22(終) 同担のキノン
メイド長にあとを任せて、お屋敷を出る。
思い出せばずいぶん長く、異世界というところで暮らしたなあ、と思う。
これからもずっと、異世界で暮らすのだ。それになんの疑問もない。現実なのであるから。
だと思うと、ハルミアさまとベルタさまは間違いなく推しなのだが、推し活の反対側には日常生活というものがあるわけで、あたしは日常生活を騎士団にすべて捧げる覚悟があるのだろうか、と思ってしまった。
そんなもんない。
高校を出たらとりあえず近くの医療機器工場でしばらく働いて結婚まで繋げよう、くらいの考えしかなかったあたしだ、なにかの仕事を熱心にやるという気持ちはそもそもなかった。
騎士団の事務所に戻り、ガチャガチャとヨロイを着る。すごく重たい。カブトをかぶる。カブトムシというのはこんなに重たい思いをしていたのか。ヘラクレスオオカブトの苦痛たるやいかばかりであったか。
「よーし! 配置につけ!」
暫定騎士団長改め新騎士団長がそう号令をかける。騎士たちはリハーサル通りの場所に並んだ。街はすでにものすごい賑わいだが、みなマスクをつけているしソーシャルディスタンスを徹底している。現実世界の日本よりよほど行儀がいい。
街でいちばん大きな聖堂の鐘が鳴った。
鼓笛隊の奏でる音楽と共に、白馬に引かせた豪華な馬車が走ってくる。
民はみな声を上げずに拍手で出迎えた。あたしはさっとうちわを取り出して馬車に向けた。ドレス姿のハルミアさまとベルタさまが、嬉しそうに手を振っている。
あたしが思い出したのは、現実世界の日本で行われた令和の代替わりのパレードであった。あのパレードもものすごかったっけなあ。いま見ているパレードは令和の代替わりのパレードほど豪華ではなかったが、パレードをするほうも、見るほうも、みなとても幸せそうだ。
パレードのあと、街はびっくりするほどきれいだった。みんなマスクをしていたからお酒や食べ物を手にしたりはしなかったのだろう。
ちょっとしょぼくれながら、騎士団の事務所に戻る。なにやら大きな包みが届いている。
「ハルミアさまが騎士団にお疲れ様、と、よい肉を届けてくださった」
新騎士団長が笑顔で言う。
おお、よい肉。それは嬉しい。革靴みたいな肉だとしても文句は言わないぞ、と思って見せてもらうと完璧にすき焼きの肉であった。
しかしこの世界の卵を生で食べる勇気はなかったので、ふつうに焼いて食べた。とてもおいしくて幸せな気分になった。
◇◇◇◇
ハルミアさまが伯爵となり、伯爵領はどんどん裕福になった。なんせ「希少な薬草」が雑草のごとく生えている土地だ、しかもその薬草はあの流行り病だけでなく肺の病全般に効くというのだからそりゃ儲かるわけである。
ある日、洗濯をしているとキノンがぼそりと言った。
「なあ、ジュン。ハルミアさまとベルタさまは、幸せなのかな」
「それは本人にしかわかんないんじゃないの?」
「それもそうか」
「で、キノンはこれからどうするわけ?」
「うーん。寝所の番をしたいわけじゃなくなっちまったからな」
「あたしも同じく、だよ」
推しのプライベートを覗き見しよう、あわよくば寝顔を見よう、という気持ちはとうに失せていた。
同担のキノンと、どんよりと黙り込む。
「あのさ。俺、もうちょっと貯金ができたら、郊外に農場を買おうと思ってるんだ」
「の、農場!? いつのまにそんな大金貯めたの!?」
「コツコツやって高望みしなければ案外簡単に貯まるもんだぞ?」
そうなのか。どうぶつの森で地道に化石を掘り出すのと同じ感覚なのだろうか。
「まあそれはともかく。農場を買えたら、騎士団をやめて、スラムで稼ぎ方のわからないやつを雇って、働くというのがどういうことか教えたいんだ。で、それにジュンも加担しないか、っていうお誘いなんだが」
「……面白そうじゃん」
「つきましてはジュンはどれくらい貯金があるんだ?」
「ない。買い食いしたり私服を買ったりしてるうちになくなっちゃった。パジャマも買ったし」
キノンは盛大なため息をついた。
「まあハナからアテにはしてない。むしろ俺が養う、くらいの気持ちだ」
「えっ、それもしかしてプロポーズ?」
「……だったら怒るか?」
「もうちょっとロマンチックな言い方しなさいよ」
◇◇◇◇
きょうも「向上心農場」はうららかな天気である。
きょうはハルミアさまとベルタさまが視察にいらっしゃることになっていた。
あたしは子供をおんぶしたまま、騎士だったころに作った応援うちわを眺めていた。
あのころも楽しかったがいまはもっと楽しい。「向上心農場」ではたくさんの人が、野菜を育てたり牛や豚の世話をしたりしている。
馬車がやってきた。ハルミアさまとベルタさまがいらっしゃったのだ。キノンは従業員を引き連れて、ずらりと並んだ。その横にあたしも並ぶ。
「よく栄えているようだな」
ハルミアさまは孤児院から引き取られたという、小さな子供の手を引いていた。ベルタさまも同じく、別の子供の手を引いている。
「おかげさまで。伯爵さま、奥さま、採れたてのトウモロコシを召し上がられませんか?」
「おお、それは素敵だ。どうするベルタ」
「ぜひいただきたいですわ」
キノンが声をかけると、採れたて茹でたてのトウモロコシが出てきた。ハルミアさまはそれにかじりついて、優しい笑顔になられた。
そうだよその笑顔が見たかったんだよ。その推しの笑顔があれば、異世界でも生きていけるんだよ……!(おわり)
憧れの御曹司が女だった件 金澤流都 @kanezya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます