第6話
「殿下は……。聖堂の乙女たちを口説き落とさなくてよろしいの? ボスマン研究所へ行く時間を作るのなら、乙女をスカウトする機会が減ってしまいますわよ」
「スカウトも大事だが、ボスマン研究所の方がもっと重要で貴重だろう。そんなの当たり前じゃないか。なんだお前、俺を置いていこうとしているのか? なぜだ。なぜそんなことをする」
聖女が自分の周りにいないとなると、とたんにこの態度だ。
「研究所は聖堂ではありませんのよ。聖女もいるかもしれませんが、出会う確率はほぼほぼないのでは?」
「そんな理由で俺を置いていくつもりか。なんだ貴様。俺は聖女のためだけにここにいると思ってんのか」
その紅い目にたっぷりの不平不満を抱え、私をにらみつける。
「もちろん聖女は連れ帰る。だが、それだけじゃないだろう。そもそもボスマン博士に直接会えるのなら、聖女一人を連れ帰る以上の価値があるじゃないか。もし俺を置いて隠れてこっそり行くようなことを計画しても無駄だぞ。絶対に追いかけるからな。なんなら先回りしてやる。そうだそれだ。うん。そうしよう。そうと決まれば、早速出発の準備を……」
王城の周囲を囲む回廊から城内に入る。
廊下の奥で偶然にもエマお姉さまとマートンに鉢会った。
「あら、お姉さま。丁度よいところでお会いできましたわ」
真っ白な聖女としての衣装を着たお姉さまのスカートの裾が、サラリと翻る。
寄り添うマートンは、一歩後ろに控えた。
久しぶりに会う彼の緑の目が、なんだか懐かしく感じる。
彼は私がリシャールといるのを見て、心なしか微笑んだ。
「あの、お姉さまに至急お願いしたいことがございまして……」
リンダとのことを話そうとしたとたん、リシャールはお姉さまの前にひざまずいた。
「エマさま。お願いがございます。私の話を、どうかお聞きいただけないでしょうか」
突然の王子さまモードだ!
その豹変ぶりに驚く私を横目にしながら、お姉さまはリシャールをのぞき込む。
「一体何事でしょう。どうか話してください」
リシャールは立ち上がると、自然な流れでなんの迷いも疑いもなくお姉さまの手を取る。
「聖堂の火災以来、リンダが酷く落ち込んでいます。彼女を勇気づけるには、彼女の研究をよく知るボスマン博士以外おりません」
紅い目はついさっきまでの、私への批難じみた視線から打って変わって、深い思慮をたたえた潤んだ瞳へと変化した。
「どうかリンダに、ボスマン研究所へ向かうことをお許しください」
「そうなの? ルディ」
「ま、まぁ……。そういうことですわ。お姉さま」
「分かりました。もちろん許可します。そしてリンダには、護衛をつけさせましょう。マートン。人選と配置をお願いできるかしら」
「はい。それではリンダの……」
「いえ。そのご心配には及びません」
リシャールは、エマお姉さまとマートンの間に割って入った。
「私は彼女の支えとなりたいのです。どうかリンダと共に、私もボスマン研究所へ向かうことをお許しください。長い道のり、道中の危険と不安を取り除いてやりたいのです。彼女の身を案ずるのは、私の役目にございます」
「なっ! あなたもリンダと行くつもりなの? リシャールがリンダと行くというのなら、私も共に参りますわ。お姉さま!」
「ルディまで、殿下とリンダについていくの?」
エマお姉さまは、マートンと顔を見合わせた。
「なら僕がお供しましょう。ルディとリシャール殿下の護衛につくには、相応しい人物が必要だ」
「それには及びませんわ! だって、だって……」
婚約発表を延期させられたマートンに、これ以上迷惑はかけられない。
それに、マートンと一緒に小旅行だなんて、リシャールのことも見張ってないといけないのに、絶対集中出来ない。
マートンには、自分が変に焦っているところだけは見られたくない。
彼にだけは、自分のみっともないところや恥ずかしいところを、知られたくない。
マートンの深い緑の目が見つめてくる。
ついその視線から顔をそらしてしまった私に、リシャールが進み出た。
「エマさま。あまり大がかりな人数で出掛けても、博士を刺激してしまうかもしれません。私とその従者、ルディさまのお付きの者と、少人数で出発した方が無難かと」
「ですがそれでは、リシャールさま方の負担が大きくなってしまいますわ」
「ふふ。慣れていますよ。お忍びであちこち出かけるのは、私の得意とするところです」
彼はキラキラとした、やんちゃ王子の笑みを浮かべる。
紅髪の彼はお姉さまに向かって、リンとした表情で言い放った。
「ルディさまは、お忙しいでしょう? ですから今回のリンダの護衛は、私が務めます。その方があまり大げさにならず、いいかもしれません」
「いいえ! そんなことをさせるわけにはいきません。絶対に私も参りますわ!」
「おや。ルディさまには、他にも守るべき聖堂のお役目があるのでは?」
すました顔してそんな殊勝な態度で、お姉さまに媚びを売ろうたって、そうはいかないんだから。
絶対にリンダと二人きりになんてさせるものですか。
そんなの危険過ぎる。
この人の魂胆なんて、私には全部お見通しよ!
そのリシャールが、不意に頭を傾けた。
「あぁ。ですが、マートン卿でなくては、ルディさまの護衛は務まりませんかね? それなら私は、ご遠慮いたしましょう」
「殿下。マートン以外にも、ルディの護衛役は務まりますわ」
「そうですか。ならよかった。でしたら私が、お二人をお守りしましょう。エマさま、それでどうかお許しください」
しまった。
結局彼も、リンダに付いて行くことになってしまった。
まんまと彼の思い通りにコトが運んでしまっている。
本心では上手く行ったとニヤニヤしているくせに、キリッと引き締まった真剣な表情で、律儀に胸に手を当てた。
エマお姉さまも、さすがに今回ばかりは譲るようだ。
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