第21話 [未来] 


     *


 目を覚ますと、隣に猫がいた。真っ白くて立派なしっぽのオッドアイの猫が。


「おはよう。マルマリ」


 あの日、僕の目の前から姿を消したはずのマルマリは、どんな縁かわからないけど今もずっと一緒に生活をしている。消えたのは、姿ではなく魂の方だった。


『みゃ』


 もう、あの憎らしくて生意気なマルマリ節を聞けないのは残念だけど、ここに存在していると思うだけで愛おしく感じられるから不思議だ。


「ずいぶん、擦り切れちゃったな」


 マルマリの首についた太陽のチョーカーは、何度も補修を繰り返してどうにか形を保っている。そのうち、ボロボロになってベロア素材の部分は影も形もなくなるだろう。それでも、大事に首につけているのは僕が喋れるマルマリのことを忘れたくないからだ。それに、彼女との大事な思い出でもある。お守り代わりに大事にこれからも使っていきたい。


 ただの猫になったマルマリは、うちの店の看板猫に就任した。おかげで店は大繁盛、とまではいかないけど、以前よりは客足が増えた気がする。改良に改良を重ねたパクチーバーガーがこのたび、正式に店のメニューに載った。誰でも食べれるパクチーバーガーではなく、好きな人が好きなだけ食べられる追いパクチー型のメニューにすることでおさまった。要するに、追加料金を払えばサラダバーならぬパクチーバーで好きなだけ盛ることが可能というわけ。


 最後まで、僕と父さんは反対したけど岬さんに押し切られる形でお披露目となった。若い女性客を中心に口コミやSNSで広まったのが大きい。未だに、僕と父さんは信じられない。だけど、女性たちは挙ってパクチーを皿いっぱいにしてむしゃむしゃと頬張るのが好きらしい。その姿は、小動物みたいでかわいいとご満悦なのは三木さんたち常連客のおじさまたちだ。


