第19話 [奮闘] 


     *


 帰宅すると、マルマリはアグラオネマカーティシーの鉢の前に座った。長いしっぽをしゅっと空に向かって伸ばす。


「マルマリ、お願いだよ。話してくれ」


 人間、最後は結局神頼みだ。僕は、一度も叶ったことがないあの言葉を唱える。


「神様、一生のお願いです。どうかマルマリと話をさせてください」


 マルマリは、僕の方を見上げたけれど、すんっとすました顔のままで何も喋ろうとはしない。これだけじゃダメか、と思いつく限りの儀式を試してみた。


まず、太陽のチョーカーをマルマリの首に巻いた。もしかしたら、この首輪に何か力があるかもしれないと思って。


それから、たんまりとパクチーを皿に盛ると、マルマリの前に置いた。膝をついて祈りのポーズを捧げる。目を瞑り「お願いしますお願いします」と呪文のように唱えながら。


『ちょっと、これじゃお供えものみたいじゃないか』


「うぁっ、喋った」


 驚きすぎて、思わず尻もちをついてしまった。


『なんだよ、その顔は』


「だって、急に喋らなくなったから。ジジみたいになったのかと思って」


『君は魔法使いじゃないでしょ?』


「そうだけどさ。なんで急に喋らなくなったんだよ」


『言ったよね。〝苦悩〟と〝試練〟のカードが残ってるって』


「だからってさ。心配するだろ」


『君が今一番心配すべきことは、彼女のことでしょう?』


 マルマリは冷静な口調で指摘する。


「僕、色々考えてたんだよね。この数日、いや数か月のことを。なぜ、マルマリが僕のところに来たのかとか、なぜ僕は美波さんのことで一喜一憂してるんだろうとか。必然だったのか偶然だったのか、それとも誰かに操られているのかとか」


『ほーん。それで? どういう答えが導き出されたわけ?』


 マルマリは、僕を試すように訊いてくる。


「そのまえに、おまえはいったい何者だ?」


『吾輩は猫である』


「ふざけるなよ。もうわかってるんだ。おま……あなたが誰かってことはね」


『じや、君の推理を聞かせてもらおうか』


「僕たちが初めて会った日、あなたは金曜ロードショーで『レオン』を見たと言った。しかし、調べてみるとその日は別の映画が放送されていた。おそらく、自分の名前がレオンだったことや、美波さんがレオンが好きなことを僕に印象づけるためのものだと推測される。たぶん、あなたが今首に巻いているチョーカーは彼女のものだ。あと、パクチーのことだ。葉山さんが言ってたけど、美波さんの死んだ彼氏の好物だったらしいね。葉山さんがバイトしてた店によく食べに行ってたんだってね。美波さんがパクチーの盛られた皿を前に、大口開けて嫌がってる写真を見せてもらったよ。あなたは僕をうまいこと利用し、あのおじさんの家まで誘導した。目的はいったい何だ? 僕を暴走させて、あの二人の結婚をやめさせればいいのか? ユミト先輩」


『いやー、バレちゃった? あと少しだったんだけどな』


 マルマリは、前足で顔を隠すような仕草をした。


「ちゃんと説明してくれる?」


 僕は、威嚇するようににじり寄った。


『あの事故は、ジブンのせいで起きたんだ』


「それは、葉山さんも言ってた」


『そっちじゃなくてさ、こっち』


自分の顔をにゃんと差す。


「ん? どゆこと?」


マルマリは僕を見上げると、ふう、とひとつ息をついて話しだした。


『急に真っ白い猫が飛び出してきたんだ。咄嗟に避けようとハンドルを切ったら、歩道に突っ込んでしまった。痛みなんて全く感じなかったし、自分が死んでるとも思わなかったよ。だって、ちゃんと意識があったからね。でも、なんかおかしいなって気づいたのは、血の海の中にいるジブンの死体を見たときだよ。ああ、死んだんだって……冷静になってようやく気付いた。転生って言うのかな。ジブンの魂が猫に乗り移ってたんだよ』


「そんなこと本当にあるの?」


『あるみたいだね。彼女が救急車で運ばれたあと、事故現場にチョーカーが落ちてた。それを咥えて、街中をさ迷った。美波が生きているのか、それだけが知りたかった。あちこち走り回ってようやく見つけた。だけど、美波はもう何も見えてなかった。絶望の中にいたよ。事故の詳細はニュースで知った。そのとき、あのおじさんを巻き込んでしまったことを知った。償おうと思った。おじさんの癒しになれればと考えた。それくらいしかできなかったから。おじさんはいい人だったよ。とても優しかったし、下半身が不自由でもちゃんと世話をしてくれた……』


