16 (マイルドな表現)
お医者がやってきて、ハノヴェさまを診察した。ショッキングなことを聞いて、心のなかで折り合いがつけられず倒れたのだろう……という診断がおりた。それってあたしの証言そのままじゃないですか……。
ハノヴェさまはわりとすぐに気がついて、ぼーっとした顔をして何かを考えていた。とにかくあたしは騎士団の事務所に帰ることになった。
ハノヴェさま、大丈夫かな。
騎士団の事務所で、まるで相撲部屋のちゃんこみたいな(ただし肉はほとんど入っていない)鍋をぐつぐつやりながら、あたしはハノヴェさまのことを考えていた。
あたしが女だって、本当に知らなかったんだな。それで男だと思い続けて、好きだと思い続けたんだな。
あたしもハノヴェさまが好きだ。女でも構わない。ただしそこに生物学的に子供を残す道はないのである。
そしてハノヴェさまは真剣に、ベルタ王女にあたしの子を産ませるつもりだったのだ。そこにも生物学的な道理はない。
全てがどん詰まりであった。
まかないが煮えたので、みんなで大鍋をつつく。
おいしいのだがなんとも寂しい味がした。涙の塩味だ。泣いてないけど。
食事のあと、キノンに何があったか訊かれた。特に秘密にするようなことでもないので、正直に話す。
「……お前も大変なんだな」
キノンはため息をついた。
◇◇◇◇
さて、スラムに物資と支援金を届ける日がきた。伯爵さまとハノヴェさまとベルタ王女も一緒だ。ベルタ王女は心底面倒そうで嫌そうな顔をしている。まあしょうがない、差別が当たり前のところで生まれ育ったのだから。
スラムの人たちは平伏などの作法を知らず、ただぼーっと突っ立っている。ベルタ王女がスラムの人たちを睨んだ。
「作法も知らない貧民に施しをする必要などないのでは?」
「ベルタ、そういうことを言うものじゃない」
ハノヴェさまは冷静にベルタ王女を諭した。ベルタ王女はよくわからない顔だ。
キノンが先頭に出て、スラムの人たちに呼びかける。
「いまの世の中は、俺でも騎士になれるんだ。みんな、この金を元にして、やりたい仕事に就いてほしい。この金に頼っちゃだめだ」
スラムの人たちはざわざわとどよめいた。まあ当然の反応であろう。
「やりたい仕事なんかねーよ! そもそも仕事につけないんだから!」
キノンに罵声が飛ぶ。
「やりたくなくても、その日暮らししなくて済む仕事を探すんだ。助けられることにあぐらをかいちゃいけない。スラムはもう自由なんだ、市民権がないからなにもできないなんて思っちゃいけない」
キノンはそこまで言い、伯爵さまとハノヴェさまに頷いてみせた。
伯爵さまは食料や衣料品を手ずから配り始めた。スラムの人たちは怯えた顔をしていたが、伯爵さまに悪意がないことを確認し、お礼を言って配られたものを受けとりはじめた。
続いてハノヴェさまが小さな革袋に入ったお金を配り始めた。スラムの人たちは躊躇いなく袋を開けて、「金貨だ!」と声を上げた。
最後までベルタ王女ひとり、その様子を見ているだけだったが、その表情はスラムを毛嫌いしている顔ではなくなっていた。
問題はなにひとつ解決していないけれど、少しずつよい方向に傾きだしたことが分かる。案外ハノヴェさまが女であることも、ベルタ王女は受け入れてくれるのではないだろうか、と思っていると、金貨を受けとっている老人が泣き顔で、耳が遠いらしく大声で言った。
「ハルミア姫様はさきの奥方様によく似ておられる。さきの奥方様は慈愛の方だった。素晴らしいことです」
ベルタ王女の顔が疑念の表情に変わる。
「ハルミア姫というのはだれですか?」
騎士団一同と伯爵さまがぴしりと動けなくなった。ベルタ王女は怖い顔をしている。
「わたしのことだ。一緒に寝ていないし、もう勘づいているかと思っていたのだが」
「うそ……でしょう? ハノヴェ、あなたは女なのですか!?」
ハノヴェさまのはっきりとした返事に、ベルタ王女は口を酸欠の金魚みたいにぱくぱくさせた。そして驚きの一言を放った。
「そ、そんなくだらない理由で、抱いてくれなかったのですか!?」
その場にいた全員が驚愕した。王都はどうやらフリーセックスの都らしい。女同士でイチャイチャ(マイルドな表現)するのも全然アリ、というのがベルタ王女の口調から伝わってくる。
「いや……だって女同士じゃ子供は残せないし。ベルタだって嫌じゃないのか?」
「女同士で寝るのもなかなか楽しいものでしてよ?」
うわあ。
物資を受けとっていた貧しい母親然とした女性が、子供の目と耳をふさいだ。もう遅い。
どうやらベルタ王女は性豪というやつらしい。怖い。あたしはこの人相手に「ゆうべはおたのしみでしたね」することになるところだったのだ。恐ろしや。
物資やお金を配り終えて、伯爵さまご一行はお帰りになられることになった。あたしたち騎士団もお屋敷までお供する。
いろいろ心配していたのだが、馬車の中から聞こえるおしゃべりがとても楽しそうだ。ベルタ王女にはたくさんの女友達がいて、その女友達ともよろしくやっていた、という話らしい。ハノヴェさまは女友達がいるという境遇を羨ましく思っているようだ。
「ハノヴェ、いいえハルミア。わたくしのお友達になってはくださいませんか?」
「もちろんです。わたしはベルタが好きですよ」
メラァ、とあたしの心が嫉妬の炎を上げた。
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