「あんまり見ると、訴えられますよー」


 岬さんの元気な声が飛ぶ。


「じゃ、追加のパクチーお願い」


 カウンターで父さんがはにかむ。


相変わらず父さんと岬さんは仲良くやっている。以前よりも、呼吸がぴったり合っている気がする。


 僕が無事に大学合格したら、籍をいれるらしい。気にせず好きなタイミングでいいよ、と言ったけど「とりあえず今は余計なことを考えるな」と言われた。


 洋バーイーツはしばらくの間お休みということになっている。


「よう、洋ちゃん」


 ケンケンと一緒に、図書館の開館から閉館までみっちり勉強するのが日課となっている。七時で閉館するので、そのあとはドトールへ移動する。


「時間が足りない、と感じるようになったら本物だ」、とケンケンは言う。受験というのは、勉強にコミットしたトータル時間での勝負らしい。


 一日のうち、スマホを触るのは一時間までと決めている。必要な情報や気になることを調べるだけであっという間に時間は過ぎていく。


 日々のルーティンは変わらない。


 体と脳に叩き込ませるようにして、毎日とにかく没頭した。ハロウィンもクリスマスも年末年始も休まずに勉強した。全ての煩悩を捨てて自分の未来に向けて邁進した。


 相変わらず、夢なんて大げさなものは見つからなかったけど、自分に負けたくないからただひたすらに頑張った。


『合格したらやりたいことリスト』がメモ帳にたくさん入っている。今はそれが僕の目標であり、原動力となっていた。


     *


 三月。僕は、無事に第一志望の大学に合格することができた。もちろん、ケンケンも咲坂さんも全員無事に合格した。


「洋介、おめでとう」


 父さんが涙ぐんでいる。


「よかったね。これで、やっと岬さんと入籍できるね」


「ばかやろう。そこは素直にありがとうでいいんだよ」


「ありがとう」


 恥ずかしくてなかなか素直になれないのは、ちょっと遅めの反抗期のせいだろうか。


「父さん。式はいつにするの?」


「いいよそういうのは」


 照れ臭そうにうつむいた。


「ダメだよ。父さんは二回目でも岬さんは初めてなんだからちゃんとしてあげないと」


「おまえにそんなこと言われるとは思わなかったな」


「僕のやりたいことリストに入ってるんだから、ちゃんとやってもらうよ」


「はいはい」


 という流れで今日の日を迎えることとなった。


「新郎様、もう少し笑顔でお願いします」


 二見ヶ浦海岸で、カメラマンの荻原さんが声を張り上げている。鳥居を背に、岬さんは満面の笑顔でいるのに対し、父さんはどこかぎこちない。照れ臭そうにしている姿がおもしろくて、ついからかいたくなった。


「父さんもうちょっと笑って」


 勢いよく叫ぶと、足元がよろけた。


「危ないよ」


 隣で美波さんが僕の腕をつかんだ。


「ありがとうございます」


 未だに、目が合うと照れてしまう。


「きれいだね、岬さん」


 美波さんが言う。もう、彼女の目が空(くう)を見つめることはない。


「うん」


 答えながら、美波さんも負けてませんよと言いたかった。淡い桜色のワンピースを着た彼女は女神のように美しい。父親譲りの照れ屋でお世辞のひとつも言えない自分が情けない。


「あと、いくつ残ってるんだっけ?」


 美波さんが僕の顔を覗き込んでくる。


「一兆個くらいあります」


「そんなに?」


「はい。全部、付き合ってもらいますからね」


「えー。もう、仕方ないな。じゃんじゃん裁いていかなきゃ。ほら、やろやろ」


「今ですか?」


「そう、なんかないの?」


「あ、じゃあコインマジックなんてどうでしょう」


「やっと見せてもらえるのね」


 ポケットをまさぐる。もちろん、仕込みは完璧だ。


「行きますよ。一瞬だから見逃さないでくださいね。このコインを手の甲にこすりつけてやると……」


――パチン。


「ほら、消えた。さて、この消えたコインはどこにいったでしょう?」


 両手を裏返して確かめてもらう。


「え?」


 美波さんは、過去の記憶をたどり、自分のバッグを探している。その隙に僕は別の場所にコインを隠した。


「バッグの中ではありませーん」


「どこ?」


「美波さんの手の中です」


 さっと、彼女の手を握った。そして、ゆっくりと開く。


「えー。嘘? 全然感覚なかったよ。どうやったの?」


「さあ」


 僕は、首を傾げて笑う。


「えーもう、教えてよ」


 一瞬ぷくっとなったほっぺが可愛すぎた。


「あはは。種明かしはしない主義なんです」


 ずるーい、と不機嫌そうにする彼女の手を取った。「彼女と手をつなぐ」これもやりたいことリストのひとつである。


「とりあえず、式が終わったら一緒に映画観に行きませんか?」


 つないだ手をぷらぷらとさせながら訊いた。腕を組むのもいいけれど、手のぬくもりを直に感じたいときもある。


「あ、マルマリだ」


 美波さんが叫んだ。僕たちの姿を見つけたマルマリがしゃかしゃかと砂浜を蹴りながら駆けてくる。


「おいで」


 僕は両手を広げてマルマリをキャッチした。


 もう、奇跡は起きない。だけど、僕たちはこれからも一緒だ。世の中はイトオシイもので溢れている。それに気づかせてくれたマルマリはいつまでも僕の中にいつづける。


 だから、これからも見守っていてほしい。僕のことを、僕たちのことを。


 あれ? 胸がいっぱいで熱くなる。頬につたうものの正体に気づくまでに時間がかかった。僕は泣いていた。隣でほほ笑む彼女があまりにも幸せそうだったから。


 どうか、この幸せがいつまでもつづきますように。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「泣きかたをわすれた僕に、君は愛おしさをおしえてくれた」 春雪 @haruyuki09

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