「だけど、彼女と結婚することだけは許せなかったってことか。愛する彼女をとられたくなかった。それで、僕を使って止めさせようと目論んだってわけ?」


『ちょっと待ってよ。ちがう』


 マルマリは慌てて否定する。


「あなたが僕と彼女を出会わせたの?」


『君たちが出会ったのは運命さ』


「そうだと信じたいよ。まあ、どこまで仕組まれたことかはわからないけど、僕は美波さんを好きになったことを後悔してない」


『だったら、もう少し付き合ってよ。彼女の幸せを見届けたいんだ』


「僕は、どうすればいいの?」


『彼女の目の手術が終わったら、一緒に逃げてほしい』


「逃げる? 現実的じゃないよ。他に何か方法はないのかな」


『一緒に考えてくれないか?』


「ええ。ここまで来たなら、ちゃんとハッピーエンドまで導いてよ。あなた、映画監督が夢だったんだってね。だから、脚本術とかに詳しかったんだ」


『まぁね。志半ばで死んじゃったけどさ』


「美波さんが嘆いてたよ。自分が全部奪っちゃったって」


『同じだよ。ジブンのせいで、美波の夢も未来も奪ってしまった』


「夢かぁー」


『君の夢は?』


「これから探すよ」


 今まで、夢なんて考えたこともなかった。ふつうに大学に行って、適当に就職して、いずれ父さんのカフェを継ぐと思っていたから。


『映画監督も候補に入れといてくれないか?』


「いやいやいやいや。なんでも僕に託しすぎだよ」


『そう言わずに頼むよぉ』


 マルマリは、猫撫で声で言う。


「わかったよ。とにかく今は、彼女の幸せを一番に考えよう」


『ありがとう』


「あのさ、今更だけどなんて呼べばいいの? ユミト? レオン? マルマリ?」


『マルマリでいいよ』


 猫の姿を借りたユミトが笑った。


     *


 僕たちは、運命共同体として協力し合うことを誓った。ラスボスに挑む勇者のような気持ちで、秘策はないかと思案した。マルマリの言うセオリーに基づくなら、ピンチをチャンスにする場面だ。


 いい案が何も思いつかないまま、時間だけが過ぎていく。皮肉にも、タイムリミットがやってきた。おじさんの家を後にしてから、ちょうど一週間が経っていた。


すぐに出てきてほしいと電話があり、僕とマルマリはため息モードで階段を下りて行った。店の前の駐車場におじさんの車が停まり、パワーウィンドーが開く。


「手術、無事に終わったよ」


 おじさんは告げた。


「それじゃ、彼女は見えるようになったんですね」


「ああ。病院からは、そう聞いている」


 おじさんは、どこか他人事のような口ぶりだった。


「美波さんは、今どこに?」


「……」


 おじさんは、怖い顔で首を振った。


「どういうことですか?」


 マルマリが足元へ寄ってきた。


「彼女がいなくなった」


「え? なんで?」


「わからない。さきほど、病院から連絡があって、そのままここに来たんだ。君のところに行ってるんじゃないかと思ってね。その驚き方からすると、君が匿ってるわけじゃないようだね」


