第8話
「それはあなただけではなく、他の方にもとてもよく言われますの。すっかり慣れていましてよ」
「レランドはそういう国だから、聖女が育たない。資質を持つものも、自ら望んで名乗ることも少ない。世界樹が育ちにくいという理由には、他国と比べ圧倒的な聖女の少なさというのがある」
彼は燃えるような紅い目をそっと閉じた。
夜風がふわりとサラサラとした前髪を揺らす。
「だから俺は、そういう状況を変えたいと思っている。ブリーシュアの王女エマさまを妻にと思うのは、そういうことなんだ。レランドでの聖女の地位を高めたい。その為に彼女ほど適した方は見当たらないんだ」
「……。それでも、ご自身の都合ということには、変わりありませんわ」
「そうだな。ルディの思う純粋な愛情とは、言い難いのかもな」
そんな話をされても、返事に困る。
繋いだ手からはじんわりと彼の体温が伝わってくるのに、その声は私の耳に冷たく響いた。
聖女見習いの制服を着ていても、私に聖女としての資質はない。
「だがそれでも、俺は愛してみせるよ。必ず。俺の妻となることを決意してくれた人のことを。そのために俺は、この国に来たんだ」
見上げた紅い目はどこまでも遠くを見つめていて、彼の意志が揺るぎないものであることを知らされる。
やっぱり私は、この人に望まれる立場ではないんだ。
灰色の視線と彼の紅い目が絡み合う。
何かを言いかけて、すぐに言葉を飲み込んだ。
「ルディ。だから……。これ以上邪魔をしないでくれ。でないと俺は……」
「分かっております。あなたは国のためにそうしていらっしゃるのだと」
紅い目が激しく燃え上がったかと思うと、潤んだようにその瞳が揺らいでいる。
彼が「聖女」を求めるのは、王子としての義務であり使命だということ。
だから私も本気で邪魔をしたくても、出来ないでいるんだ。
「ですから、もう邪魔はいたしません。あなたによいお相手が見つかりますよう、陰ながらお祈りしております」
彼の手がアプリコット色の髪に触れた。
キスをされるのかと思った髪は、その指先からこぼれ落ちる。
二人だけのダンスも、終わりの時間を迎えた。
夜の石畳を歩き出した彼の手は、それでもまだ私の手をぎゅっと握りしめている。
「今夜はもう帰ろう。あまり遅くなると、またダンに叱られてしまうからな」
「そうですわね」
私には、見守るしかないんだ。
この人が選ぶ相手を。
どんな人がこの人についていくと、決心するのかを。
私はそれを、ただ見ていることしか出来ないのだから。
その日の夜、リンダは宿に戻って来なかった。
まだ彼女のために研究所に残ってくれているのであろう人数分の夜食を用意させ、届ける。
私に出来ることといえば、これくらいしかない。
翌朝、研究所を訪ねると、夜通し作業をしていたらしいリンダとニックは、届けられた食事の残骸もそのままに、まだ作業に明け暮れていた。
すっかり乱れてしまったリンダの黒髪は、後ろで一つに束ねられている。
「順調……。では、なさそうですわね」
「まぁね」
うたた寝をしていたニックが、ハッと目を覚ました。
「あ……。これはルディさま。おはようございます。昨晩は差し入れ、どうもありがとうございました」
まだまだ目の覚めきらない呆けた顔で、口元を拭う。
聖堂でもここでも、研究員は皆同じようなものだ。
一晩徹夜したくらいではビクともしないリンダの向こうに、リシャールの紅い髪が見えた。
昨夜購入した試薬セットを手に、マセルの元へ向かっている。
「ほら。君の所望した品が届いたぞ」
「ほ、本当ですか、リシャールさま!」
彼は渡された大きな木箱の蓋を、そっと持ち上げる。
キラキラと輝く白銀竜の鱗を混ぜ合わせた大小18本のガラス瓶が、ビロードの台座に割れないようしっかりと埋め込まれていた。
「す、凄い! フルセットじゃないですか!」
彼はサラサラと流れる試薬の入った瓶と、遮光された小瓶を取りだす。
「これで実験がはかどります! 実験の精度と反応速度が全然違いますよ!」
「あぁ。我が国期待の学者には、ぜひ頑張ってもらいたいからね」
うれしそうにはしゃぐマセルの隣で、リシャールもまた楽しそうにしている。
そんな二人に、ボスマン博士が声をかけた。
「試薬が揃っただけでは、マセル。君の研究はどうにもならんよ」
博士は彼の実験台に並んだ土壌サンプルの瓶の一つを手に取った。
「世界樹の育つ土地とその土壌成分の研究なんて、飽きるほどやられている。この世界の土壌条件の、空いているピースを埋めてゆくことは、決して間違いではない。思わぬところから思わぬ発見は出てくるもの。それがこういった仕事が続けられている理由だ。だが今のままでは、君の出す成果にこの研究所に残れるほどの価値はあるのか? 調べた地質から、何を見る? ただ道具を揃えただけでは、どうにもならんよ。君がやっていることは、ただの作業でしかない」
「僕にだって、世界樹研究に貢献したい気持ちはあります!」
「気持ちだけでどうにかなるなら、もうこの世界は世界樹などなくとも、魔物も瘴気もない平和な世界が出来上がっているだろうよ」
「ルディさま!」
突然マセルが、私に向き直った。
「お願いがあります。どうかブリーシュア城内の、世界樹の庭の土を僕にください!」
「えっ?」
「僕だって、ただリシャール殿下に高価な試薬を買ってもらって、それでこのままでいいだなんて思っていません。どうすればいいか、昨日一晩ずっと考えてたんです」
詰め寄る彼の赤茶けた目は、真剣そのものだった。
「ブリーシュアの、城外周辺の土は最も世界樹の育成に適した土として、散々比較検証されてきました。各地の世界樹育成のための土壌改良は、そのほとんどがブリーシュア城周辺環境に合わせて作られています。ですが、そのブリーシュア国内でも、一度も採取分析されたことのない場所があります。城内にある、世界樹の庭の土です。一度も枯れたことのない世界樹の大木が生えている土地の成分を、僕に分析させてください!」
「それは……」
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