第4話 [邂逅] 


     *


 店に戻って事情を話し、一旦うちで保護することが決まった。父さんは最初、「ええ。簡単に引き受けるなよ」と顔を顰めていたけど、マルマリの不安そうな「みゃぁ」という声にあっさり心を持っていかれてしまった。マルマリのオッドアイには不思議な魅力がある。じーっと見つめていると、何かを見透かされたような気持ちになるのだ。


岬さんが保護猫のポスターを作ってくれることになり、父さんは三木さんと一緒にホームセンターへ向かった。猫用のトイレやら餌を買ってくると張り切っていた。みんな、なんだかんだ世話好きで優しい。そういう人たちに囲まれていると、自分も優しくなれそうな気がするから不思議だ。


 岬さんが、「かわいい」と目を細めて僕からマルマリを受け取った。


「飼い主、見つかるといいね」


「うん」


「洋介くん、映画は大丈夫なの?」


「あ、そうだった。やばっ」


 七時半をとっくに過ぎていた。今から行っても、上映開始時刻には間に合わない。でも、すでにチケットは購入済だ。迷ったけれど、結局行くことにした。


「気を付けて」


「うん。ごめんね、岬さん。片付け手伝えなくて」


 僕は、顔の前で合掌のポーズをとる。


「いいのいいの。行っておいで。今日はどんな映画観るの?」


「イギリスのホラーだよ」


「感想聞かせてね」


「オッケ。じゃ、行ってきます」


 僕は再び、愛車に乗り込む。自転車をかっ飛ばし、無二無三に漕いだ。昼間の空気と夜の空気は匂いがちがう。少しだけ、磯の香りが濃くなる。


 東に進み、県道552号線へ入った。足は速い方ではないけれど、自転車だけは誰にも追い抜かれたくない。立ったり座ったり前のめりになったりして、とにかく前に前に進む。自分との闘いを課してペダルをこぎつつけた。


 自転車を降りたころには、足がカチコチで自分の脚とは思えない変な感覚が襲った。これこれ。この感覚がたまらなく好き。ふわふわとした足取りで入場口へ向かう。以前は、三十分前までに発券機でチケットを出さないといけなかったが、最近はスマホのQRコードをタッチするだけで入場が可能になった。なんてスムーズでスマートなんだ。


3番シアターの扉を開けた。ずーん、と暗闇を包むように鳴り響く重低音を感じながらゆっくりと進む。すでに映画は始まっていた。途中入場は少しだけ気まずい。観客は少なくて、せいぜい十人といったところ。


 観たい映画を観るときもあればなんとなく決めることもある。今日は後者。おととい中間テストが終わり、やっと身が軽くなったばかりだ。僕が映画を観るのは金曜日のラストと決めている。県の条例で高校生は夜の十一時までしか映画を鑑賞してはいけないとなっているので、おのずと八時台の映画を選ぶことになる。


 腰を屈めて中央まで移動する。画面との距離感がちょうどいい、I‐13が僕の指定席。ふー、と深呼吸をしてシートに体をうずめた。できれば、ポップコーンを買って予告からゆっくり鑑賞したかったけれど……いや、と画面を観て思い直した。


主人公の女の子が次々に猟奇的な殺人を犯すスプラッターシーンがつづく。嘘みたいに血しぶきをまき散らし、人がばたばたと倒れていく。それでいて、切断面や内蔵破裂をこれでもかと言わんばかりにリアルに映し出す。思わず、うわぁと声が漏れ出てしまいそうになった。こりゃ、ポップコーンなしで正解だったな。


 途中から見始めたものの、気づけば夢中で映画にくぎ付けになっていた。グロいホラー映画だけど、ストーリーも演出も凝っていてすごくおもしろかった。とくに、主人公の女の子の演技が素晴らしかった。感情をコントロールし、臨機応変に態度や声色を変えるのがうまい。本当に悪霊が取りついているのかと信じ込んでしまうほどだった。


 あっという間に時間は過ぎ、エンドロールが流れる。斜め前に座っていた人がすぐに席を立ち、出口へ向かう。僕は、最後の最後まで観ないと気が済まないタイプだから席は立たない。エンドロールの最後に意味深なメッセージだったり、続編を匂わせるシーンが追加されていたりする作品が好きなのだ。


 しかし、何事もなく映画は終わってしまった。場内が明るくなり、席を立とうとしたところで、僕の斜め後ろに座っていた女の人が号泣しているのが見えた。肩を震わせながら、尋常じゃないほどの泣きっぷりは、見過ごせなかった。


――え、なんで?


