5 ファミレスないんですか

 腰砕けになったあたしを立ち上がらせるキノン。だがもうなにもしたくなかった。道ならぬ恋はあたしのほうだったのだ。

 この世界をさんざん「ボーイズがラブなやつ」だと言ってきたが、あたしがガチの「ガールズがラブなやつ」になってしまったではないか。

 そうなのだ、あたしは現実感がないとかでなく、「仮にハノヴェさまが女だとしてもそれでも好きだ」と思っているのだ。なんということだ。


「大丈夫か? ショックなのはわかるが」


「いや……自分を自分で受け入れられないだけ」


「お前言っただろ、元の世界には差別はないって」


「さすがにないわけじゃないよ」


「そうか。だとしても、元の世界だとこっちの世界で言う道ならぬ恋が許されるんだろ? 大丈夫だ。自信を持て。大丈夫だから」


 なぜかキノンに励まされている。

 でもそれはそうだなと思った。女の人ふたりでウェディングドレスを着てネズミーランドで結婚式を挙げる写真を観たことがある。

 隣の席の田島くんだってなんかロボットアニメ? のスレッタ? とミオリネ? の結婚を喜んでいた。元の世界はそれくらい自由だった。だったらきっと大丈夫なのだ。

 というかキノン、頭の回転が素晴らしく速いな?


「どこかで作戦会議しようよ。いさおし? とやらを挙げないことには始まらないよ」


「俺は金も市民権も持ってないから酒場には入れないぞ?」


「え、ファミレスないんですか」


「ふぁみ……れす?」


 ファミレスもないらしい。

 それは困るぞ……バレーボール部のメンバーで、顧問の先生の誕生日をサプライズで祝うなどの悪だくみをするときはいつもファミレスだったのに。

 まあ異世界に配膳ロボいたら怖いもんな。とにかく作戦会議できそうな場所を探す。

 しかしこの世界においては「市民権」というものがとても大事らしく、酒場も食堂も、キノンが市民権を持っていないというだけで入れない。ちなみにメイド長が言うには、わたしには市民権があるらしい。

 おのれ市民権め。


「なんでキノンは市民権がないの?」


「そりゃスラムの人間だからだ」


「なんでスラムの人間なの?」


「スラムで生まれたからだ」


「なんでスラムで生まれたの?」


「母さんがスラムにいたからだ。とにかく俺の過去を掘り下げても市民権は手に入らない。えーと……公園にも入れんしな」


 なんと市民権がないと公園にも入れないようだ。小汚い放し飼いの犬が闊歩しているというのにだ。それでは作戦会議のできる場所がどこにもない。


「……なにをするより、キノンの市民権を手に入れるのが最優先じゃね?」


「ジュンさま、しゃべり方がはしたないですよ!」


「失礼しましたわオホホホ」


 メイド長に叱られて上品に答えようとしたら頭を阿佐ヶ谷姉妹がよぎった結果である。キノンは気持ち悪いものを見る顔であたしを見ている。


「とにかくキノンの市民権が先だよ。どうすれば市民権って手に入るの?」


「偉い人に袖の下を渡す」


「袖の下っていうと『山吹色のお菓子』ってやつ?」


「なんだそれ」


 まああたしも小さいころおばあちゃんが観ていた時代劇で知った言葉なので賄賂という意味しか知らないのだが。

 キノンはポケットから小銭を取り出し、目を眇めて大事そうに見つめた。歪んですり減った銅貨だ。この間あたしを伯爵のお屋敷に連れていってもらったお金の残りらしい。


「そんなにいっぱいなにに使ったの」


「髪を切ってちゃんとした服と靴を買って、残りはスラムのみんなに分けてやった」


 キノン、あんた優しいひとだな……。


「スラムのみんなに分けないで市民権買えばよかったじゃん」


「市民権を買うには足りなかったんだよ。分かち合いこそがスラムの知恵だ」


 とりあえずキノンとは明日の昼、駅馬車の停まる駅の前にある、犬神像の前で落ち合う約束をして、あたしはお屋敷に戻ることにした。

 戻る途中の商店街で、時代劇の瓦版売りみたいな人が騒ぎはじめた。なにごとだ。


「さあさみなさん、ニュースだよ! スラムで肺病が大流行! しかも市民権があってもうつるときた!」


 いや病気に市民権関係ないでしょ、と思ったが、歴史の授業にちょろっと出てきた差別のことを思い出す。ここはそういうのがまかり通る文明程度なのであろう。

 街の人たちは瓦版のような新聞を次々買い、「やっぱりスラムは焼き払わないと」とか「あいつらは病気の塊だからな」とか言っている。

 ムカつきながらも話を聞く。瓦版売りによるとその病気は咳や鼻水やくしゃみの症状から始まって、高熱が出て肺病になるのだという。

 まるっきし新型コロナであった。

 思えば新型コロナだって流行りはじめは「あの国がヤバいらしい」とか「コロナジ●ップ」とか言っていたわけで、病気の流行に差別がついて回るのは仕方のないことなのかもしれないが、それは間違っている。ちゃんと対策すればある程度うつるのは防げるのだ。

 メイド長に、もといた世界でも似たような病気が大流行した、と説明すると、メイド長はうむうむと頷いた。


「あちらの世界はたいそう進んでいるようですが、その病気は特効薬が出来たのですか?」


「いえ。人間がマスクをして手洗いうがいを徹底して防ぎました」


「マスクと手洗いうがいですか。そんなことで防げるのですか?」


「うーん。マスクしてる人の多い国は感染率が低かったって聞きましたけど」


 屋敷に戻ってきたら伯爵が右往左往していた。どうやら流行り病の噂が耳に入ったらしい。


「やはり転生者がもたらした災いなのか……?」


 なにやらあたしのせいにされそうになっているぞ。なんとかしなくては。

 というかこれを突破できたら、キノンの市民権だって見えてくるような気もする。

 またしても「なんとかなれーッ!」の気持ちが湧いてきたのであった。

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