第10話 [当惑] 

     *


『ずいぶん、進展したね』


「でしょ?」


 僕は自信満々にマルマリを見る。


『でも、一番肝心なことは訊けなかったんだ』


「もう、そのことはいいんだよ。たぶん、大した理由じゃない」


『本当にそれでいいの?』


「だって、付き合ってる人もいないって言ってたし、仕事も順調そうだし、泣くようなことはなさそうだもん」


『ふーん。で、手ごたえはあったわけ?』


「手ごたえって何が?」


『彼女を自分のものにする手ごたえだよ』


「そういう下品な言い方はやめてよ。僕は、ゆっくり距離を縮められればそれでいいんだ」


『何ぬるいこと言ってるの。君は、彼女に惹かれている。そうだよね?』


「うん。たぶん」


『それは、彼女が魅力的な人だからだよね?』


「うん」


『君がそう思ったんなら、世の中の男もそう感じているってことだよ。彼女の仕事はなんだって?』


「アロママッサージのセラピスト」


『それって、肌に触れる仕事だよね。素敵な彼女に腕を組まれて君はどう思った? あれだけ頑なに恋じゃないとか言っておいて骨抜きにされてるじゃないか。そういうもんなんだよ。男っていうのは』


「たしかに、僕は彼女に惹かれてるよ。おまえの予言通りになって悔しいよ。でも、だからなんだって言うんだよ」


『勝負は早めがいい』


「は?」


『いいから、とっとと気持ちを伝えろ』


 マルマリは、なぜいつもこんなに僕を煽るようなことばかり言うんだろう。


 翌日、自転車がない僕は歩いて登校した。


「よう、洋ちゃーん」


 後方からケンケンの声が聞こえて振り返る。


「あ、おはよう」


「チャリは?」


「ちょっと、置き忘れてきちゃって」


「俺さ、明日学校休むからよろしく」


 よろしくと言われても困る。僕はケンケンみたいに、クラスのムードを盛り上げたり、授業の下手な先生に気を使ったり、女子と男子の微妙な空気の橋渡しをできる人材ではない。


「なんで休むの?」


「高校最後のクラスマッチで最高の思い出を作るためだよ」


 なぜか、セリフ口調で高らかと宣言する。


「クラスマッチは明後日だよ」


「だからだよ。明日は丸一日、バッティングセンターでコソ練をする」


 三年生の競技は、男子がソフトボールで女子がバトミントンだ。


「なんでそこまでするの?」


「あ、洋ちゃん。たかがクラスマッチごときにって思ったでしょ?」


「いや、思ってないよ。ただすごいなって」


「どうせなら、優勝したいじゃん」


「僕は、できるだけみんなに迷惑をかけないようにするので精一杯だよ」


 ケンケンのバイタリティにはほんと頭が下がる。千円カットの僕とは違って、いつも髪型は雑誌のモデル並みに決まっているし、同じ制服を着てるとは思えないほどおしゃれに着こなしている。どこをとっても抜かりがない。この感じで、入学時から成績トップを維持しているとか、化け物としか言いようがない。


「実はさ、明日の昼休み、一年の女子から呼び出されててさ」


「それって告白?」


「さあ。インスタのDMで、話があるから来てくださいって」


「それは、間違いなく告白だね」


「で、俺は明日風邪を引く予定なんだよ。前もって断ることができない。だからさ、頼む。俺の代わりに要件聞いてきて」


「はあ? 無理無理無理。僕が行ったら、お前誰だよってなるじゃん」


「そこをなんとか頼むよ。俺は、クラスマッチでホームランを打ちたいんだよ」


 ケンケンは、空を指さしながらかっこよく言い放った。


「ええ。でも……。うん、わかったよ」


 めんどうなことになったな、と思ったけどケンケンの頼みだから断れない。この学校で友達と言える友達はケンケンしかいないのだから。


 翌日の昼休み、僕はケンケンの代わりに中庭へ向かった。どんな子が来るかも一切聞かされていない。ただ、saraという名前の一年女子とだけ言われた。アカウントの名前だろう。