泣くような話だっただろうか。いや、どう考えても泣きどころは一切なかった。しかし、人の感性というのは十人十色で観方によっては、感動する人がいても不思議ではない。もしかしたら、怖すぎて泣いているのかもしれないし。


とにかく、僕はその女の人が気になった。だって、自分はもうずいぶん泣いていないから。母さんが死んだあの日から、涙を流す機能は壊れてしまっていた。


僕の席の二つ横に座っていたカップルが不思議そうに女の人を見つめて去っていく。場内が明るくなっても、まだ泣いていた。


「大丈夫ですか?」


 囁くように声をかけた。


「ひっくひっくひっくっくくく……」


 女の人が苦しそうに呼吸する。涙を止めたくても止まらないといった感じだ。観客が次々に出口へ向かう。僕たちを不思議そうに見つめながら。


「あ、よかったらこれ……」


 デイパックのポケットからハンカチを取り出した。


「え?」


 女の人は、視線の定まらない瞳を斜め上に向け、戸惑いの表情を見せた。もしかしたら、この人も斜視なのかな。僕の左目は少しだけ外側を向いている。嫌な言い方をすると、ロンパリってやつ。このことで、クラスメイトによくからかわれた。「おまえ、どこ見てんの?」って。


「ハンカチ、よかったら使ってください」


「……」


女の人は、眉をひそめた。親切とお節介は紙一重だ。


「いや、あの、その、えっとぉ……」


はっと我に返って後悔した。余計なお世話と思われただろうか。だけど、勢いに任せて出した手前、引っ込みがつかなくなっていた。


「よかったら、どうぞ」


もう二度と会うこともないだろうと思い、強引に女の人の手に押し付けた。


「……」


 女の人は一瞬躊躇して、ハンカチを頬に当てた。


「ありがとうございます」


よかった、と安堵のため息をもらす。


「じゃあ」


踵を返そうとしたところで、呼び止められた。


「あの……」


 やはり、女の人の視線は定まらず、空(くう)を見つめている。よく見ると、瞳の位置は左右対称で、斜視ではなかった。僕より少し年上だろうか。全てのパーツが小ぶりで控えめなのに、調和のとれた顔立ちをしている。やや鼻にかかったような甘い声が印象的だった。


「もう少し、そこにいてもらえませんか?」


「え? あ、はあ」


「すみません」


 きっと、泣き顔を他の人に見られたくなかったのだろう。


 僕は、その姿を誰にも見せまいと自分の体で彼女の顔を覆い、衝立の役割を担った。女の人は呼吸を整え、涙をふいた。ハンカチの面に、薄くファンデーションがつく。あと、鼻水らしきものも。なんだか、見てはいけないものをこっそり見ているような罪悪感におそわれた。


「いえ。僕のことはお気になさらず」


「ごめんなさい。汚れちゃいましたよね」


 ハンカチを握ったまま、視線をさ迷わせた。


「適当に捨ててください」


 女の人にハンカチを渡したことなど今までにないので、去り際をどうすればいいかまるでわからなかった。映画の中ならば、運命的な出会いのシーンなんだけどな。


「そんなわけには。洗ってお返しします」


 女の人も少し困り気味だ。お互いに、どうすればいいかわからないといった感じだった。いきなりLINEを交換するのもなんだかな、と思った。何かいい方法はないかと考えたとき、店の住所と地図が載ったポイントカードを持っていることを思い出した。さっき、カメラマンの男にいらないと言われたものだ。


