第18話 [対決] 


     *


 マルマリが残していったおまじないを思い出せないまま、季節は冬を迎えようとしていた。受験勉強に没頭することで全てを忘れようと必死だった。放課後は毎日図書館へ向かった。家だとどうしてもだらけてしまう。それに、マルマリのことを考えてしまうから。


 寸足らずになった学ランの袖を誰かが引っ張った。


「洋介くん」


 振り返ると、葉山さんが立っていた。ケンケンに居場所を聞いたのだろう。


「あ、どうしたんですか?」


「ちょっと、話があるの」


 彼女に言われて、外に出た。


「美波がね、いなくなっちゃった」


「どういうことですか?」


「仕事もやめて、アパートも引き払っちゃったみたいで、連絡が取れないのよ」


「え……なんで……」


「LINEのメッセージ見てくれる?」


 葉山さんがスマホを差し出した。


 祥子へ


 勝手にいなくなることを許してください。今まで、私のために色々ありがとう。祥子のおかげで仕事にもつけたし、一人暮らしもできるようになりました。たくさんの心配をかけましたね。そのたびに、優しく寄り添ってくれてありがとう。心から感謝しています。


 私は、この冬、目の手術をします。そして、無事に手術が成功したら、龍ヶ崎(りゅうがさき)さんと結婚をします。手術費は、彼が払ってくれることになりました。これからは、彼のために尽くして生きていきます。相談なく決めてしまってごめんなさい。もし反対されたら、決心が鈍ってしまう気がしたので黙っていました。


 これは、仕方がないことです。私が犯したことへの報いだと思っています。だから、心配しなくて大丈夫です。


 生活が落ち着いたら、連絡します。


 お互い、元気な顔で会いましょう。


 


柳美波


「これって、いったいどういうことなんですか?」


「美波は、自己犠牲の精神が強いの。自分さえ我慢すればいいっていう。昔はそんなタイプじゃなかったんだけどね。事故の後から人が変わっちゃった」


「この龍ヶ崎さんという人は?」


「交通事故の被害者よ。美波と彼が乗っていたバイクが横転して、歩道を歩いていた人を巻き込んじゃったのよ」


「もしかして、その人って車椅子に乗ったおじさんですか?」


「そうよ。知ってたの?」


「いや、偶然会ったんです。美波さんを職場の前で待ち伏せたりしてたから。最後に美波さんに会った日、おじさんの車に乗り込んでいきました。僕にさようならと告げて」


 葉山さんは、ああっとうなだれるような声を出した。


「美波ね、今まで頑なに目の手術をしようとしなかったの。なんでかわかる?」


「さあ」


「自分を戒めるためよ。目が不自由でいることが、罪滅ぼしにでもなるって考えてたんじゃないかしら。バカげてるでしょ?」


「なのに、手術をするって決めたんですよね」


 手術の話をするとき、美波さんはとても不安そうだった。


「おそらく、龍ヶ崎さんが提案したんでしょう。目の手術をして、一生自分の世話をしろって。自分のためには手術はしないけど、他人のためなら手術はするって。不幸な考え方よ」


「まさか、そんな。だってそれじゃ奴隷みたいじゃないですか。好きでもない人と結婚するってそういうことでしょ?」


「美波は、あの事故を自分のせいだと思いこんでるから」


「彼女が彼を急がせたから……」


「うん。でも、天気も良くて見通しのいい道路だった。対向車とぶつかったわけでもないし。いくら急いでたとはいえ彼の不注意としか言えないのよね。美波が責任を感じることはないのに」


「あの、美波さんの彼が映ってる写真とか持ってませんか?」


「どうして?」


「いや、純粋にどういう人と付き合ってたのか知りたくて」


「ちょっと待ってね。確か、二人が映ったやつがあったと思う」


 葉山さんがスマホの画面を素早くスクロールする。ケチのつけどころがない恋愛をしていたころの美波さんを見てみたいと思った。


「あった。ほらこれ。私がバイトしてたタイ料理屋さんで撮ったやつ」


 そこには、眉上パッツンボブヘアの美波さんがいた。大口を開けて彼の肩に寄り掛かった彼女はとても幸せそうだった。


「この人が、彼氏さん?」


 凛々しい眉毛に短髪がよく似合う、いかにも体育会系男子という感じがした。


「そう。ユミト先輩はね、私たちの高校の二個上の先輩で――」


 葉山さんは、彼について語りだした。美波さんから聞いた情報にいくつかプラスされた。彼の好物とか彼の夢とか教えられたところでどうしようもないけど、違和感が小骨のように刺さって取れない。


