第7話 [進展] 

     *


翌週の水曜日、物語は動き出した。彼女が店に現れたのだ。


しかも、僕が学校に行ってる間に。


「だからさ、どういう人だったかって訊いてるの」


 ムキになって父さんに詰め寄る。


「いや、覚えてないよ。ランチタイムの終わりごろに来た二人組の女性だったと思うんだけど」


 父さんが缶ビール片手に首をかしげる。


「名前とか訊かなかったの?」


彼女が持ってきた紙袋の中身は、ハンカチと小さな箱に入ったクッキーだった。手紙らしきものは入っていない。


「いやあ、ボードに書いてたとは思うけど……」


 頭を掻きむしりながら顔を顰める。今日は岬さんが休みで、父さんが一人で店の対応に追われたため、お客様の特徴を一人一人覚えるほどの余裕はなかったという。


「なんでもいいから思い出してよ」


 僕は粘る。


「そんなこと言われてもなぁ。いったい、その人がどうしたんだよ」


父さんに映画館での一部始終を話していなかったので、僕が落としたハンカチを女性が届けに来てくれたと勘違いしてしまったらしい。


「べつに」


 バタバタと足音をわざと立てて自室に戻る。父さんを責めても仕方ないことはわかっていたが、やるせない気持ちが表に出てしまった。


「もう、なんで覚えてないんだよ」


 バタンとドアを閉めたもんだから、寝ていたマルマリがびくんと体をはねさせた。


『どうしたの?』


「今日、彼女が来たんだよ。でも、対応した父さんはよく覚えてないって言うんだ」


『君は、なんでそんなに怒ってるの?』


「だって、これじゃ何もわからないままじゃないか」


『ふーん。素直に会いたかったって言えばいいのに』


「ちがう。ただ、もう一度話してみたかっただけ」


『おーっと。それは、気持ちに進展があったってことだね』


 マルマリは事の重大さをわかっていないのか、僕を茶化すような言い方をしたので少しイラっとした。


「もう最悪だ」


『今のところ手がかりはその紙袋だけってことか』


「いや。手紙も何も入ってなかった。これじゃ、名前も連絡先もわからない」


『でもさ、彼女の働いてるビルはわかってるんだろ? だったら、会おうと思えば会えるじゃないか』


「そうだけど、あのビルのどのテナントが彼女の職場かはわからない。待ち伏せという手段もあるけど、ストーカーと間違われて通報されてしまうリスクがある」


『ストーカーと情熱的な愛は紙一重って言うもんね。いくら君がぴっちぴちの現役男子高校生でも、しつこいなって思われたらアウトだからね。難しいところだ』


「もういいよ。僕と彼女は交わらない運命だったってことだよ」


『交わるって、下ネタ?』


「ちがうよっ。エロ猫」


『じゃあさ、ジブンからひとつ提案』


 マルマリは招き猫みたいに肩手をにゃんと上げた。


「はい、どうぞ。マルマリくん」


 国会の答弁みたいなノリで呼ぶ。


『セイブザキャット作戦はどうかな?』


「何それ?」


『ジブンが彼女の職場の前で倒れてるふりをするんだ。きっと、優しい彼女はかけよって助けてくれる。そこへ、君が颯爽と登場するんだ。僕の猫を助けてくれてありがとう。よかったら、お礼にお茶でもどうですかと誘う。これなら、いけるんじゃない?』


「なんだか、現代版〝浦島太郎〟のような、〝鶴の恩返し〟みたいな出会い方だね」


『ピンとこない例えだ。君はおじいさんになったりしないし、彼女は鶴になって飛んで行ったりしない』


「現代版だから、結末も今風に変わるんだよ。てか、ダメだよそんな作戦。彼女を騙すことになる」


『聞いたことない? セイブザキャットの法則。映画のシナリオの基本中の基本だよ』


「猫のくせに物知りだね」


 言いながら僕は、スマホで検索をかけた。


「SAVE THE CAT。日本語に訳すと、危機一髪とか猫を救えという意味。物語の冒頭で、主人公がピンチに陥っているシーンを描くことで、観客が主人公に共感できるようにするテクニック……だって」


 僕は、ため息をついて更に言う。


「あのさ、おまえの提案は、彼女を欺いて僕と出会わせることが目的だよね。SAVE THE CATは観客の共感を得るためにする手法だよね。全然ちがうじゃん。そもそも、観客なんていないんだから」


『細かいことはいいの。君と彼女が恋に落ちてくれれば』


「恋なんて、贅沢な娯楽だよ。僕には必要ない」


『でも、君はもう一度彼女に会いたいんだろ?』


「会いたいイコール恋ではない」


『じゃあ、何?』


「わからないよ。ただ、気になるんだよ」


『だから、そういう気持ちが恋の始まりじゃんか』


「なんでそんなに僕に恋をさせたが……。もういい。この議論は何度しても意味がない。とにかく僕はもう寝る。疲れた」


 何に対して怒っているのか、自分自身でもよくわからなかった。


     *


 SAVE THE CAT作戦が実行される前に、物語は動いた。


 なんと、彼女がその週の土曜日に店にやってきたのだ。


 閉店間際、二人の女性が店に入ってきた。店内には、三木さんを含めた常連客が四人ほどしかいない。


今日も、彼女たちは腕を組んでいた。女子高の名残とかだろうか。


「いらっしゃいませ」


執事をイメージして、深く頭を下げた。


 僕は彼女の前に立ち、ちょっと大げさな仕草で招き入れる。こないだ無視されたのはきっと何かの間違いだろうと勝手に解釈し、出会いなおしのシーンを再現する。


 しかし、彼女の視線はまたしても空を見つめている。初めて会ったあの日のように。


「こちらの席へどうぞ」


 窓際の席へ案内した。彼女と腕を組んでいる女性が、何やら耳打ちしているのが聞こえた。


「三時の方向に――」


 三時? 今は七時前だけど、と小首をかしげた数秒後に、謎がひとつ解けた。彼女は、目が不自由なのだ。だから、僕と至近距離ですれちがっても、気づかなかったんだ。


 彼女は、テーブルと椅子の位置を手探りで確認すると、ゆっくりと腰をかけた。二人の動作はとても洗練されていて、優雅だった。注意深く見ていなければ彼女が視覚障害者だとはわからないだろう。