「うち、糸島でカフェやってるんです。よかったら」


尻ポケットから取り出し、手渡す。


「あ、どうも」


 女の人は、ぎこちない手つきで受け取った。


「いや、まあ、気が向いたらでいいんで。じゃあ」


 くるりと背を向け、足早に出口へ向かった。なんだか、自分の行動が自分らしくなさすぎて恥ずかしかった。


     *


 家に帰ると、父さんがマルマリを膝の上に乗せてうとうとしていた。


「ただいま」


「おかえり。じゃ、俺はもう寝るから。こいつよろしく」


 父さんは缶ビールを流し台に置くと、ふらふらと寝室へ歩いていく。最近また、アルコールの量が増えた気がする。父さんは人に弱みを見せない分、アルコールに頼ってしまうところがある。きっと、波みたいに襲ってくるのだろう。母さんのことが。


「マルマリ、おいで」


僕は両手を広げて言ってみる。猫は微動だにしない。


「だよな。来るわけないか。猫って、ツンデレで気まぐれで過度なスキンシップを好まないって聞いたことあるしな」


 ぼそぼそとつぶやきながら、風呂場へ歩いていく。すると、足元に気配を感じた。マルマリが付いてきていたのだ。


「お? おまえ、僕の言葉がわかるのか? ははは。なんてな」


 足にからみつくようにマルマリは体を寄せてきた。


「なんだ、抱っこしてほしいのか?」


 そっと抱き上げると、僕を見上げるように顔を動かした。ぽかっと口が開く。


『シンパイイラナイヨ』


 ん? 今のはなんだ? 壊れた機械のような、作った音みたいな声がした。幻聴か? 


「まさかな。ホラー観た後だからおかしくなってんのかな」


 マルマリの黄と緑の目を見つめた。吸い込まれそうに美しい。


『ミツメンナ、テレル』


「はあ?」


 僕は、背中にぞわぞわと粟立つのを感じた。頭を振って、違う違う違うと自分に言い聞かせる。そんなわけない。猫が喋るなんてあるわけないだろ。


『ドウダッタ? エイガ』


 マルマリが僕を見上げて口を動かした。


「え、今しゃべったの、おまえ?」


『ソウダヨ』


「嘘? マジで? 僕おかしくなったのかな?」


『オカシクナイヨ』


「うぇー、猫が喋ったー」


『ジブンワ、ネコデアル、ナワ、マルマリト、モウス』


「自分?」


『ワガハイノホウガヨカッタカ?』


 マルマリが首をかしげるような仕草をした。


「ああ、そっか。一人称が〝自分〟ってことなんだ」


『ソユコト』


 なんで僕は普通に猫と会話しちゃってんだろ。


『トリアエズ、オフロ、ハイッテ、キナヨ』


「……」


 マルマリは僕の手からするりと体を捩っておりていった。洋服を脱ぎながら様子をうかがうと、うにょーんと体を伸ばしたり、手足を舐め舐めしたり、いかにも猫って感じの動きで寛ぎはじめた。


さっきのはいったいなんだったんだろう。これは、もしかして夢?


 浴槽につかり、頭までお湯をかぶった。ぶくぶくと息を吹きながら考えていた。誠の言葉を思い出す。


――マルマリは、喋れる猫なんだ。


 嘘だろ。そんなの聞いたことないぞ。もしそれが本当なら、テレビはおろかネットで大騒ぎになってしまうだろう。誠は、このことを僕以外の誰かに話したことはあるのだろうか。もし話していたら、こんなことにはなっていない。どこから来て、どうして迷子になったのか、本人(マルマリ)に訊けばいいのだから。


 父さんはさっき何も言ってなかった。もしも猫が喋ったら、いくら酔っぱらっていても正気ではいられないだろう。


 僕は次々と仮説を立ててみる。マルマリが話せるのは子供だけなんじゃないだろうかとか。例えば、今僕は十七歳だから成人したら話せなくなるんじゃないか。その場合、十八歳なのか二十歳なのか。その辺のルールはいったいどうなんだろう。


