8 洗濯機の存在を信じてくれない

 というわけで、伯爵さまのお屋敷に、キノンが呼ばれてきた。本人はなんで呼ばれたのかよく分かっていないが、市民権制度が撤廃されたので特に周りの人に睨まれたりはしていない。ぱっと見の話だが。


 伯爵が問う。


「そなたは騎士になりたいそうだな」


 キノンはよく分からない顔をしている。しばらく悩んでから、ゆっくりと言葉を選んで話し始めた。


「……はい。ですが、それでなぜ伯爵さまのお屋敷に呼ばれることになるのでしょうか? 市民権制度が撤廃されたとはいえ、俺……は、スラムの人間です」


「そうだ。スラムの人間も市民権を持つ人間と同じ扱いをする、ということが決まったわけだから、そなたにはその最初の例として、騎士団に入団を許そうと思うのだが、どうだ?」


 伯爵さまは穏やかに微笑んだ。

 一方でキノンは難しい顔をした。


「それでは、俺がスラムの人間で、だから特別扱いされている、ということではありませんか」


 キノンは堂々と反論した。なんとなく分かる気もする。小学校のころクラスにすごく運動が苦手な子がいて、体育でバスケをやったとき先生が「●●さんが入れたらどこからでも4点」という特別ルールを敷いたところ、その子は泣き出してしまったのだった。

 伯爵の提案は、つまりそれと同じである。


 ううーん想定外だった。キノンの賢さをなめていた。伯爵さまは想定外の意見に面食らった顔をしている。


「俺はちゃんと、一個の人間と認められた上で、騎士団員になりたいのです。だから、伯爵さまにお願いしたいのは、騎士団の差別体質をなくしていただくことです。スラムの人間でも一個の人間として受け入れてくれるように」


 キノンの言うことはドのつく正論であった。

 だからあたしも口利きしてもらって入るのはおかしいのではなかろうか、と思い始めた。

 しかし伯爵さまはこの街の領主だ。それに逆らうのは無礼なことである。うぬぬ、と折衷案を考える。


「つまり、なにかいさおしを挙げたうえで騎士団に正式入団できればそれでいいってこと?」


 あたしがそう言うと、キノンは頷いた。


「そういうことです」


「それであるならば、試用期間として、ハノヴェの王都訪問の共をするのはどうだ? その間によい働きがあれば、正式採用するという」


 ナイス伯爵。素晴らしい折衷案である。


「伯爵さまの最初の提案を飲むことは、スラムの民への侮辱だと感じました。しかし、伯爵さまはちゃんと俺という一個の人間を尊重してくださる方だと信じておりましたし、伯爵さまの提案に納得しないことはこちらが無礼に当たります」


 伯爵さまはうむうむと頷いた。

 キノンは真面目な表情をしている。


「ですから、試用期間を設けて、その間の働きを見た上で騎士に取り立てていただく……という提案は、大変嬉しく、こちらも納得できます。感謝しております。必ずやいさおしを挙げて、騎士になろうと思います」


「そうか! では決まりだな! いますぐ騎士団に使いを出そう!」


 というわけで、キノンが騎士見習いをすることが決まった。キノンがそうするならわたしもそうしたい、と言うと、伯爵さまはすらすらと書状にペンを走らせ、わたしも騎士見習いになれることになった。


 ◇◇◇◇


 王都行きまであと1週間、騎士見習いとして騎士団の事務所を訪れる日がやってきた。


「ドキドキするな」


「うん。でもきっと大丈夫だよ」


 騎士団の事務所のドアを開けると、冷たい目線が容赦なく突き刺さる――かと思いきや、騎士たちは意外なほどの歓迎ムードだった。


「女とスラム出がきたぞー! これで掃除とか洗濯とかしないで済むぞー!」


 どうやら家事労働をさせる相手がきたので歓迎されたらしい。しかしそういうのはわりと得意だ。女子力である。ふっふっふ。


「じゃあまずこれ洗濯して干してくれるか」


 裏庭に通された。山のような量の洗濯物と、古びた洗濯桶と洗濯板があった。水は井戸から汲むらしい。

 得意だと思ったのを撤回することにした。


 ◇◇◇◇


「うわあん手がちべたいよぉ!」


「洗濯ってふつうこういうものだろ」


「だってあっちの世界には洗濯機があったんだもん! 洗濯物入れて洗剤入れてボタンを押せば勝手に洗って乾かすところまでやってくれたんだもん!」


 どうやらいまの季節は春くらいの感じらしく、井戸の水はただただ冷たい。そしてキノンは洗濯機の存在を信じてくれない。

 洗濯機を回すような洗濯を想像してはいけなかったのだ。トイレ掃除に柄のついたタワシがあるのか不安になる。ていうか水洗だよね?

 洗っている服は妙に厚みのある、なんというか礼服、というようなものだ。洗濯板でゴシゴシしても大丈夫なのだろうか。

 騎士団はみなこの騎士団事務所の2階にある寮で暮らしており、そこの寝具なんかも洗わねばならない。

 そう、もうお屋敷でハノヴェさまと一つ屋根の下にいられるわけでないのだ。このラグビー部ないし野球部の部室みたいな匂いの、騎士団の寮で暮らすのである。

 だが騎士になってテッペンまで上り詰めればハノヴェさまを至近距離で護衛できるのだ。寝顔だって見られちゃうのだ。それを目指すしかない。

 洗濯をすべて干し終えて、中に戻ると掃除を命令された。やるしかない。それが終わったら飯炊きだ。

 なんでもメイドさんがやってくれた、あのお屋敷が恋しい。


 そういうメンタルが地味にすり減る仕事をすること1週間。ハノヴェさまが王都に上られるための行列が出発する日が来た。

 そのなかの従者の1人として、あたしもキノンも簡素な革鎧を着て行列に加わることになった。騎士だからお馬さんに乗れると思っていたら、なんとわたしとキノンを含む下っぱは全員、徒歩であった。

 あたし(の脚)、どうなっちゃうの〜!?

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