「ちょっと、アップにしてもらっていいですか?」


 美波さんの首元に視線がいく。


「これって、マチルダがつけてた太陽のチョーカーですよね?」


「ああ、そうそう。彼からプレゼントされたとかで、いっつもつけてたわね。懐かしいわ」


「今も、持ってるんですかね?」


「どうかな。最近見てないけど」


 もし、マルマリが首にしていたものとこのチョーカーが同じだとしたら……。そこまで考えて答えが出てこない。どういうことだろう。


「美波さんって、昔、猫飼ってたりしました?」


「うーん。私が知る限りではないと思うけど」


「そうですか」


 僕の仮説はもろくも崩れ去った。昔飼っていた猫が美波さんを救うために奮闘する、というシナリオを考えたけどちがうらしい。それに、あのおじさんがマルマリとの思い出の写真をたくさん持っているはずがないのだ。


 おじさんが何かのタイミングで美波さんが『レオン』好きということを知って、彼女の気を引くためにチョーカーを首に巻いたり、レオンと名付けたりしたのかもしれない。


「ねえ、洋介くん。美波を見つけて攫ってくれないかしら」


「攫うってどういうことですか?」


「ほら、ドラマとかでよくあるじゃない。結婚式の途中で花嫁を攫っていくシーン」


「ああ、有名どころでいうと映画の『卒業』ですね」


「ごめん。それは知らない。とにかく、美波をこのままおじさんと結婚させるわけにはいかないわ」


「攫ったあとは、どうすればいいんですか? たいてい、物語はそこで終わっちゃいますよね。その後の二人が幸せになったかどうかは描かれない」


「そのあとのことはそれから考えればいいのよ。まずは、美波の救出が先。洋介くんだってこのまま会えなくなるのは嫌でしょ?」


「それは、はい」


「私思うの。美波はちゃんと洋介くんのこと、好きだったんじゃないかなって」


「まさか」


「だって、夏祭りの日、洋介くんが女の子と一緒にいたって言ったら、美波すごく動揺してたもん。あれは、完全にやきもちだったわ」


「嘘だ。じゃ、なんで彼氏との惚気話なんかしたんだろう」


「世話がやけるなぁ。やきもちやかせたかったんじゃない?」


「ええ。女心ってむずいっすね」


「とにかく、美波を助けなきゃ」


「でも、どうやって。何か手がかりとかないんですか? おじさんがどこに住んでるかとか、どこの病院で手術するとか」


「……」


 葉山さんは目を伏せ、力なく首を振った。


 しばらく二人で、何かいい方法はないかと作戦を練ったが、いい案は何ひとつ浮かばなかった。便利屋に頼むとか、警察に捜索願を出してみるとか、どれも現実的ではなかった。彼女の意志でやったことを、他人がどうこう言う権利はない。


 このまま、彼女からの連絡を待つしかできないのだろうか。


 もどかしい時間が過ぎていく。


     *


 虚ろな気持ちで、例のおまじないの言葉を思い出していた。


「アグラ、ネオン、マーカ、ティー。違うなぁ」


 ぶつぶつとリビングを歩きながら唱えてみた。どうなるわけでもないのに、それにすがるくらいしか今の僕にはできることはなかった。


「洋介、霧吹きやってくれたのか?」


 朝食を作りながら父さんが訊いてきた。


「何?」


「今、言ってただろ。これのことだよな?」


 父さんが白いまだら模様の観葉植物を差して言う。


「え?」


 僕は何がなんだかわからず間抜けな声を出す。


「アグラオネマカーティシーって、この植物の名前だよ」


「なんで……」


 マルマリは、いったいどういうつもりでこれをおまじないの言葉に選んだんだろう。意図が全くわからなかった。


「これって、何か花言葉的なものでもあるの?」


「いやあ、あるかもしれないけど、知らないな」


 父さんは首を振る。


 わからないときは、検索だ。スマホをタップして〝アグラオネマカーティシー〟と入力してみた。すると、予測変換のところに〝アグラオネマカーティシー レオン〟と出てきたのでタップしてみた。