 おじさんは、僕の考えを見透かすように言った。どうやら、僕が彼女を連れて逃げるかもしれないというのは、想像の範囲内だったということだろう。


「ちょっと待ってください。彼女が行きそうなところを考えるんで」


 スマホをタップし、葉山さんに電話をかけようとした。


「全て連絡済だよ。実家にも帰ってないし、前の職場の人にも聞いたけど連絡はないらしい」


「じゃ、彼女はどこに?」


「それがわかればここに来ていないよ」


「……」


 急に体から力が抜けていく。彼女はいったいどこへ行ったんだ。


「一応、警察に連絡してみる。君も、何かわかったら私に連絡してくれないか?」


「わかりました」


 おじさんの車が砂利を踏みしめながら出て行くのを呆然と見つめていた。


『おい、何ぼーっとしてんの』


 マルマリが叫ぶ。


「やっぱりさ、嫌だったんだよ。彼女、目の手術の話するとき、いつも冴えない表情してたんだよ」


『今はそんなこと言ってる場合じゃないよ。早く探さなきゃ』


「でも、どうやって?」


『美波が行きそうな場所を探すしかないよ』


「そんなの、わからないよ」


 映画だったら、いい感じにBGMかけて主人公が街中をさ迷ってほどよいところでヒロインを見つけるんだけどな。公園や海辺が相場と決まっている。


『よく考えろ。美波の言動を思い出せ。ここ数か月、君は多くの時間を過ごしてきたでしょう? 最新の美波を知っているのは君なんだよ』


「そんなこと言われてもさ……」


 僕は、頭を掻きむしって考えた。もしも、彼女だったらどこへ行く? 何か見たいものはあるかと訊ねたとき、彼女は〝自分の顔〟と答えた。それならば、病室の鏡を見れば済む話だ。


 彼女の気持ちになって考えてみる。五年ぶりに自分の顔を確認した彼女は何を思う? 少し痩せたなとか太ったなとか、肌の張りがどうとか考えたりするのかな。


 あとは、なんだろう。メイクとか洋服のことも気になったりするのかもしれない。そういうのは、どこで買うのかな。やっぱり、天神とかで買うのかな。それとも、近くのジャスコかな。あーだこーだと思考を巡らせながら浮かんだのは、少し跳ねた毛先を気にしながらくるくると触る仕草だった。


「あ、美容室」


 ぱっと思いついたのがそこだった。


『なんで?』


 マルマリが不思議そうに訊く。


「だって彼女、五年前、マチルダヘアだったんでしょ?」


 ユミトとつきあっているとき、と言いそうになったのを吞み込んだ。自分が輝いていたときの姿に戻りたいと思うことは、自然な心理だと僕は考えた。だけど、なんか悔しいから五年前と言い換えたのだ。


『理由としては弱いけど、とりあえず行ってみよう』


 葉山さんに、美波さんの行きつけの美容室を訊きだして向かった。


 しかし、店の担当者は忙しそうに「来ていない」と告げた。


『ほらね。だいたい、五年前にしてた髪型を今もしたいなんてふつうは思わないでしょう』


「僕を責めるなよ。女の人は、そういう身だしなみとかを一番気になるのかなって思ったんだよ」


『ふんっ。女心なんて君にわかるのかよ』


「そんな文句ばっかり言わずに、マルマリも少しは考えなよ」


『考えてるよ』


「なんか、ないの? 二人の思い出の場所」


『ジブンは全然覚えてないけど、たぶん初めて会ったのは高校なんだ。でも、二人の思い出の場所ではないからね。となると、通ってた大学かな。初めて会話したのが大学のキャンパスだから』


「どこ大?」


『西南』


「ちなみに、キャンパスのどこで話したか覚えてる?」


『覚えてない』


「なんだよもう。使えないな」


 僕たちは、少し険悪な雰囲気になった。


「他になんかないの? 印象深い場所」


『うーん。デートといったら、ジブンの家でまったりするか、映画館に行くかの二択だったからな』


 マルマリがぼそっとつぶやいて、僕たちは思わず目を見合わせた。


「あ、映画館だ!」


 二人の声が重なった。どうしてすぐに気づかなかったんだろう。


「ここ、入って」


 マルマリを自転車の籠に乗せると、全速力でペダルを漕いだ。


『お尻が痛いよ』


「文句言うなら、降ろすぞ」


 マルマリの愚痴を聞きながら、僕は前へ前へ進む。たぶん、今までの記録を更新したと思う。そのくらい、夢中でぶっ飛ばした。


「ここで、待っててくれないか? 猫は中に入れないからさ」


 マルマリを籠から降ろすと、館内へ歩いていく。足がバキバキで全く言うことをきかない。『急げ』


 マルマリが後ろで叫ぶ。


「これでも急いでるんだよ」


 なんとかフロアについたものの、美波さんの姿は見当たらない。仕方がないので、映画のチケットを一枚購入し、シアター内に潜入することに成功した。全てのシアターを周り、美波さんの姿を確認したがどこにもいなかった。


