第8話 [作戦] 


     *


 彼女――美波さん――は、その後も何回かランチタイムに葉山さんと一緒にやってきたらしい。生憎僕は学校で、会うことはできなかったけれど、二人の様子を岬さんから聞くことができた。


 といっても、店が一番忙しい時間帯なので大した情報は得られていない。岬さんが言うには、彼女たちは客商売をしているという見立てだった。会話の中に、「お客様」や「うちの店」という単語が出てきたのでそう思ったという。彼女たちの爪が短く切りそろえられていたり、派手なネイルなどを施していないところを踏まえて、夜系の職業ではなさそうという。さすがだ。僕は、女性の手元までチェックしたりはしない。とはいえ、他人の会話を盗み聞きしたり、勝手に素性を探るのはいい趣味とは言えない。これ以上、岬さんに探りをいれるのはよそうと思った。


『問題はここからだね』


 マルマリは、ロダンの考える人みたいな姿勢で言う。相変わらず変な猫だ。探偵のような洞察力があるかと思えば、占い師のように予言もする。


「ん? 何が?」


『何がじゃないよ。君、忘れたの? 彼女がホラー映画を観て泣いていた理由が知りたかったんだろう? それ、訊いたのか?』


「あ、そうだった」


 間抜けな声が出た。無視されたわけじゃなかったことがわかって、それで満足していたけど、本来僕が知りたかったことは別にあった。


『進展したようで、全然進展してないんだよ』


「でもさ、どのタイミングで訊けばいいんだよ。もし仮に、彼女が店に来たときに会えたとして、どう切り出せばいいかわからないよ。きっと、センシティブなことだと思うし、人に聞かれたくないだろうし……」


『とりあえず、二人きりにならないとね』


「それは難しいよ」


 彼女の働いているビルは駅の南口だから、ここからそう遠くはない。自転車で十分弱。徒歩なら、駅を突っ切れば二十分くらいだろうか。いつもは、葉山さんの車で来ているみたいだから、美波さんが一人でここまで来ることはないだろう。


『二人きりになる方法かぁ』


 マルマリがうーんと唸る。


「でも、二人きりになっても、ちゃんと訊きだせる自信ないな」


『二人きりになれる空間ってあそこしかないよね』


 マルマリは、僕のつぶやきを無視して話を進める。


「あそこってどこ?」


『男女が二人きりになる場所といえば、あそこに決まってるじゃないか。最高の密室空間。そして、絶頂での熱い……』


 マルマリが口元をすぼめて、チュっとかわいい仕草を見せる。


「おい、まさか……」僕の頭に浮かんだのは、ホのつく三文字の場所だ。


『それそれ。君が思ってるところ言ってみて』


「いやいやいや。何言ってんの。そんなところ高校生が行けるわけないだろ。だいいち、ホテルにどうやって誘うんだよ」


 僕は、顔が熱くなるのがわかった。


『ぷっ』マルマリが噴きだす。『君みたいなチェリーくんでもそんなこと口にするんだ。エッチなこと想像したりするんだぁ。あはは。なんか安心したよ』


 完全にからかわれている。


「なんだよ。おまえが誘導したんじゃん」


『あはは。ちがうよ。男女が二人きりになれる定番スポットといえば、観覧車の中にきまってるじゃない』


「あー、もうむかついた。人のことバカにして。だいたい、ホテルも観覧車もどっちも無理。僕はただの高校生でたまに行くカフェの息子でしかない。デートに誘ったところで断られるのがオチじゃん」


『はい、よくできました。そう、次に君がすることはデートに誘うことだよ』


 マルマリはサルのおもちゃみたいに、ガシガシ両手を叩いて僕を褒めた。


「なんでそうなるんだよ」


『君は、自分の心に正直になっていないだけ。彼女のことがすごく気になる存在であることは認めてる。だけど、好きではない、好きにはならないと頑なにセーブしている。本当は、会いたくて会いたくて震えるほど好きなのに』


「なんで、西野カナ知ってるんだよ」


『すいませんね。猫のくせにおせっかいで。君を見てるとついね、どうにかしてあげたいなって疼いちゃうんだよ。ジブンの悪い癖だね』


 ふぅ、と一呼吸置いて頭を整理した。


「マルマリ。僕の正直な気持ちを言うね」


『うん』


「彼女のことは、気になっているよ。これは、きっと出会ったときから。会った瞬間というか見た瞬間になんとなくそういうのあるじゃない。一目惚れといえるほど大げさではないけど、インスピレーションでいいなって思う感覚」