「ああ、レオンが育ててたやつか」


 僕は、感心するようにつぶやいた。


「レオンってあの映画の?」


 父さんが訊ねる。


「みたいだよ」


 それがわかったところで、どうしようもないけれど。マルマリの言うことに、意味がなかったことなんて今までに一度だってない。


 きっと何かあるんだ。僕は、その鉢植えの周りを執念深く観察してみた。どこかにヒントが隠されているような気がして。土のところを見たり、葉っぱの模様に何か暗号が書かれてないかなど。


「ついでだから、こっちに移動してくれないか? 寒さに弱いんだ、そいつ」


 父さんが言う。僕は、鉢植えを抱えて、リビングの端に移した。


「ん? これ、マルマリの首輪じゃないか?」


 父さんが太陽のチョーカーを指でつまみ上げた。鉢植えの下にあったらしい。


「貸して」


 父さんから受け取り、チョーカーに穴が開くぐらいじっと見つめた。太陽を擬人化したみたいなデザインで変な笑顔をしている。それを裏返して、はっとした。092――という数字が白いペンで書かれていた。


「これって電話番号か」


 もしかして、と思って僕はすぐに電話をかけてみた。


「はい。龍ヶ崎です」


 おじさんの声だった。


「あの、安藤と言います。猫を保護したものですが、覚えてますか?」


「君か」


「美波さんはそこにいますか?」


「いや、いないよ」


「嘘だ」


「じゃ、うちに確かめに来なよ」


 おじさんは、少し挑発的に言った。


「住所教えてください」


 僕は、姫を助ける勇者のような気持ちでおじさんの言った住所へ向かった。


     *


 福岡市内にある一軒家で、とても立派な屋敷だった。インターホンを鳴らすと、おじさんが「開いてるから、入ってきなさい」と言った。玄関はスロープ式になっていて、廊下には手すりがついていた。


「おじゃまします」


 嘘みたいに広い玄関を上がると、すぐ目の前には螺旋階段があった。二階は吹き抜けになっていて、眩しいほどの光が差しこんでくる。どんな仕事をすれば、こんな豪邸に住めるのだろう。


「こっちだよ」


 おじさんがドアを開けて僕を待つ。居心地の悪さと緊張と興奮で妙に力が入っていた。


 リビングに通され、辺りを見回す。


「マルマリは?」


「そこにいるよ」


 おじさんが顎でしゃくる。マルマリは、ダイニングテーブルの横で優雅に眠っていた。


「マルマリ起きろよ。僕だよ」


『……』


 一瞬目を開けたけど、また瞑る。


「君は、猫に会いに来たの? それとも、彼女に会いに来たの?」


 おじさんは余裕たっぷりで、僕なんて敵じゃないという感じで訊いてきた。


「お願いがあってきました。彼女とマルマリを僕に返してください」


「元々、君のものじゃないのに返せとはおかしいよね」


 おじさんは、ニヒルな笑みを浮かべた。


「じゃあ、僕に譲ってください」


「嫌だと言ったら?」


「力づくで奪います」


「好きにするといい」


 おじさんは、テーブルの上の紅茶を啜った。


「美波さんをどこに隠したんですか?」


「人聞きの悪いこと言わないでくれよ。彼女はここにいないと言っただろう?」


「じゃ、どこにいるんだよ」


「自分で探しなさい」


「そんなのズルいぞ」


「ズルいのはどっちかな。後から現れたくせに返せとか譲れとか。無礼だぞ」


「くそっ」


 僕は、おじさんの家の扉という扉を開けて回った。二階と屋根裏部屋も見たけど、彼女の姿はおろか、荷物や洋服といった痕跡も一切見つからなかった。いったいどういうことなんだ。