レンガ調になった壁にもたれるように待っていると、赤い上履きを履いた女子三人組がやってきた。うちの学校は、赤、青、緑で学年分けされている。弾けるような黄色い声が飛ぶ。きっと、あの子たちのどれか。僕は、アピールするように彼女たちに視線を送る。なかなか気づいてくれないので、咳ばらいをした。


「えっ、なんで」


 三人の女子が僕の顔を見て、不安そうに眉をひそめた。


全員、同じ髪型で同じスカートの長さで同じ靴下を履いていて、きっとシャッフルしても気づかないだろう。


三人の女子は、何かを察したらしく緊急会議を始めた。「どうする?」という作戦を練る声が聞こえてくる。申し訳ない気持ちになる。ごめん、ここへ来たのが僕で。


「あの、剣先輩は?」


 一人の女子が訊いた。この子がsaraなのか?


「今日、風邪で休みで」


 僕が言うと、また三人が緊急会議の体勢になる。


「安藤先輩って、いつも剣先輩といますよね?」


 女子たちの言わんとすることはわかる。なんでおまえが、というニュアンスが伝わってくる。わかるよ。僕だってそう思ってるんだから。


 それよりも、僕の名前を知っていることに驚いた。


「あの、剣先輩って彼女とかいますか?」


「さあ」


 僕の回答にあからさまにむっとした顔を見せる。


「本当のこと教えてくれませんか?」


「いや、本当に知らないんだ」


 また、緊急会議が始まる。


「もういいです。おつかれさまでした」


「あ、どうも」


 思った通りの反応だった。代理で行ったのに、なんだか僕がふられたみたいだ。


 翌日、ケンケンは見事ホームランを決め、優勝に導いた。僕たち、三年三組の男子は「うぉー」と野太い声を空高く放ち、歓喜の舞を舞う。ケンケンはガッツポーズを決め、ゆっくりと塁を周り、両手を上げてホームを踏んだ。


宣言通り、高校最後のクラスマッチで大活躍した。僕は一度もグラウンドに出ることはなかった。ベンチでずっと待機の姿勢。どうか、自分の番が回ってきませんようにと祈りながら。うちのクラスの男子は全員で十五人。九人いれば試合はできる。僕みたいな運動音痴は、ひたすら応援してればいい。


「おつかれ」


 ケンケンがポカリを持って、教室に戻ってきた。


「大活躍だったね」


「コソ練の成果があったよ」


「ちゃんと、決めるところがケンケンだよ。ほんとすごい」


「いやいや。コソ練のことは内緒にしててね。かっこ悪いから」


 人差し指を唇に当てて言う。


「人気者も意外と大変なんだね」


「あはは。洋ちゃん、昨日、ありがとな」


「ううん。べつに。それより、あの子たちの要件は済んだのかな」


「なんか、長文のDMが届いてたけど、全部は見てない。たぶん、要約すると俺のことが好きってことっぽかった」


 ケンケンの額は、キラキラと青春のかけらが光っていた。


     *


 美波さんのエスコート役を任命された僕は、まるで二重生活を送っている気分だった。学校では、つまらなくておとなしいケンケンの横にいる冴えないやつで、夜になると姫を守る騎士へ変身するみたいな。


週に一度、水曜日の夜に僕は呼び出される。駅で待ち合わせをして、映画館へ向かう。映画の選出はいつも彼女任せ。理解不能な宗教映画も、ゴリゴリの任侠映画も、甘々な青春映画もなんでも観た。だけど、僕たちのお気に入りは笑って泣けるコメディだった。帰りの電車で一番盛り上がるし、楽しい気分のまま別れることができるから。


観る映画がなくなったころ、美波さんが山登りがしたいと言い出した。滝に打たれてみたいとも言ったし、座禅を組んでみたいとも言った。僕は、全部につきあった。彼女はとても負けず嫌いで、一度も弱音を吐くことはなかった。どちらかというと、僕の方がへたれだった。何をしても楽しめたのは彼女と一緒だったからだ。


「夏祭りにも行きたい」


「花火も見たいししたい」


「海にも入りたい」


「プールにも行きたい」


 美波さんには、行きたいとこリストとやりたいことリストがあった。


「了解っす」


「まだ、五個くらいしか達成できてないな」


 指を折る仕草がかわいかった。


 いつかは終わるんだな、と思うと急に悲しくなった。そのタイミングは何を意味するのだろう。僕は、何かのフラグじゃないかと心配になってしまう。楽しくなればなるほど、不安になった。いつまでもこの関係がつづいてほしいと強く願えば願うほど、遠くに行ってしまいそうで怖い。


