第10話
「どうしたの? 聖堂に戻っても、ここで習ったことはやれそう?」
「……。分からないわ。同じ器具、同じ試薬、同じ装置を使っても、ニックさんはちゃんと全部上手くいくのに、私には出来る時と出来ない時があるの。どうしてかは分からないって」
「何か特別なコツでも?」
「彼が言うには、何度も練習して慣れるしかないって……」
昨日から一睡もしていない彼女の目は、真っ直ぐにどこか遠くの見えない何かを見つめていた。
「ねぇルディ。私って、かわいい?」
「どうしたの急に」
「ここの人たちに、私の今までの研究が『かわいい』って言われたの。私って、そんなにかわいかった?」
「あなたはうちの聖堂で、一番の研究者よ」
「……。そうね、私もそのつもりだった。だけど、それがここでは『かわいい』って言われたの」
彼女が火災の時危険を冒してまで守ろうとした、世界樹を育てる画期的な肥料となるはずの新薬の瓶が、その蓋を開けたまま放置されていた。
中身も半分にまで減っている。
「早く聖堂に戻って、自分でちゃんと試したい」
「戻りましょう。ここでの用が済んだのなら」
リンダの目は、それでもまだ強い力を放っていた。
彼女がうなずいたのを確認し、研究所を後にする。
今後の約束をいくつか取り決め、別れの挨拶をすまし馬車が動き出した瞬間、彼女はあっという間に眠りこんでしまった。
リシャールはリンダを座席の上に横にすると、毛布をかけてやる。
私の隣に腰を下ろした。
「リンダはとても努力家なのだね」
「城内に部屋を与えられるほどには、優秀ですわ」
大丈夫。
リンダならきっとやれる。
どんなことでも、彼女はその持ち前の努力で智恵を絞りながら前に進んできた。
「なるほど。ブリーシュアは最古の世界樹を有するだけあって、実に様々な聖女がいるものだ」
「どういうことですの?」
「エマさまのような、聖女の中の聖女もいらっしゃれば、リンダのように研究者としての顔を持つ者もいる」
「聖女とは、職業を示すものではありませんもの。聖堂は聖女としての心がけを学ぶ学園のようなところですし、居場所のない者にはリンダのように保護を与えますけど、それぞれに自由な暮らしは認められておりますわ」
「それはもちろんだ。瘴気と世界樹のアロマの狭間にあって、常に魔物の脅威にさらされている我が国には、ハンターとして戦う聖女もいる」
「まぁ、そんな方もいらっしゃるのね」
どんな女性なのだろう。
魔物を狩るハンターとして戦うのであれば、この人と共に馬を走らせることもあるのだろうか。
鎧を身に纏いサンドホースにまたがり、颯爽と赤茶けたレランドの大地を駆け抜ける姿を、今この隣に座っている彼の姿からは想像出来ない。
時には互いをかばい合い、背中を預けるような相手が、本国に帰れば待っているのだろうか。
不意にリシャールの手が、私の髪に触れた。
「ふふ。そうかと思えば、聖女でもないくせに、自分は聖女だと言い張って聞かない姫さままでいる」
私はその手をパチンと扇ではねのけた。
「ですから、私は聖女でありませんので、あなたのそういった関心の対象ではありませんのよ」
「もちろんだ。そもそも王女である君やエマさまを、そう簡単に持ち帰れるだなんて、思ってもないさ」
彼は腕を組むと、窓の外に向けた目を閉じてしまった。
そんなことを言って、エマお姉さまにはしっかり求婚したくせに。
聖堂へ足繁く通い、聖女たちを口説いているくせに。
あなたの目には、私なんか映っていないくせに。
あぁ、お姉さまにプロポーズすること自体が、この人の本当の目的だったんだ。
エマお姉さまに相手にされなくても、返事を待つ間はブリーシュアに滞在し、好みの聖女を探すことが出来る。
カタカタと揺られる馬車の中で、リシャールも寝てしまったようだ。
私は城までの長い道のりを、サラサラとした燃えるような紅髪を眺めながら、いつまでも馬車に揺られていた。
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