第12話 [拒絶]
*
カラオケの日を境に、咲坂さんと一緒に下校することが増えた。あとでわかったことだけど、カラオケの途中でケンケンたちは咲坂さんに、僕と二人きりになれるよう協力してほしいと頼まれたらしい。
正門前のゆるやかな坂を自転車を押しながら降りていく。今までは、何も考えずノンブレーキでぶっとばすのが当たり前だったのに。
「ねえ、日曜日どっかいかない?」
「いやぁ、日曜は店の手伝いしたり、勉強したりしないといけないから」
やんわりとお断りの気持ちを伝えてみる。
咲坂さんは、髪型を変えた。顎のラインでぱつっと切られたボブカットが小柄な彼女にはよく似合っていた。クラスのノンデリ男子が「失恋でもした?」と不躾な質問をしていたけど、彼女はうまく躱していた。僕は、咲坂さんを薄目で見ながら、美波さんがマチルダヘアになった姿を想像していた。最低すぎて自分が情けない。
「じゃ、私が安藤くんの家に行って勉強しようかな」
咲坂さんは、笑顔で提案してくる。
それまで彼女の顔の造形なんて気にしたこともなかったけど、改めて見ると、西洋風な雰囲気があることに気づいた。色が白くて肌がきめ細かいとか、少しそばかすがあるとか、まつ毛が長いとか……。だからどうというわけでもないけれど、いかに自分が他人に興味を持っていなかったかがわかる。クラスの女子とまともに会話したのなんていつぶりだろう。
たぶん、去年の文化祭の看板づくりのとき以来だ。まあ、あのときは一方的に支持されてるだけだったけど。
「いや、でも。うち、ものすごく凶暴な猫がいるから危ないよ」
いよいよ僕は嘘をついてしまう。
「あたし、猫大好きだから全然平気だよ」
咲坂さんはめげない。僕の、このどっちつかずな感じを容赦なく攻めてくる。
「咲坂さんって、どこ大受けるの?」
話を変えた。
「安藤くんは?」
おっと、質問返しされてしまった。
「うーん」
僕は、濁しながら歩くペースを速めた。
「待ってよ」
咲坂さんがシャツの裾を握った。
「ごめん」
足を止めた。
「ううん。あたし、九大受けるよ」
「え……。そうなんだ」
僕も受けるとは言えなかった。「じゃ、一緒に頑張ろう」と言う彼女の姿を予想できてしまったから。
駅に着いてから、ベンチで十分ほど喋った。共通の話題も、訊きたいことも見つからなくて、僕はただ相槌をうつだけだった。
「じゃ、送ってくれてありがとう」
「うん。また明日」
「LINEするね」
「うん」
なんだろう。このなし崩し的に付き合ってしまうような流れは。咲坂さんは、たぶんいい子だ。男子だったら、八割のやつが速攻で付き合ってしまうのではないだろうか。マルマリの言い方を借りれば、ヤレれば誰でもいいというやつは実際にいるし、それでなくても咲坂さんなら真剣に付き合いたいというやつもいるだろう。
なんで僕なんだろう。僕のどこがいいんだろう。訊きたいけれど、恥ずかしくて訊けなかった。
咲坂さんを送ったあと、僕の自転車は自然と美波さんの店のあるビルの方に向いていた。しつこいと思われるのは嫌なので、もし見かけても声はかけない。ただ、一目でいいから会いたかった。彼女が何時に終わるのかも知らないし、今日出勤しているかもわからない。
ビルの真下で待つのはさすがに不審者すぎるので、少し離れたところから様子をうかがうことにした。ちょうど、ビルのエントランス前にワゴン車が止まっていて、中の様子が全然見えない。
六時を少し過ぎたころ、美波さんがひとりで出てきた。彼女が車に気づいて立ち止まる。どうやら、運転席の男が声をかけたらしい。こころなしか、美波さんの顔が強張った。窓越しに何やら話している。ナンパだろうか?
しばらくすると、美波さんは白状をかつこつ鳴らしながら、早歩きで去っていく。その後ろをワゴン車がゆっくり付いていく。どういう状況だろう。ストーカーか? 自分の行動を棚に上げ、ワゴン車を追う。男は、美波さんにしつこく話しかけている。もしかすると、店の客が待ち伏せしていたのかもしれない。
話しかけないと決めていたが、緊急事態だから仕方がない。僕は、腹に力を入れて叫んだ。
「美波さーん」
彼女が足を止めた。
「洋介くん?」
振り返って、視線をさ迷わせる。
「おつかれさまです。仕事、今終わったんですか?」
ワゴン車と美波さんの間に割って入るように自転車を滑り込ませた。
「うん」
「この車に追われてるんでしょ?」
小声で訊ねた。
「ちがうの」
彼女は首をふる。
「お客さん?」
「……」
彼女は口を真一文字にしてもう一度首を振った。あまり、大げさにしたくないのだろう。
「なんか、用ですか?」
僕は、車の男に向かって声を張り上げた。五十代くらいのおじさんだった。
「彼女に用があるんだ。どいてくれないかな?」
白髪交じりの坊主頭で、車内からムスクの匂いがした。
「嫌がってるのがわかりませんか?」
「やめて洋介くん」
美波さんが止める。
「家まで送るよ。ほら、もう暗くなってきたから、危ないよ」
「あんたが危ないんだけど」
威勢よく叫んだが、足はがくがく震えていた。
「君、ちょっと勘違いしてない?」
おじさんはしつこい。美波さんは、眉間に皺を寄せて「大丈夫ですから」とおじさんを拒否しつづけた。
「あ、警察だ」
前方からパトカーがやってくる。ナイスタイミング。
「じゃ、またね。美波ちゃん」
おじさんは、仕方なく車を発進させた。
「大丈夫ですか?」
「うん。ごめんね」
「いや、僕は大丈夫ですけど。もしかして、ストーカーですか? 警察に届けた方がいいんじゃないですか」
「ううん。そういうんじゃないから」
「でも、またあのおじさんにつけられたら危ないですよ」
「大丈夫。危険な人じゃないから」
「でも、嫌がってましたよね?」
「ひとりで帰れるって断っただけよ」
「いったい、誰なんですか?」
「洋介くんには関係ないから」
目を伏せてつぶやいた。美波さんは、頑なにおじさんが誰なのか教えてくれなかった。部外者はこれ以上関わってくるな、ということだろう。
二人の年齢や彼女の態度から推測するに、わけありの父と娘というのが妥当だろう。例えば、金の無心に来た父親を拒むような感じ。
でも、もしそうなら「父なの」と僕に言ってもよさそうだけど。
「家まで送りますね」
「ありがとう」
その日、僕たちの会話は全くはずまなかった。そりゃそうか。告白して僕はふられたのに、ヒーロー気取りで家までついていってるんだから。美波さんからしたら迷惑か。
無言のまま、彼女の住むアパートまで送り届けた。二階の一番奥が彼女の部屋だ。女性の一人暮らしに一階はふさわしくないと聞いたことがあるが、彼女のことを思えば一階の方が安全かもしれない。雨の日も、この階段を使っているかと思うと少し心配になる。
家族でも恋人でもないくせに、僕はなんておせっかいなんだ。やっていることは、さっきのおじさんと変わらないかもしれない。
「じゃ、僕はこれで」
「ありがとう」
美波さんが家の中に入るのを見届けて、自転車を走らせた。僕たちの別れの言葉に「またね」はないのかと思うと悲しくなった。
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