している。


「そうか、それは良かった。今ここでオフェーリアの確認ができたってことは、6回裏終わった時の『集合』は無くていいよな?」


「そうね、じゃあ、次は8回が終わったら集合ね。そこで、オフェーリアちゃんのサイズを測りつつ、帰りの相談もしましょう」


 茉依の提案にうなづく俺と、オフェーリア。


「了解だ。俺は先に仕事戻るぞ、じゃあ、またあとで!」


 俺は茉依とオフェーリアに手を振りながら、休憩所を後にした。

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