第2話

 切れ長の紅い目で足を組むと、サラリとそんなことを言ってのける。

この人のセリフはどこまでが本気でどこからが冗談なのか、本当に分からない。


「リンダは、ボスマン博士になんと手紙をかいたのかい?」

「私がこれまでに発表した論文の内容と、いま実験していることに関する問題点についてです」

「博士がその第一人者なんだね。世界樹の成長に欠かせない栄養素だっけ?」

「そうです。世界樹には、他の植物にはない大きな特徴があります。聖女と呼ばれる乙女の存在です。特殊な性質を持つ女性が側にいなければ、樹は育ちません。ですが、その成長のために樹に仕えた女性たちの平均寿命は、聖女としての資質を持ちながら樹に仕えなかった女性と比べ、極端に短くなっています。いくら瘴気を払い人の住める土地を保つためとはいえ、誰かの命を犠牲にすることは、間違っていると思うのです」


 聖女としての資質は、生まれ落ちた瞬間から定まっている。

リンダは孤児だった。

聖女として生まれた彼女は、城外にある、とある聖堂の前に捨てられていた。

国は樹に命を捧げる誓いを立てたその資質を持つ女性に対し、『聖女』という称号を与え特別な保護を行っている。

それはどんな条件の女性であっても、『聖女』であれば全て受け入れられた。


「聖女という存在がなくても、樹が育つ条件を探っている。君の研究内容は、そういうことだったよね」

「そうです。私は自分の命をかけて、その研究に励んでいるのです」


 馬車はコトコトと、王都の石畳の道を進む。

車窓にはブリーシュアの街並みが流れていた。


「リンダが火事の時、どうしても手放そうとしなかった茶色の小瓶のことを、殿下は覚えておいでですの?」

「あぁ、覚えているよ。ルディ。あれは君からリンダに返してくれと、頼んでおいたはずだが」

「あれは、リンダが調合した、世界樹専用の肥料ですの」

「肥料?」

「その肥料が完成すれば、聖女なしでも世界樹が育つかもしれませんわ」


 リシャールの真剣な目の動きが、リンダの上に止まった。


「その研究は、どこまで進んでいる?」

「まだなんとも言えません」


 彼女の研究内容とよく似たものは世界中で行われているが、成功したと言えるものはまだ何もない。

彼女の実験も、まだまだ発展途上だった。


「生成したものを、世界樹の若木に与えてはいるのですが、何しろ樹の成長には時間がかかります。一年や二年で成果の分かるものではありません。何十年とかけてその成長をみなければ、世界樹が瘴気を退けるアロマを放つまで、本当に完成させたのかどうかが分からないのです」

「なるほどね。気の長い話しだ」


 リシャールはそう言うと、外を眺めたまま黙ってしまった。

リンダもじっと何かを考え込んでいる。

ボスマン研究所まで、まだたっぷりと時間はあった。

私は軽やかに進む馬車に揺られながら、いつの間にか眠りについていた。

コトコトと回る車輪の小気味よい音を聞きながら、どれくらい眠っていたのだろう。

ふと聞こえてきた二人の声に、目を覚ます。


「それで君は、世界樹研究の道に?」

「そうなんです。私が聖女でなかったら、生きてはいなかったでしょう。そのことには、すごく感謝しているのです。だけど、もう誰にも、あんな悲しい思いはさせたくないのです」

「それは、私にも言えることだ」

「そうなのですか?」

「もしかしたら、私と君は似ているのかもしれないね」


 横になっていた体を、むくりと持ち上げる。


「あ、起きた」


 いつの間にかリシャールの隣にリンダがいて、私は一人横になっていた。


「ルディさまの寝顔を拝見できるとは、私も幸せものです」

「あら、ルディはいつだって机の上で寝てますよ。それくらい、いくらでも見られると思いますけど」

「おや。君も机で寝たりするのかい? リンダ」

「まぁ、そういうことも多々ありますね」


 二人は顔を見合わせると、ふふふと笑った。

私が寝ていた間の数時間で、すっかり仲良くなったようだ。

私は居心地の悪いまま、乱れたアプリコット色の巻き髪を手ぐしで整える。


「あ、ちょうど到着したみたいよ」


 馬車は石畳の街を離れ、草原の小道を進んでいた。

小高い丘の上に、様々な植物に囲まれた大きな館が見える。

その正門前に馬車が止まると、リンダは自らドアを開け飛び降りて行ってしまった。

私も降りようと腰を浮かせる。


「ちょっと待った」


 突然伸びてきたリシャールの手が、私の口元を拭う。紅い目がキラリと光った。


「よだれがついてる」


 彼は気取ったような調子でそう言うと、先に馬車を降り大げさなほど両手を広げた。


「さぁ、ルディさま。お降りください」


 よだれだなんて、そんなもの見せた覚えはないのに。

彼に触れられた口元をもう一度自分で拭う。

馬車の下で差し出された手に、渋々手を重ねた。

その瞬間、彼はパッと私を抱きかかえると、くるりと一回転する。


「きゃぁ!」

「あぁ、ルディさま。危ない! 危うく落ちるところでしたね。まだ寝ぼけていらっしゃるのですか」


 ワザとだ! 

奥歯をかみしめ悔しがる私に、彼はこっそりと耳元でささやく。


「これで目が覚めたか」

「こんなことされなくても、とっくに目は覚めております」

「そうか? 寝起きが不機嫌そうに見えたのだが」


 彼はニヤリとからかうような笑みを浮かべた。


「これからリンダの交渉に入るんだ。王女さまが寝ぼけたままだと、話にならんだろ」

「なっ! そんなことは……」


 反論しようとしたとたん、赤レンガを積み上げた大きな館の門が開いた。

慌てて駆け下り、整列させられたかのような所員たちが通路の両脇に出迎える。


「よ、ようこそいらっしゃいました。ボスマン研究所へ」

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