『あるね』


「また会いたいな、会えるといいなって思ったのも事実だ。実際、再会したらその気持ちはさらに大きくなった。父さんや岬さんから、彼女が店に来たって聞くと、学校に行ってた自分が恨めしくなる。そのくらいには、彼女のことが気になっている。だけど、それが好きかどうかはよくわからない。だって、僕はまだ彼女のこと何も知らないからね」


『やっと、素直になってきたね。うん、その調子だよ。これから知ればいいんだよ』


「茶化さないでよ。真剣に言ってるんだから」


 僕は、自分がこんなに異性について真剣に語っていることに驚いた。たった、数回会っただけの人なのに。


『じゃ、本題に戻ろうか? 君がまず知るべきなのは、彼女の涙の理由ではないのかい?』


「それって、重要なのかな? 彼女は、そんなこと僕に話したいと思ってないんじゃないかな。それどころか、訊くのは野暮なんじゃないかなとさえ思うよ」


『どこまでも優しいね、君は。確かに、訊くのが野暮というのは一理ある。でも、もし君が彼女を好きになる過程では必要なことだとは思わないかい?』


「うん。好きになったら、きっと相手のことなんでも知りたくなるだろうね」


『じゃ、勇気をもって訊きなよ。それが二人をつなぐきっかけになったんだから。あのとき、なんで泣いてたのって軽く訊ねるくらいなら、許容範囲だと思う。そのとき、しつこく訊いたらダメだよ。相手が言いたくなさそうな雰囲気を出したら、さっと引けばいい』


「わかった。で、どうすれば二人きりになれるの?」


 気づけば、僕は前のめりでマルマリに助けを求めていた。


『まずは、彼女の情報が必要だ。名前がわかったところで、SNSで検索をかけてみよう。何かわかるかもしれない』


 マルマリに言われて、スマホをタップする。


 すると、ひとつそれらしきアカウントが見つかった。アイコンに使用されているドアップの顔は加工されているけど、彼女の面影がある。投稿された画像は、彼女が描いたと思われるイラストが数枚あるだけで、友達と撮った写真などはなかった。五年前から更新はされていないけど、プロフィール欄には色々と情報が載っていた。


〝JPN LJK アート 映画 スイーツ〟


文字と文字の間にはカラフルなハートやバッグやリップやネイルなどの絵文字が添えられている。


「これって、なんかの暗号?」


 僕は首をひねる。


『君さ、現役の高校生なのにこんなのもわからないの?』


 猫が僕をバカにする。


「これで何がわかるって言うんだよ」


『JPNは日本。これくらいわかるよね?』


「うん」


『LJKはラストJKの略。つまり、五年前高校三年生だったってこと』


「ああ。てことは、今、二十二歳か。へえ」


 また、間抜けな声が出た。


『他にも重要なことが書かれているぞ』


「映画ってところ?」


『そう。彼女は映画が好きなんだよ』


「つまり?」


『少しは自分で考えなよ』


「わかんないよ」


『映画が好きな人が急に映画を嫌いになったりはしないよね?』


「まあ、そうだね」


『プロフに書くぐらいだから、けっこう好きなんだよ。その好きな映画を観て、尋常じゃないくらい泣いてたわけだよ』


「うん。それで?」


『ジブンにもよくわからないけど、きっと映画館にヒントがあると思う。とにかく、映画館に行け。彼女が来るのを待つんだ。そして、偶然を装って声をかけろ。映画館で始まった恋は映画館で再開する。行け』


 マルマリに言われて、僕は可能な限り映画館へ足を運んだ。フロアをうろうろと時間ギリギリまで粘った。怪しまれないように、スマホでどこかへ電話する仕草を入れてみる。待ち合わせをしているのに彼女と連絡がとれないちょっとかわいそうな男を演じてみたりした。


 だけど、一週間経っても二週間経っても彼女は現れなかった。いや、僕がいない時間帯に来ている可能性もあるから、単なるすれ違いかもしれない。


 半ば諦めかけていた。

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