「申し訳ございません。お料理のラストオーダーが終わりまして、ドリンクのみのご注文になります」


「もしかして、あなたかしら? この子に、ハンカチを貸してくれた方って」


 彼女の友人が僕を見上げる。


「あ、はい。そうです」


 僕が言うと、彼女がふわっとほほ笑んだ。


「よかった。直接会ってお礼がしたかったんです。その節は、ありがとうございました」


 彼女が頭を下げた。鎖骨のあたりでぱつっと切りそろえられた栗色の髪が少しだけ跳ねている。つい、その毛先に視線が行った。


「私、やなぎ美波みなみと言います」


 僕の視線に気づいたのか、彼女は毛先をいじりながらぺこっと頭を下げた。


「僕は、安藤あんどう洋介です」


 突然の自己紹介タイムにドキドキした。


「彼女は、葉山はやま祥子しょうこさん」と付き添いの女性を紹介してくれた。二人とも、二十代前半といったところだろう。僕の周りにはいない、落ち着いた雰囲気がさらにドキドキさせた。


「先日、来てくださったんですよね。僕、そのとき学校に行ってて」


「ああ、やっぱり。声の感じで、お若い方なんだろうなとは思ってました」


 空を見たまま、彼女はほほ笑む。そして、また毛先をいじる。どうやら、クセらしい。


「大学生?」


 葉山さんが訊いた。


「いえ、高校三年生です」


「うそぉ? 高校生なの?」


 葉山さんは、目を見開き甲高い声を上げた。何かにがっかりした様子が伝わってくる。ガキのくせにませたことしあがって、とか思ったのかな。もしかしたら、僕がとった行動で何かを期待させてしまったのかもしれない。


例えば、マルマリの言葉を借りれば『運命の出会い』ってやつ。


 二人の年齢を考えれば、映画館でハンカチを渡してくるような男は、素敵な紳士が理想だろう。勝手な妄想で脳内は暴走中である。


「何か、飲まれますか? せっかく来て下さったので、サービスしますよ」


 僕は、思わずかっこつけてしまった。


「オススメは何ですか?」


 彼女が訊く。


「こちらの……」と、メニューを差して咄嗟に手を引っ込めた。彼女には、文字も写真も見えていないのだ。


「メロンの果肉入りスカッシュはいかがでしょう。季節限定でお出ししております」


「じゃあ、それを二つお願いします」


「かしこまりました」


 僕はカウンターに戻り、父さんに自分で作ると言った。


「洋介の知り合いか?」


「あの二人でしょ? こないだ、ハンカチを返しにきてくれた人って」


「あー。そうそう。思い出した。手前に座ってる子が帰り際に渡してきたんだよ。映画館でハンカチがどうのって。ほんで、向かいの子がなんかちがうって言いだして、それで息子さんいますかって訊かれて……」


「何なに?」


 興味津々の三木さんたちが説明を求めてくる。


 僕は冷蔵庫から、メロンを取り出す。一口大に丸く繰りぬいたものをカクテルグラスに五つ入れ、シロップと炭酸を入れてストローを差してできあがり。


 トレーにグラスとスプーンを載せて、彼女たちの席へ運んだ。


「おまたせいたしました。下の方からゆっくり混ぜてお召し上がりください」


 そっと彼女の前に置く。つづけて、葉山さんの前にも置く。


「かわいい。写真撮っていいですか?」


 葉山さんが僕に確認する。


「どうぞ」


僕は、そのときの彼女の表情が気になった。見えない彼女に対して一切の配慮を見せない葉山さんの態度を不快に思ったりしていないのかと。しかし、彼女は特に気にした様子もなく、グラスの下の方からゆっくりと指をすべらせ、確かめるようにストローを手にした。くるくると混ぜ、口をつけた。


「おいしい」


 小さな口から洩れたひとことにほっとする。


「では、ごゆっくりどうぞ」 


 僕は、会釈をしてその場を離れた。


「あの子……」


 ようやく父さんが気づいたらしい。


「うん。目が見えなくても、涙って出るんだね」


 つい、心の声が出てしまった。


「もしかして、映画館で彼女泣いてたのか? それで、ハンカチを」


 全ての状況を理解した父さんが、「やるな」と僕の肩をとんと叩いた。


「マスターはさ、凪ちゃんに声をかけるまでに半年もかかったんだよ」


 三木さんがからかうように言った。


「やめてくださいよ、息子の前で」


 父さんは、年甲斐もなく顔を赤らめた。その初心な表情は、まるで今でも母さんに恋をしている少年のようだった。


 一部始終をマルマリに伝えると、ひとこと「世話がやけるな」と言った。その真意を僕が知るのは、まだ先のことだ。

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