第4話

「なんだ、どうした。ここへ来ているということは、君は国では名の知れた研究者なのだろう?」

「そうですよ! 僕だって最初はそうだと信じてここへやって来ました。ですがここでは、研究成果をあげるか、施設に運営資金を寄付する金を出せなくなればおしまいです。出て行かなくてはなりません。寄付金は……国からの補助で何とかなってますけど、それだけでは実験に必要な高額な試料が揃わないのです。これでは成果が出せません」

「金がいるのか?」

「お金もそうですけど、もろもろ合算すると……。申し訳ないですが、殿下のポケットマネーで何とかなる金額では……」

「まぁ俺としても、国の予算を勝手に動かすことは避けたいな」

「少なくとも、聖女に関するサンプルが何かあれば……。僕の本当にやりたい実験が出来るのですが……」


 リシャールはぐったりと実験台の上に倒れたままのマセルを見下ろした。


「何がほしい」

「天幕街の薬問屋、サーシェルで売っている試薬セットです。シルグレット含有率15%以上のやつ」

「要求が具体的だな」

「買ってくださるのですか?」

「俺のポケットマネーで何とか出来るのはこれくらいだと、お前は見越したのだろ?」

「そうです!」


 彼は悪びれる様子もなく答える。

リシャールはそんな彼を見て笑った。


「はは。いいよ。買いに行ってやる。こんな色気のないお使いも、そうはないだろうけどな。ボスマン研究所に入ったといううちの学者の様子をみに来るのも、予定のうちだったんだ」

「ありがとうございます殿下!」

「君も行くか? ルディ」

「そうね。どちらでもかまいませんけど……」


 研究室内部を見渡す。

リンダも聖女ではないと、勘違いしたのだろう研究員たちは、とたんに私たちに興味を失っていた。

リンダはこれから本格的に実験手順をみてもらうのか、聖堂と同じ器具を組み上げ始めている。


「よろしくてよ。私もそのお買い物につきあってさしあげますわ」

「そうか。だがそれにしても……」


 彼は紅い目でじっと私を見下ろした。


「その格好では目立ちすぎるな。君がこの国でこんなに名を知られているとは思わなかった」


 リシャールはすぐ近くにあったフード付きのローブを私の肩にかけた。

それですっぽりと聖女見習いの制服を隠す。


「これを借りてゆくぞ。マセル」

「どうぞ。よかったらもういっそ差し上げますよ。ルディさま」

「あら、それでよろしいの?」

「そのかわり、無礼を働いた罪で投獄するのはお許しください」

「仕方ありませんわね。取引成立よ」

「よかったな、マセル。ルディ王女が寛大なお心の持ち主で」

「試薬は出来るだけ早めにお願いします」

「はは。生意気なやつだ」


 リンダには先に宿に戻ると告げておく。

「分かりました」と返答したリンダの緊張した様子では、このまま実験室で夜通しの作業になりそうだ。


「ルディ。私が宿に戻らなくても心配しないで。絶対にあの実験操作をものにして帰りたいの。ここの研究員なら誰でも出来るなんて言われて、負けてられないから」

「分かった。頑張ってね」

「もちろんよ。私もルディがくれたこの機会を、無駄にしたくない」


 リンダを残し、私はリシャールと共に暮れ始めた夜の街へくり出した。

従者たちが私たちに代わり買い出しに行くと言うのを、リシャールは全てはねのける。


「それくらいの誠意は、俺にだってあるぞ」

「そうですわ。お忍び旅行での夜のお買い物なんて楽しいお話、なぜ放棄する必要がありまして?」

「そうだ。俺も完全にルディに同意する」


 夕暮れ時で賑わう石造りの街中を、指定された店まで馬車で向かう。

ボスマン研究所から少し離れた天幕街の大通りは、帰宅を急ぐ人々や夕飯の買い出しに来た人たちで賑わっていた。

あちこちから煙があがり、おいしそうな匂いが漂う。


 指定されたサーシェルという薬問屋は、国内外でも有名な大店であった。

閉店に近い時間であるにも関わらず私たち以外にも大口の客がいるのか、店の鉄格子門の前には他にも数台の馬車が止まっている。

リシャールと私は目立たぬよう、二人きりでひっそりと店に入った。


 試薬の元となる様々な薬草や鉱石、魔物素材の展示された通路を抜けると、商談用ロビーに出る。

そこは城一番の大広間にも負けないほどの広さがあった。

大きなテーブルがいくつも置かれ、その一つ一つで交渉が行われている。

三階まで吹き抜けの店内には天井までぎっしりと薬棚が並び、店員たちは梯子を使って客から注文のあった薬草や試料の鉱物を取り出すと、それぞれのテーブルに運んでいた。

大きな袋に詰めた薬草をいくつも買い求めている客もいれば、サンプル試料の入った小瓶を、熱心に観察しているテーブルもある。


「ご予約のお客さまでしょうか?」


 店員の一人がリシャールに声をかけた。

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