 喋る猫といえば、『魔女の宅急便』のジジだけど、映画の後半、何かしらの原因でキキと会話ができなくなってしまう。ジジが恋をしたからとか、キキが成長したからとか諸説ある。そういえば、キキの仕事はお届け物屋さんだった。


「僕の仕事も、一応配達係なんだよな。これ、関係あるのかな」


 ぶくぶくぶく……。色々と考えすぎたせいか、結局一時間ほど風呂の中で過ごしてしまった。のぼせて頭がくらくらする。


 冷蔵庫から麦茶を取り出し一気に喉に流し込んだ。


『遅カッタナ』


 台所の椅子に乗ったマルマリがこっちを見ていた。首輪についた太陽のアクセサリーが揺れる。


「色々、考えてたんだよ」


『何ヲ?』


「いや、だからおまえのことだよ」


『フーン。で?』


「で? って何が?」


『ネコガシャベるワケヲさ。君ナリノコタエ、オシエテヨ』


「うーん。まあ仮説なんだけどね。たぶん、マルマリの声は大人には聞こえない。聞こえないというより、会話ができない。きっと、子供だけが喋れるんだ。子供の概念が年齢的なものなのか、精神的なものなのかはわからないけど。で、きっといつかは喋れなくなるんだ。『魔女の宅急便』のジジみたいにね」


 僕はさっき考えた仮説を一気に捲し立てた。


『なるほど。興味深いね』


 マルマリは僕の目の前にちょこんと座った。


「あ、聞こえる」


 急に冷静になって口にしてみる。


「何? どうしたの?」


 マルマリは、状況を楽しんでいるかのように前のめりで訊いてきた。


「最初は、おまえの声がおもちゃのスピーカーみたいにカタコトで聞こえてたんだ。でも、今はちゃんと聞き取れている。不思議なことにね」


『信用してきたってことだよ』


「どういうこと?」


『人間は自分の信じたものしか信じないし受け入れられない』


「たしかに。大人になるってそういうことかもね」


『そこにあると思えばあるんだよ』


「なるほど。深いね。猫のくせに」


『猫のくせには余計だけど、理解が早くて助かるよ』


「マルマリは、何歳なの?」


『それは猫としてってこと? それとも、人間に置き換えたらって場合?』


「どっちでもいいけど、教えて」


『ジブンの猫年齢は六歳くらい』


「それって、人間で言うと四十歳くらい?」


『まあ、そうだね。精神年齢は君とそんなに変わらないけどね』


「ふーん。で、いつから人間と話せるようになったの? 生まれつき? 僕や誠以外とも喋れるの? 他の猫にもこういった喋れるやつは……」


『ちょっとちょっと、一問一答にしてよ。答えにくいじゃない』


「あ、ごめん」


『人間と喋れるようになったのは、いつからか覚えていない。こっちの声がちゃんと聞こえる人は案外少ないんだよね。人間の言葉が理解できたのは、わりと早めかも。人間でいうところの物心ついたころってやつ。他の猫も喋れるのかって質問だけど、おそらくいると思うよ。会ったことはないけど』


「そっか。そうなんだ。猫の世界も奥が深いんだね」


『まあね』


「でさ、君の本当の家はどこなの?」


『本当の家なんてないよ。だって、ジブンは野良だからね。正式には、捨てられて野良になった。ひどい飼い主でね、家出してきてやったんだ。たぶん、いなくなってせいせいしてると思うよ』


