第2話

「もちろん聖女の数は多いにこしたことはありません。ですが、聖女として生まれてきた者に与えられた使命とは、それだけと思ってほしくはないのです」

「私もその意見には賛成です。エマさま。あなたにはぜひ我が国の現状を、ここブリーシュアばかりではない、他国の様子も見ていただきたい」


 リシャールはおもむろにお姉さまの手を取った。


「どうです? もしよかったらプロポーズの話は抜きにして、一度レランドへ足をお運びください。そうすれば……」

「そういえばお姉さま!」


 私は立ち上がると、ワザとリシャールの目の前に腕を突きだし、置いてあったティーポッドをつかみ取る。

自分のカップに自ら紅茶を注ぎ入れた。


「ボスマン研究所に、レランド出身の学者がおりましたの!」


 それを見たリシャールは、私の手からポットを奪い取る。

カップに注がれた半分の紅茶に、残りの半分を彼が注ぎ足した。


「まぁ。それで、殿下ともお話になったの?」

「もちろんです。エマさま」


 彼はにっこりと笑って、そのポットをお姉さまに掲げた。


「お茶のおかわりは?」

「いただきます」


 彼が嬉しそうにお姉さまのカップに紅茶を注ぐのを見て、私は自分のカップに注がれたばかりのものを、一気に飲み干した。

リシャールがお姉さまのカップを満たす前に、それを彼の前に突き出す。


「ぷはっ! おかわり! レランドの研究者はマセルと申しますの。レランド人らしい赤茶けた髪の、とても変わっ……はつらつとした方でしたわ」


 侍女が現れ、突き出したままの私のカップに紅茶を注ごうとするのを、リシャールが止めた。

彼は渋い顔でそのカップにも紅茶を注ぐ。


「それで実は、その彼にお願いをされましたの」

「お願い?」


 リシャールが紅茶を飲んでいる。

きっと空にして誰かに注いでもらうつもりだ。

それを察したお姉さまの手が、ポットに伸びた。


「そうなのですエマさま。彼は世界樹の生育しやすい土壌研究をしているのです」


 リシャールが空になったカップを差し出す前に、私はお姉さまの手からポットを奪い取った。

空になった彼のカップに、紅茶を注ぐ。

紅い目が明らかに私にだけにらみを入れた。


「それで、世界樹の庭の土を分析したいと、私に頼んできましたの」

「まぁ。あの庭の土を?」

「それは考えたことなかったな」


 マートンが侍女たちに合図を出した。

新しく運ばれてきたポットからは、ミトの葉を煎じた爽やかな香りが漂う。


「しかしあそこの土を運び出すには、王の許可が必要なのでは?」


 気づけばマートンのカップも空になっていた。

私は新しく運ばれて来たポットを侍女から受け取ると、ゆっくりと丁寧にマートンのカップに注ぎ入れる。

彼が小さな声で「ありがとう」とささやくのを聞くと、久しぶりの低音ボイスに、何だか耳の奥がむずがゆい。


「ルディ。クッキーも食べる?」

「マートンが選んで」

「了解」


 彼が私のために取り分けてくれたクッキーの皿を受け取ろうとした瞬間、リシャールの手がそこへ伸びた。

皿の中から一番大きな一枚を奪い取ると、パクリと自分の口に放り込む。


「んな! ちょっ……」

「実はそのことで、エマさまにお願いにあがったのです」


 にらみつけた私をもろともせず、彼はキラキラと輝く王子スマイルを浮かべた。

続けてマートンがリシャールのために取り分けたフルーツの皿を、彼の前に置かれる前に私が取り上げる。

目に付いた皿の上のキーウを、自分の口に放り込んだ。


「ルディ!」


 お姉さまの怒りを抑えた声が、のどかな庭園に響き渡る。

マートンは「やれやれ」といった表情を浮かべ、リシャールは笑いを押しつぶすようにぐしゃぐしゃと口元を歪めていた。


「だってリシャールが!」

「エマさま」


 リシャールは憎らしいほど完璧な笑顔を浮かべる。


「私からもお願いいたします。レランドの一研究者のためというわけではなく、この世界に住まう全ての者たちのために」


 ブリーシュアは世界樹のアロマに守られた国だ。

世界最古の世界樹を有し、その恩恵が途絶えたことはない。

そのためその良好な土地を巡り、各国と争いの歴史を繰り返してきた。

今はその反省から、世界樹の育成技術や苗木の供給を積極的に行い、平和的な外交を実践している。

世界樹と聖女に関する情報は、各国において重要な外交手段であり国家機密でもある。

お姉さまとマートンは、互いの顔を見合わせた。


「殿下。それをあなた方に提供することで、こちらに何の利点がございますの?」


 リシャールに反論するように、お姉さまが問いかける。


「お姉さま! これは私からも……」


 マートンは諭すように私を見下ろした。


「ルディ。君はこの国の王女だ。だから常に、ブリーシュアのことを考えて動かなくてはならないよ。もちろん今までずっとそうして来たことは、僕もよく知っている。そしてそれは、これからも変わらない」

「もちろんよ。マートン」


 だからこそ私は、自分の意志で彼に協力したいと思っている。


「そうね、こういうのはどうかしら。聖堂の方から、庭の土を使いたいと申請を出すの。そうやって聖堂で預かった土を、ボスマン研究所に共同研究として持ちかけるのはアリなのではなくて? 最初からそれありきでは、難しいかしら」

「まぁ、それくらいしか、方法はないかもね」


 エマお姉さまは、侍女が新しく注いだお茶にミルクを足した。

そのクリーマーを置いたとたん、リシャールはそれを自分のカップに注ぐ。

私はそのクリーマーを、マートンのそばに置き直した。

ムッとした表情を隠しきれなかったリシャールに、お姉さまは諦めたようにクスクス笑っている。


「で、それを私から陛下に進言しろと?」

「お姉さまが無理だとおっしゃるのなら、私からお願いいたします!」


 立ち上がった瞬間、カップが傾いた。

新調したばかりのドレスに、紅茶がこぼれ落ちる。


「あぁ。ルディの初めて見るドレスなのに……」


 マートンが慌ててナプキンで拭いてくれる。

侍女たちも飛び出してきた。

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