「ダメ。ここじゃないみたいだ」


 駐輪場に戻ってマルマリに報告した。


『はぁ。どこに行ったんだよ』


 マルマリは大きくため息をついた。


「僕たちは、見当ちがいのことをしてるのかもしれないね」


『どういうこと?』


「美容室とか映画館とか思い出の場所とか。そういうところじゃないってこと」


『じゃあ、美波はどこに行ったのかな。ひとりで逃げてるとでも言う気かい?』


「彼女は、逃げたりしない。自分を戒めてるんじゃないかな」


『もったいぶらずに早く教えてよ』


「たぶん、事故現場だ。一番見たくないものを見に行く。それが彼女の性格だよ」


『……まさか』


 ぴくり、と髭が動いた。


 事故現場は一番見たくない場所であり、最後にユミトといた場所でもある。新しい人生を歩もうと決めた彼女が、初めに行く場所はそこしかないと思った。


「行くぞ」


マルマリを籠に乗せた。


「さあ、どこだ。場所を教えてくれ」


 僕は再び、自転車を爆走させた。


     *


 福岡ドームのすぐ近くの道路脇に、花を手向けて手を合わせる女の人。


「いた」息を整えながら、つぶやいた。


『すごいな』


 マルマリが感心するように僕を見上げる。 


時間が止まったみたいに、彼女はそこから動かない。


「美波さん」


 僕は背後から声をかけた。ゆっくり彼女が振り向く。少しだけ怖かった。僕の声を彼女が忘れていたらどうしようと思った。


「洋介くん?」


 初めて彼女と目が合った。


「はい」


「どうして、ここがわかったの?」


「マルマリが教えてくれたんです」


 彼女は首を傾げながらほほ笑んだ。


「あ、この子ね」


籠の中のマルマリに気づいたらしい。「どうか、奇跡よ起きろ」と祈った。マルマリは、彼女と話したくてうずうずしているに決まっている。それは、彼女だって同じだろう。


「マルマリ」


 促すように声をかけた。


『……』


 だけど何も喋らない。ただ、訴えるような目で見つめられた。今までの記憶を遡ると、第三者がいるときにマルマリが言葉を発したことはない。


「抱っこしていい?」


 美波さんが訊く。


「どうぞ」僕は、お供え物をする村人のような姿勢で彼女に渡した。


 美波さんは、愛おしそうにマルマリを抱くと、頬をこすりつけて「かわいい」とつぶやいた。するとマルマリは、いつになくみゃあみゃあとかわいい鳴き声を出す。


僕は、二人が触れ合うのを見守った。微笑ましいシーンに、思わず胸がじーんとなった。


「洋介くん、ごめんね」


「何がですか?」


「勝手にいなくなったりして」


「僕は大丈夫ですよ。心配はしましたけど」


 少し強がった。


「龍ヶ崎さんのことは聞いてるんでしょ?」


「はい」


「私ね……」


 彼女は言葉を吞み込んだ。


しばらく、沈黙がつづいた。息苦しくて、どうにかなってしまいそうだった。彼女の覚悟が伝わってきたからだ。


「美波さん、信じられないかもしれませんがよく聞いてください」


「うん」


「五年前の交通事故は、この猫が飛び出してきたことが原因で起きたんです。彼は、咄嗟にハンドルを切って、うまくよけきれなくて歩道に突っ込んでしまったんです。猫本人が証言したからまちがいありません。だから、美波さんが責任を感じることはないんです」


 僕は、ひとつひとつ言葉を丁寧につむいだ。どうか、伝わってほしいという願いをこめて。


「ありがとう」


 彼女はうつむきながらつぶやいた。やはり、信じていないようだ。無理もない。いきなり、目の前にいる猫が、あの事故の原因ですと突き出されても困るだろう。


「これ、見てください」


 マルマリの毛をかき分けて、首輪がはっきり見えるようにした。


「あ、これってもしかして」


「はい。事故現場に落ちてたそうです。それを、この猫が咥えて持ち去った。証拠と言える証拠はこれぐらしかないけど……」


「そう。そうだったんだ。警察の人にも訊ねたの。太陽のチョーカーが落ちてませんでしたかって。でも、見つからなかったの。あなたが持ってたのね」


 美波さんがマルマリのほっぺに口づけをする。


 マルマリは、ぶるぶるっと身震いした。


「だから、美波さんがひとりで苦しむことはないんです」


「……」


 彼女は、悲しく微笑むと、首を横に振った。


「一日だけ、待ってくれませんか?」


「待つって、何を?」


「おじさんの元に行くことを、です」


「何するつもり?」


「手荒なことをしにいくわけじゃありません。おじさんとちゃんと話がしたいんです」


「でも……」


 美波さんは、少し困った顔をした。


「お願いします。僕に時間をください」


「……わかった」


 美波さんは観念したように承諾すると、僕にマルマリを渡してきた。


 葉山さんに連絡をとり、迎えにきてもらうことにした。

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