第4話

「不思議。ここでこうして並んで座ることがあるなんて、思いもしなかったですわ」

「明後日にはレランドへ戻る。こうしてゆっくり話す機会は……。いくらでもあるか」


 紅い目が笑っている。

もう会えなくなるのは分かっている。

だからそんなことを言うのね。


「そうよ。望めばいつでも会えるわ」

「はは。ならよかった」


 扇を広げ、笑った口元を隠すフリをして顔を埋める。

扇を持っていてよかった。

今にも泣き出しそうな顔を、夜の闇と一緒に隠せるから。


「初めてこの城で出会った時、もちろん俺の目的はエマさまだった。だけど君がいるなら、それでいいと思った。エマさまは予想通り素晴らしく美しい人で、一瞬で心を奪われた。だけどルディ、君がレランドに来てくれるなら、それでいいと思ったんだ」

「だけど私は、あなたの望む人ではなかったでしょう?」

「……。それは、そうなんだが……」


 言いよどむ彼に、にっこりと微笑んで見せる。

こうして会いに来てくれただけで、十分だ。

彼の特別な人になれなくても、私にとってあなたは、いつまでも変わらずそこにある人。


「私も殿下のことが……。好きになりました。それはもちろん、最初はなんて酷い人だろうと思いましたけど、それも誤解だと分かったからです。あなたの聖女を思う心と、国を思う心が本物だと知れたからです」


 だからこそあなたには、私じゃ駄目だったのだ。

触れたくても触れられなかった髪に手を伸ばす。

初めて触れた紅い髪は、想像よりずっとつるつるとひんやりしていた。

指に絡ませようとしても、するりとほどけてしまう。


「どうかこの先、殿下にもよい人が現れますように。あなたの幸せを、心より祈っております」


 両手の指を組み、世界樹へ祈るように彼に祈る。

目を閉じたのは、こぼれそうな涙を押し戻すため。


「君はこれからどうする? 聖堂の管理者を続けるのか?」

「お姉さまに手伝いを頼まれております。きっともうあの灰色の制服を着ることはないでしょう」


 彼はとても驚いたような顔をして、すぐに横顔を向けた。

怒っているように見えるのは、きっと私の気のせい。


「殿下も本国にもどれば、忙しい日々が待っているのでしょう?」

「だろうな。きっと忙しすぎて、すぐに君のことも忘れるだろう。君がそうやって忘れようとしているように」

「忘れろと言ったのは、あなたの方ですけど」

「俺がいつそんなことを言った?」

「まぁ、そんなことももう忘れてるのね」

「どうすれば分かってもらえる? 俺が本気だったってことを」

「お姉さまへのプロポーズ、とても素敵でした」

「そうじゃないだろ!」


 あなたはそうじゃなくても、それが現実だ。

私は聖女にはなれない。

だからそういうことにしておかないと、この恋は報われない。


「残念ながら、今回はこの国の聖女を差し上げることは出来ませんでしたが、またお越しくださいませ。その時には、殿下と寄り添えあえるような乙女が、聖堂にいるかもしれませんわ。そしたらその方が殿下の花嫁候補として、共に……」

「聖女かどうかなんて、関係なかったんだ」


 冷たい夜の風に彼の温かな手が私の頬に触れ、唇に触れる。


「それでも君がそう思うのなら、そうだったのだろうな。俺はその誤解を解いておきたかっただけだ」


 そっと胸に抱き寄せられる。

わずかに触れた頬が燃えあがる炎のような熱を持ち、彼の心臓を高鳴らせていた。


「私だって、聖女に生まれたかった……」


 呟いた肩を、彼はもう一度強く抱きしめる。


「君が何者だろうと、もう俺には関係ないんだ」

「ありがとう。リシャール」


 白く広い胸に顔を埋める。

激しく打ち付ける彼の心音の記憶が、これからの私を慰めてくれる。


「エマお姉さまとは、何をお話したの?」

「君を泣かすことは許さないって。ルディをレランドには渡せないって、そう言われた」

「聖女でもないのに?」

「聖女でなくてもだ」


 抱き寄せる彼の手が、私の髪をかき上げる。

このまま「好きだ」と言ってしまえたら、どれほど楽になれるだろう。


「元気でね。あなたにはあなたの役目があるように、私にも私の役割がある。私はここで、お姉さまを手伝うわ。あなたはあなたで、どうか思うままに、望む道を進んでね」


 手を伸ばし、彼の唇に触れる。

その形の確かめるように、指の先で輪郭をなぞった。

次にこの人が触れるのは、どんな令嬢のどんな髪だろう。

どんな柔らかな手に、この唇からキスを落とすのだろう。


「さようなら」


 背を伸ばし、そっとキスをする。

誰かの唇が、こんなに柔らかいなんて知らなかった。

ドレスの裾を持ち上げ、逃げるように東屋を後にする。

涙があふれ出す前に、彼の元を去りたかった。

泣いている姿なんて、見せたくなかった。

もつれそうな足を必死で動かす。

今にも転んでしまいそうな体で、ようやく自室にたどり着いた。

ベッドに倒れ込む。

誰もいないことが確かな部屋で、声を上げて泣いた。

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