 今度、晴れた日に動物園へ行こうと誘われた。「ライオンのいびきを聞いてみたいの」と子供みたいな笑顔で言った。さっそく次の日曜日、福岡市動植物園へ行った。ライオンのいびきは残念ながら聞けなかったけど、ゴリラのいびきを聞くことができた。僕たちは、腹をかかえて笑った。その後、ジェットコースターにも乗ったし、メリーゴーラウンドにも乗った。僕たちは、姉弟ではなく、ふつうのカップルみたいに見えただろうか。


 優先順位なんてものはなく、彼女の思いつきに僕は付き添うだけ。なんだか、ミステリーツアーにでも参加したようでけっこう楽しい。


「じゃ、次はマリノアの観覧車に乗ってみたい」


ついに来てしまった、と緊張した。観覧車の中は密室で、僕たち二人だけの空間になる。


「タイムリミットは、十二分間」


 乗り込んですぐに彼女が言った。


「え?」


「この観覧車が下に着くまでの時間」


「へえ。けっこうありますね」


「意外とあっという間だよ」


「……」


「てっぺんになったら、教えてね」


「……」


 密室空間で何が怖いかって、沈黙の時間だ。僕は、何か喋ろうと必死に考えた。


「あと、いくつあるんですか? やりたいことリスト」


「まだまだよ。いっぱいありすぎて、もうノートに書ききれないくらい」


 彼女は空を見つめながらつぶやいた。


「全部やりきるまで、お供しますよ」


「約束だからね」


「任せてください」


「頼もしい」


僕が冗談っぽく「そういう映画ありましたよね」と言うと、「そういうんじゃないってば」と勢いよく膝をたたかれた。悲恋ものの映画でよくある演出で、死ぬまでにしたいことリストをひとつずつクリアしていくといったもの。旅行するとか、遊園地に行くとか、好きなだけケーキを食べるとか、思いっきり恋をするとか。


「私、死なないよ。めちゃくちゃ元気だもん」


 彼女が笑う。


「じゃ、なんでこんなこと」


「目の手術をするの」


「それって、見えるようになるってことですか?」


「うん。手術が成功すればね。だから、今の見えない世界を思いっきり楽しもうと思って」


「目が見えるようになってからじゃ、ダメなんですか?」


「世界がね、全然ちがうの。感じるものも全然ちがう。今の鋭い感覚は消えると思う。洋介くんの声もたぶん忘れちゃう」


「忘れても大丈夫です。僕が会いに行くから」


「ふふふ。ちゃんと見つけてね。私は洋介くんの顔知らないんだから」


 そのときの彼女は、どこか切ない顔をしていた。まるで、見えることを拒否するみたいに、何かに怯えているみたいだった。


 どさくさに紛れて、彼女の手をそっと握った。指先がかすかに震えているのは、今が絶頂にいるからだろうか? まさか。だって、彼女には外の景色は見えていない。


マルマリは、早く気持ちを伝えろと言った。その真意が何なのかはわからない。だけど、伝えるなら今しかないと思った。だって、今僕は彼女のことがとても好きだから。


「美波さん、好きです」


 嘘みたいにすらすらと言葉が出てきた。まるで、気持ちがあふれるみたいに。


「ありがとう」


 すっと、彼女の手が離れていく。


「私ね、好きな人がいるの」


 ずるいよ、そんなの。恋人はいないけど好きな人はいるなんて。


「それって、僕の知ってる人?」


 最後の悪あがきだ。共通の知人なんていないんだからあり得るわけないのに訊いてみた。僕の期待してる答えを言ってほしい。


 ――私の好きな人はあなたよ、と。


「ううん。知らない人」


 あっという間に十二分間は過ぎ、僕たちは気まずい空気のまま夜に放り出された。僕の腕にからみつく彼女の手をそっと振りほどく。


 頬が冷たかった。僕は泣いているの? 


ちがう。僕の代わりに空が泣いているんだ。


季節は、梅雨に向かっていた。


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