第2話

「お待ちください、博士」


 退席するよう促される前に、リシャールが口を開いた。


「我がレランド王国の代表として、お願いがございます」

「分かりました。お引き受けします」


 博士は全くの興味なさげに、即答した。


「第一王子にわざわざご足労いただいて、断れる庶民がおりましょうか。お引き受けしますよ。条件や費用については、別途お知らせします。では、ご退室を」

「これからの博士のご予定は?」


 リシャールは紅い目に、柔らかく笑みを浮かべた。


「次の面会者と会う予定です」

「控えの間に、他に客人はおりませんでしたよ。みな退室したので。確認してみますか?」


 博士はとぼけたように手の平を上にすると、肩をすくめた。

リシャールの言葉に納得は出来ないが、理解はしたようだ。


「全く。王侯貴族のご訪問となると、みなこれだ。私は仕事が早く済んで助かるのだがね」

「かつてレランドから送った使者からの、返事をまだいただいていない」


 紅髪の殿下は、極めて穏やかな表情を浮かべている。


「申し訳ないが、博士のやり口はこちらも知っている。はいはいと安請け合いしておいて、返事はなしだ。高額の報酬を提示しても、全く見向きもしない」

「レランドからの依頼は知っていますよ。だが、何しろお偉方を満足させるほどの成果をあげるには、時間がかかるのでね。それを待てないというのなら、お引き取り願うしかない」

「時間がかかるのは分かっている」

「では報告出来る成果の上がるまで、お待ちください」

「それで失敗したと言われても、受け入れろと?」

「研究とはそういうものです。政治とは違う。恫喝や誤魔化しで命令に従う素振りは出来ても、そこで上がった成果にはなんの意味もないばかりか、未来への害悪でしかない。政府から出される補助金が目当てになった学者ほど、悲しいものはないですよ」


 博士は大きな体をソファから持ち上げた。


「さて、実験の反応をさせなければならない時間が来てしまったので、これにて失礼します」


 私たちが入って来たのとは、違う扉から出て行く。

きっとその向こうが、彼の実験室なのだろう。


「反応の時間とは?」


 リシャールがリンダに尋ねた。


「きっと、何かの実験中だったのだと思います。化学反応は、瞬間的に起こるものもありますが、ゆっくり時間をかけて起こすものもあります。その反応待ちを空き時間として利用して、面会時間を作っているのかと」

「邪魔するわけにはいかないっていうことなのね」


 応接室側の扉がノックされ、ガチャリと開いた。

一人の研究員が顔を見せる。


「ニックです。ボスマン研究所で実験助手をしています。リンダさん……は、どちらでしょうか?」

「私です」


 同じ聖女見習いのグレイの制服を着ている私たちを見比べる彼に、リンダが手を挙げた。


「あ、こちらでお話を伺いますので、どうぞ」


 博士は口は悪くとも、リンダを歓迎すると言った言葉に偽りはないようだ。

彼女は厳しい表情を一瞬浮かべたものの、すぐにそれを引き締め力強くうなずく。


「私たちも、見学させていただいてよろしいかしら?」


 私は焦げ茶色の髪をした青年に声をかけた。


「リシャール殿下とルディ王女さまですよね。どうぞ」


 博士の私室を出て、研究室に案内される。

聖堂のものとは比較にならないほど広かった。

見たこともない装置や器具が所狭しと置かれ、植物に限らず動物や鉱石の標本まで並んでいる。

数多くの研究者たちが単独で複数で、何らかの作業を続けていた。


「立派な研究所ね」


 思わす漏れた声に、ニックは笑った。


「はは。初めてここに来た皆さんは、全員そう仰います。ルディさまも実験を?」

「いえ。私はしませんの」

「あぁ、そうだったのですね。分かりました。じゃあリンダさん。こちらへお願いします」


 彼の手には、今朝一番にリンダが書いて送った書簡が握られていた。

ニックはリンダに椅子を勧めると、実験の手順や方法について聞き取りを始める。

彼女は熱心に語りはじめたが、私とリシャールには分からない話だ。

リシャールは実験室の中を見渡す。


「この中を見学しても?」

「えぇ、どうぞ」


 広い研究室を眺めていた彼は、突然何かを見つけたかのように歩みを早めた。

私はリシャールの後を追いかける。

彼は自分の髪とよく似た、淡い赤茶色の髪の男性の元へ進んだ。


「リシャール殿下!」

「君がレランド出身の研究員か」

「はい! マセルと申します」


 リシャールよりは随分淡い赤茶色の髪だが、サラサラと真っ直ぐに流れる髪質は変わらない。

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