 マルマリは、今までいろんな家で飼われたり捨てられたりを繰り返して生きてきたという。


「じゃ、それは何? 首に下がったアクセサリーは。飼い主のものじゃないの?」


『あ、これ?』


マルマリが視線を落とす。


「誠が言ってたんだ。マルマリを見つけたときに大事そうに咥えてたって」


『いつだったかな。道端で拾ったんだよ。わりと気に入ってる』


「ふーん。そうなんだ。野良か」


 元の飼い主を探す作戦は変更せざるを得ないな、と思案した。


『てことなんで、これからよろしくお願いします』


 長いしっぽをしゅっと伸ばし、まるで土下座でもするように深々と頭を下げた。


「あ、こちらこそ」


『とりあえず今日はもう遅いから寝よう』


 マルマリは、僕のベッドの上にひょいっと乗ると、枕に顔を乗せて目を閉じた。


「猫のくせに枕使うのかよ」


 苦笑するしかない。


 もしかしたら、こいつはロボットなんじゃないかと思った。ジジではなく、ドラえもん的な感じで未来からやってきたのではないか、なんてね。


     *


 翌朝、目を覚ますとマルマリの姿が見当たらなかった。


「あ、おはよう」


 父さんが、植木鉢の底に溜まった水を変えながら言った。我が家には、たくさんの観葉植物がある。父さんの趣味のようなものだ。僕は、どれひとつ名前なんて知らないけど。


「おはよ」


「昨日、猫用のカリカリ買ってきたんだけど、マルマリ食べないんだよ。おまえ、後で違う種類の買ってきてくれないか?」


「あ……うん」


 そのとき、かしゃっと音がして、カーテンの隙間からマルマリが出てきた。


「なんだ、いたのか」


『……』


 マルマリは何も答えなかった。昨夜のあれは、やはり夢だったのだろうか。


「ねえ、父さん。植物の声って聞こえたりする?」


「そりゃ、聞こえるだろう。こいつらだって生きてるんだから」


 当然だという感じでうなずく。


「そういうことじゃなくて、こうなんていうか……言葉で会話ができてしまうみたいな」


「うーん。それができたらいいよな」


 父さんは、目を細めて迷彩模様の葉っぱの植物を見つめていた。


「僕、マルマリと喋れるんだ」


 ぼそっとつぶやいてみた。


「ん?」どうやら聞こえていなかったらしい。


「あ、いや何でもない。これ、食べていいの?」


 テーブルの上に置かれたミニバーガーに視線をやる。


「いいけど、それ失敗作だぞ。岬さんに言われて作ってみたけど、いまいちだな」


「何が入ってるの?」


「パクチー」


「そりゃ、チャレンジしたね」


「洋介、パクチー食べたことあったっけ?」


「お菓子とかカップ麺とかで食べたことはあるよ。でも、あの独特な匂いがあんまり」


「だよな。父さんも苦手だ」


 新作レシピの開発はそう簡単じゃない。何か月も試作を重ねてようやくメニューに載る。いくら流行りの食材を使ってみても、うまくいくとは限らない。


「やっぱ、納豆にしよ」


 冷蔵庫からおかめ納豆を取り出した。


「じゃ、店の準備するから、餌頼んだぞ」


「わかった」


 茶碗にご飯をよそい、混ぜた納豆をぶっかけた。一口頬張ったところで、マルマリが僕の足元にすり寄ってきた。


「おはよーさーん」


 様子を窺うように話しかけてみる。


『おはよ』


 答えながら、僕の膝の上に乗ってきた。


「あ、喋った」


『もしかして、昨夜のことは夢だったかなって?』


「なんでわかるんだよ。おまえはエスパーなのか?」


『なるほど。そういう設定もおもしろいな』


「変なやつ」


 ずずず、と納豆を頬張る。


『失礼だな。言っとくけど、四次元ポケットとか持ってないからね」


「あ! やっぱ、エスパーだな」


 咀嚼しながら叫んだもんだから、口の中が忙しい。


『さあ、どうかなぁ』


 マルマリがにやりと笑ったような気がした。不思議な感覚だけど、マルマリとの会話はテンポがよく話が弾む。


「あ、そうだ。なんで父さんが買ってきたキャットフード食べないの? 喋る猫用ってホームセンターで売ってるのかな?」