「だから、言っただろう? ここにはいないって」


「じゃ、どこにいるんだよ」


 イライラして、つい怒鳴ってしまった。


「君はさ、まだ高校生だよね? 彼女の人生を背負いきれるの?」


「あんたは、彼女を奴隷にしようとしてるくせに」


「聞き捨てならないな。奴隷とはいったいどういうことかな」


「美波さんと結婚をするって、本当ですか?」


「そのつもりだよ」


「なんで? 彼女が何をしたって言うんですか。あなたに、彼女の人生を奪う権利なんてない」


「彼女が悪いんだよ。運転してたのは彼だけど、彼に急ぐよう指示をしたのは彼女なんだ。償ってもらわないとね」


「だからって、なんで結婚なんですか?」


「じゃ、他に何ができる? 見ての通り私はこんな体だ。できることも限られてくる。彼女にはそのサポートをしてもらわないと割りにあわない。仕事も奪われ、自由も奪われたんだ」


 おじさんは、二重顎を持て余しながら嘆いた。


「あなたの介護をさせるために、目の手術をさせようとしてるんですか?」


「そうだよ。だって、目が見えなかったら私の世話ができないからね。食事の世話、入浴の世話、それから排せつの世話もね。排せつって言うのは、トイレのことだけじゃないよ」


 おじさんは、いやらしい笑みを浮かべた。


「あんたおかしいよ。気持ち悪い。そうやって支配したとしても、永遠に彼女の気持ちは手に入らない」


「じゃ、君はどうなの? ずいぶん、彼女の相手をしてくれたみたいだけど、彼女の気持ちを手に入れることはできたの? 死んだ彼には勝てたのかい?」


「それは……わかりません」


 おじさんは、ボディブローのようにねちねちと僕を痛めつけてくる。


「私は、彼女の気持ちなんていらないんだ。ただ傍にいてくれたらそれでいいと思っている。だって、それができるのはこの世でたったひとりだけなんだからね。どんなに気持ちが通じ合っていても、一緒にいられないのなら意味がない。そう思わないかい?」


「……」


 確かにそうだ。おじさんの正論に何も言い返せない。


「彼女のことは諦めなさい。私との結婚はもう、決まったことだからね」


「それじゃ、彼女があまりにもかわいそうだと思わないんですか」


「思うもんか。だって、彼女が納得して決めたことだからね」


「あんたが脅したんだろ? 責任を取れって」


「想像力が豊かでいいねぇ。君の言う通り、加害者と被害者の関係はそうであるべきだと思うよ。まあ、君は部外者だけど」


「そんなことをしても、お互い不幸なだけですよ」


「正論で私と勝負しようなんてやめた方がいい。彼女のつらさを一番理解できるのは、被害者であるこの私だと思うけどね」


「どういうことですか?」


「説明しても、君にはわからないよ」


 おじさんは、眉根を寄せて頭をふった。部外者は黙ってろとでも言いたげに。


「今、彼女は?」


「最初からそう訊けばいいのに」鼻で笑われた。


「病院にいるよ。もうすぐ手術なんだ。私たちのことは、そっとしておいてくれないかな。結婚したら、ここを離れて暮らすつもりだ。誰も、あの事故のことを知らない場所で二人で暮らすよ」


「……彼女は……それで幸せなんでしょうか?」


 声を絞り出した。


「それは、まだわからない。だけど、二人で力を合わせて生きていくよ。だから、邪魔をしないでほしいんだ」


「……」


 悔しさとやるせなさで体が震えた。


「彼女に会わせてください。お願いします」


 崩れ落ちるようにして、おじさんに懇願した。


「会って、どうするつもり? 私との結婚を考え直すように説得でもする気かい? 無駄だと思うからやめておきなさい」


「嫌だよ、そんなの認めない……」


 心が泣いていた。涙は出ないのに、全身が戦慄いている。


 そのとき、マルマリが僕の元にやってきた。慰めるように体をこすりつける。


「マルマリを返してください。一日でいいんです。マルマリと話がしたいんです」


 床に頭をこすりつけて頼み込んだ。


「いいよ。彼女の手術が無事に終わったら迎えに行く。それまでに、心の準備をしておくんだね」


 僕は、マルマリを抱いておじさんの家をあとにした。

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