第3話

「では殿下。参りましょう」


 お姉さまとリシャールのダンスが始まる。

二人のダンスは、物語にしか出てこない相思相愛のカップルのように美しかった。

愛し合う王子と姫が踊ったら、きっとこんな風に輝いて見えるのだろう。

会場にいる誰もが、二人のダンスに目を奪われていた。

お姉さまが彼に何かを話しかけ、それにリシャールが答える。

お姉さまの深いブラウンの瞳は、リシャールの紅い目をずっと捕らえて放さない。

彼はゆっくりとお姉さまをリードしながら、優雅に踊り続ける。


 私はそんな二人を見ながら、ずっと握っていた苦いオランジの皮の入ったチーズを飲み込んだ。

こんな風景は、マートンとので見慣れている。

見慣れているはずなのに、私は呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。

柔らかなチーズが、口の中でとろけてゆく。

それをゆっくり味わいながら、朝まで続くかと思えたダンスがようやく終わりを迎えた。

お姉さまとリシャールがお辞儀をし、こちらに向かって来ようとしている。

とっさに「逃げなきゃ」という思いがわき上がり、すぐにかき消した。


「ルディ。さっきのお話だけど……」


 エマお姉さまのすぐ後ろには、紅髪の彼が立っている。


「リシャール殿下」


 そんなリシャールに、一人の女性が声をかけた。

リンダだ。

彼女は艶やかな黒髪の一部を編み上げ、残りをゆったりと後ろに流していた。

ドレスアップした夜の闇のような美しい黒髪から、さっきまで研究室にいたらしい世界樹の葉を蒸した匂いがする。


「殿下。火事の時に助け出していただいた者です。おかげでたいした怪我もなく、今も実験を続けております」

「あぁ、それはよかった。あの小瓶は受け取ったかな」

「はい」


 リシャールは彼女をダンスに誘う。

リンダの手は迷うことなくそこに重なった。

優しく引き寄せた彼女の目に、紅い目はゆっくりと微笑む。

王子の洗練されたリードが、リンダの不慣れなダンスをさりげなくフォローしていた。


「ルディ。私に話があるのではなかったの?」

「あっ。はい。そうでした」


 お姉さまの言葉に、ハッと我に返る。

しまった。

リシャールにうっかりリンダを渡してしまった。

だけど彼女にはちゃんと、事前に注意しろと警告はしてあるから、きっと大丈夫。


「あのですね、お姉さま……」


 私は今回の復旧工事と、それに伴う改修工事の費用と経過について、お姉さまに報告した。


「それは、事務官にあった報告書と変わらないってことでいいのね」

「まぁ……。そうですね。……。そうですわ」


 リシャールの紅い前髪が、リンダの耳元に近寄る。

何かをささやかれた彼女の頬が、彼の紅い髪に負けないほど真っ赤に染まった。


「ルディ。あなたがリシャール殿下を目の敵にするのは分かるけど」


 二人に気を取られていた私に、お姉さまが釘をさす。


「彼は大切な国賓でもあるのだから、あまり失礼のないようにね」

「はい。心得ておきます」


 彼のことを気にしすぎている。

それは自分でも気づいていた。

うなだれた私の頬に、お姉さまは優しいキスをする。


「じゃあね。おやすみルディ。リシャール殿下によろしく」

「はい。おやすみなさい」


 お姉さまが会場を立ち去る。

リシャールはまだリンダと踊っていた。

彼とお姉さまの接触を避けるという意味では、ある意味成功だ。


 華やかな会場を振り返る。

複数のカップルがくるくると華麗に踊る輪の中に、リンダとリシャールはいた。

お姉さまとの会話は短くてすんだけど、彼女に彼を近づけてしまったのは、大丈夫だったのだろうか。

リンダは聖堂に通う乙女たちのなかでも、特に秀でた優秀な生徒だ。

もちろん聖女となる資質もある。


 リシャールがささやいたらしい冗談に、リンダが笑う。

彼女のそんな楽しそうに笑う姿に、彼は満ち足りたように微笑んだ。

どうせまた、くだらない冗談や思ってもいないお世辞を並べてるのだろう。

それに付き合わされるリンダも気の毒だ。

ステップはどこまでも軽やかに鮮やかに続く。

これ以上リンダや他の乙女たちに迷惑をかけないためにも、彼には早々に引き上げてもらわないと。

リシャールのさりげないリードで難なく踊り終えた二人は向かい合い、挨拶を交わした。

眩しいほど真っ白な衣装に身を包んだ彼に、こんなにも丁寧にエスコートされたら、リンダの方こそ本物のお姫さまのよう。


「ルディ。殿下とはもう踊ったの?」

「えぇ。もう結構だわ」

「あら。二人が踊ってるところを見たかったのに」

「そんなの見たって、つまらないわよ」


 だって。

私とのダンスは、義理とか義務とか、慣例みたいなものだから。


「エマさまとは、どのようなお話をしたのですか?」


 リシャールはすました顔で、貴公子の笑みを向ける。

私と踊っていた時は、あんなに乱暴な口ぶりをしていたのに。


「殿下。私ともう一曲いかがです?」


 彼に向かって手を差し出す。

女性からのダンスの誘いだ。


「ルディさま? 本気ですか。私ともう一度ダンスをお望みとは」


 気づけば自分から、手を差し出していた。


「あら。私の誘いを断るおつもり?」


 やっぱりリンダから離れたくないんだ。

彼女は大切な友人。

渡せない。

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