 僕は、他人の家で出されたものは黙って食べなさいと躾けられて育ったから、つい意地悪な訊き方をしてしまった。


『あはっ。居候初日からワガママを言って困らせてしまったね。ごめん。違うんだよ。昨日、父さんには散々アピールしたんだけどな。それが食べたいって』


「それって?」


『そーれ。ハンバーガーの中のやつ』


「まさか、パクチー?」


『うん』


「食べたことあるの?」


『うーん。あるようなないような。でも、とってもいい匂いがする』


「ちょっと待って。猫に食べさせていいかググってみるから」


 僕は、スマホで検索をかけた。すると、少量であれば問題ないと出てきた。できれば細かく刻むといいらしい。


『早く早く。お腹すいたよ』


 マルマリが僕を急かす。


「ちょっと待って。これはソースがかかってるから」


 言いながら、冷蔵庫の野菜室を開けた。


「良かった。入ってた」


 まな板を取り出し、包丁で細かく切り刻んでやった。「くっさ」部屋が森になったような匂いが立ち込める。


「マジでこれ食べるの?」


『うーん。いい匂い。早く早く』


 皿の上に盛ると、ぺちゃぺちゃと音を立てて食べはじめた。仕草は猫なんだよなぁ。


「おいしいの?」


『……』


 マルマリは夢中で皿を舐めている。ぺろりとあっという間に完食した。


『はあ。おいしかった』


「すっげー」


『ごちそうさまでした』


「やっぱ、変な猫」


『ねえ、昨日の映画の感想聞かせてよ』


 マルマリは、興味津々で僕の顔を覗き込んできた。


「ああ、おもしろかったよ」


『どんな話だったの?』


「ホラー映画。もう血みどろのやつ」


『もっと詳しく』


 マルマリの顔がどんどん近くなる。


「興味あるの?」


『いけ好かないねぇ。猫に映画の何がわかるんだって感じが』


「そんなこと言ってないだろ」


『顔に書いてあったよ』


「うそつけっ」


反論しながら頬に手を当てる。


『いいから聞かせてよ』


「まあ、それなりによかったよ。語ると長くなるからまた今度ね」


『ふんっ。ケチ』


 マルマリは拗ねたように、顔をぷいっと横に向ける。


「てか、映画なんて見たことあるの?」


『あるよ。大好物』


「へえ。じゃ、好きな映画言ってみろよ」


 僕は少しムキになっていた。


『レオン』


「ぷっ」


 思わず、吹き出してしまった。あまりにも意外すぎて。


『あ、今、猫のくせにって思ったでしょ』


「ううん。思ってないよ」


『ウソだ。絶対思ったね』


「思ってないってば」


『いーや。思ったね』


 マルマリは意外としつこかった。


「思ってないってばぁ。ぷくくくくく」


 こらえきれずに噴きだしてしまった。


『もーう。なんなのさ。バカにして』


 拗ねたマルマリはかわいい。


「いい映画だよね。僕も好きだよ」


 我が家には、父さんの趣味でたくさんのDVDがある。レオンもそのうちのひとつだ。僕が映画好きになったのも父さんの影響が大きい。


『うん。レオンみたいに、命がけで守ってくれる人がいたら、惚れちゃうよね』


「へぇ、そっち側の視点なんだ」


 初めてレオンを観たとき、単純にかっこいいなと思った。おじさんが少女を命がけで救う、血縁を超えた家族愛の話に感銘を受けた。しかし、世間一般の反応はそうではなかった。年齢を超えた、男女の美しい愛が描かれていると知ったのは、つい最近のことだ。僕は、レオンみたいな人にはなれないだろう。それこそ、命がけで大切な人を守る男になんて。


『理想の男だね、レオンは』


 マルマリがうっとりしたような表情を魅せる。


「てか、映画なんていつ観たんだよ」


『昨日。金曜ロードショーでやってた。最後は泣いたよ』


 うるうる、なんて擬音をつけてマルマリが言う。


 なんて、おもしろい猫なんだ。


 気に入ったぞ。

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