第3話

「いいのマートン。大事なのはドレスじゃなくてよ」


 大きな膝掛けが用意され、それを隠すよう侍女たちに促される。

私はそれを受け取ると、再び立ち上がった。


「ね、お姉さま。これはレランドのためだけじゃないですわ。本当よ。ブリーシュアのためでもありますわ。より精度の高い研究成果を出すためにも、分析資料は多い方がいいに決まってるもの」


 お姉さまの柔らかな茶色の目が、眩しそうに私を包み込む。


「聖堂の乙女たちにとっても、ボスマン研究所と共同研究の機会を持てることは、大変な名誉ですわ!」

「ふふ。そうね。さっきマートンから、ブリーシュアの国益のために動きなさいと、聞かされたばかりだったわね。分かった。いいわよ」


 お姉さまはテーブルに肩肘をのせるとそこに顎を置き、探るような目で私にニヤリと微笑む。


「ルディからそこまでお願いされちゃったらね。リシャール殿下も、きっとお喜びだろうし」

「リ、リシャールはここでは、関係ありませんのよ!?」

「ふふふ」


 楽しそうに微笑むお姉さまを、紅い目がのぞき込んだ。


「誤解なさっては困ります。私はあなたに、プロポーズをしているのですよ」

「あら、そうでしたっけ?」

「お忘れとは、なんてつれない方なのでしょう。まだそのお返事も頂いておりませんのに」


 リシャールはエマお姉さまの金色の髪に、ふわりと指を絡める。


「こうしてあなたとお話し出来る日がくるのを、ずっと心待ちにしておりました」


 その光景に、どうしてかズシリと胸に痛みが走る。

私はお姉さまを誘うこの人の姿を、見たくない。


「汚れたドレス。染みになる前に着替えて参ります」


 立ち上がり、その場から逃げるようにテーブルを抜け出す。


「エマ。僕も少し席を外すよ」


 立ち去った私を、当然のようにマートンは追いかけてきた。


「マートンは、こっちに来ていいの?」


 そんな彼を振り返った。

声にした言葉が、思った以上に大きな声になり震えている。


「ルディのことが気になって」

「ねぇ、マートンは戻って。どうして? マートンは平気なの?」


 テーブルに二人だけを残しておきたくない。

だけど私はそれを、邪魔しにいく勇気はない。


「なにが?」

「だからマートンは……。ううん。何でもない」


 目から何かがあふれてきて、そこからこぼれ落ちてしまいそう。

そうなる前に一刻も早く消えてしまいたいのに、マートンの手が私の肩に添えられた。


「ルディ。少し話さないか」


 この人にそんなことを言われて、断れるわけがない。

小さくうなずくと、エスコートされるまま回廊を歩く。


「元気にしてたかい? 最近は君と会う機会も減って、エマが心配してる」

「大丈夫よ。私には聖堂の仕事があるもの」

「ルディ。リシャール殿下はレランドからこのブリーシュアへは……」

「ねぇ、ちょっと待ってマートン。どうしてここでリシャールの名前が出てくるの? あの人が私に、なにか関係ある? 私なんかより、お姉さまの方が……」


 不用意に視界に入ってしまったテーブルでは、二人が仲睦まじく談笑を続けている。

にっこりと微笑むお姉さまの姿に、彼は眩しそうに目を細めた。


「ねぇ、マートンはお姉さまのナイトで恋人なのでしょう? 早く行かないと。気にはならないの?」


 マートンの背中をグイと押し退ける。

彼はそんなことには、ビクともしなかった。


「ルディ。君の心はいつだって自由だ。そのことは誰も否定しない」


 マートンは私の腕をしっかりと掴むと、体を引き寄せた。

緑の目は誰よりも深く私をのぞき込む。


「戻れるうちに、戻っておいで。沼に深入りすると、そこから抜け出すのが大変だ」

「私にはマートンが何の心配をしているのか、さっぱり分からないの。いいから早く、お姉さまのところへ戻ってあげて。きっと二人にされて困ってるわ。私は着替えついでに、もう失礼するわね。殿下とお姉さまに、よろしくお伝えしておいてね」


 マートンを振り払い、走り出す。

これ以上ここにいるのは、限界だった。

駆けだした私は回廊を支える柱越しに、二人とすれ違う。

お姉さまはきっと驚いているに違いない。

私がマートンの言いつけを無視するなんて、ありえないことだもの。


 城内を駆け抜け自室に飛び込むと、ベッドへ倒れ込んだ。

どうしてか後から後から涙があふれてくる。

見たくなかった。

お姉さまにニコニコと笑顔を振りまくあの人の姿を。

私にはもう決して向けられることはなくなったあのキラキラと輝くすました笑顔が、たとえ作り物だったとしても。

出会った時には囚われてしまっていたのだ。

初めて踊った時に向けられたあの情熱が、彼の本心ではなかったとしても。

紅い目の誘惑が幻と分かった今でも、それを向けてほしいと願っている。

今の私はそれを向けられる全てのものに、嫉妬しているのだ。


 彼のために新調したドレスを脱ぎ捨てる。

マートンやお姉さまは、すぐに気づいていた。

あの人も褒めてはくれたけど、あんなのは社交辞令に決まっている。

今日のために新しくしたことを、彼は知らない。

当然だ。

あの人にとっては、どれも初めてみる衣装だもの。

私には似合わなかった。

ただそれだけのこと。


 侍女を呼び、すぐに着替えを用意してもらう。

あの人の前に立つ時は、この灰色の制服の方が似合っている。

本物の聖女でなくても、これを着ていれば彼は話しかけてくれる。

聖女でないと知っていても、接点は出来る。

一人で着替え終わった私は、涙を拭った。

侍女たちから入室の許可を求められ、声の調子を整えると、気取られることのないよう返事をする。

今日は遅くなると伝え、急ぐように自室を離れ聖堂へ向かった。

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