第4話

 高い壁に囲まれた城内の、石造りのこの聖堂こそ私の一番落ち着ける場所だ。

緩やかに上る芝生の小道を上ると、聖女見習いの乙女たちや警備兵が気軽に声をかけてくれる。


「あら、ルディさま。今日はもういらっしゃらないのかと思っていました」

「ラウラ。久しぶりね。エマお姉さまと、お茶していましたの」

「まぁ、素敵!」


 無邪気におしゃべりをはずませ喜ぶ彼女たちに、私も笑顔を浮かべる。

ここの人たちは誰もが、無条件で私を受け入れてくれる。


「そういえばルディさま。今日は祭壇でアリナの錫授式が行われているはずです。顔を出してみればいかがです? きっと彼女も喜びます」

「そうだったの? なら行ってみようかしら」


 アリナか。

彼女もついに、ここを出てゆくことになったのか。

この聖堂へ来て何年になるだろう。

彼女は確か、城外にあるパン屋の娘だったはずだ。

時々両親から送られてくる美味しいパンを、みんなに配っていたっけ。


 王城の聖堂へ来る女の子たちの背景は様々だ。

リンダは学業の成績と実験への意欲を示し、城外の聖堂から推薦を受けてここに来た。

さっき声をかけてくれたラウラは、男爵令嬢でありながら、世界樹のために祈ることを決意してくれた。

普段は城外の屋敷でダンスや礼儀作法のレッスンを受けるなど貴族の娘らしい生活をしながら、週に何度かここへ通っている。

貧しい家の者は救いと保護を求めて聖女となり世界樹に尽くすことを誓う者も多いが、家柄のある者たちの間ではあまり多くはない。

贅沢で自由な暮らしが出来るのに、自らの時間を祈りに捧げるなんて、そんなことは出来ないそうだ。


 生徒たちで賑わう廊下を進み、祭壇へ続く扉を開く。

中ではマレト施設長と、ペザロ副施設長、アリナとその両親と思われる夫妻、彼女のごく親しい友人数名が並んでいた。


「私、アリナは、聖女として活動するにあたり、必要な知識と技能を身につけ、また、その善良なる心により、ここで学んだ掟を守り、自らの意志で聖女となることを誓います」

「あなたが聖女として、心身共に健やかなることを祈ります」


 ペザロ副施設長の隣には彼女の友人が、それぞれ聖女の証である錫と世界樹の葉を模した冠を持ち控えている。

祭壇の中央にある世界樹を表したステンドグラスからは、午後の日差しが鮮やかに降り注いでいた。


「おめでとう。これからもあなたは私たちの仲間よ。アリナ」

「はい。ありがとうございます」


 ペザロ副施設長が冠を差し出すと、マレト施設長はそれを受け取る。

真っ白な聖女の衣装を着てひざまずく彼女の頭に、冠を授けた。

続いて錫を渡され、晴れやかな表情で立ち上がった彼女に、一同から拍手が送られる。


「おめでとう、アリナ!」

「よかったわね」


 聖堂で学ぶのは、世界樹とはどういう樹であるのかということ。

その歴史と関わり。

瘴気と魔物、アロマの関係。

世界樹に自らの寿命を捧げ祈りながらも、自分の身を守る方法。

誹謗中傷への対処方と、その救済の求め方。

体調の管理と祈りの時間を、聖堂に届け出ることやそれによって受けられる保護の手続きの仕方等々……。

それら全てを修了したと認められたものに、「聖女」の称号を名乗ることが許され、自ら申請することで、ようやくその活動が許可される。

一般的な学校のような、「入学」「卒業」といった概念はなく、知識を身につけたと認められた本人が「聖女になる」と決めたその日から、彼女たちは聖女となる。


「ルディさま!」


 離れたところから拍手を送っていた私に、アリナが気づいた。キラキラと眩しく光る真っ白な衣装を身に纏い、駆け寄ってくる。


「ルディさま。私、聖女となることに決めたのです」

「そう。これから頑張ってね。ここはもう出て行くの?」

「はい。それでお家のパン屋を手伝いながら、祈ろうと思っています」

「素敵ね。またいつでもここへ顔を出してくださいな。もちろん美味しいパンも一緒ですわよ」

「はい! お世話になりました」


 賑わう祭壇を後にし、聖堂の執務室へ入る。

この部屋にいる間は聖女見習いの生徒としてではなく、聖堂を管轄する王女として働いていた。

それほど広くはない部屋の壁には本棚が並び、びっしりと資料や記録が詰め込まれている。

書斎机の上には決裁を待つ書類が並んでいた。


 仕事をしていた方が楽だなんて、そんな風に考える日が来るなんて思わなかった。

この仕事に就くことは、聖女にはなれない自分にとって、義務であり贖罪のようなものだった。

背もたれの高いフワフワの椅子に腰かけ、ぼんやりと書類の束を眺めている。

窓から差し込む日差しが、いつの間にかすっかり午後の日差しに変わっていた。

この部屋に入ってぼんやりとしたまま、気づけば数時間が過ぎている。

仕方がない。

少しでも進めるかと、ようやく書類に手を伸ばした時、ノックが聞こえた。


「入っていいか?」


 リシャールの声だ。

気づけばすっかり日は傾いている。


「どうぞ」


 そう言い終わるか終わらないかのうちに、扉は開いた。

お姉さまとお茶会をした時そのままの格好で、紅い髪の精悍な王子が入ってくる。

手にはお姉さまの髪に挿したのと同じロネの花を持っていた。

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