第5話 思い込みではない
僕の魂消る悲鳴は相当な迷惑をかけたらしく、その話を聞いた両親はぺこぺこ頭を下げていたし、やっぱり子供を成人病棟に入院させていたのがまずかったんじゃないかという話にまでなったんだけど、
「大丈夫だ、脳外科病棟には叫ぶ奴が多いからな、瑣末なことだ」
と、担当看護師である君島さんは僕に対してフォローするように言い出した。
「叫ぶ奴が多いって」
確かに、夜中に、
「おおーい!」
とか声をあげている人もいるし、廊下まで轟くほどの大いびきをかいている患者さんとかも居たんだけど、僕の場合は子供の叫びということで、これ以上ストレスを溜めるくらいなら退院を早めるか、みたいな話になっているみたい。
「ところで幽霊を見たと言ってはいたが、どんなものを見たんだ?」
君島さんの問いに僕は、見たことのないナース服を着た髪の長い女性だということを言ったんだけど、
「実はな、交通事故なんかで頭に怪我をしたような人間の中には、幽霊が見えるようなったと言い出す人間が意外なほどに多いんだ」
と、突然、君島さんはそんなことを言い出した。
「臨死体験をした人間は、川を渡りそうになったとか、川の向こう側に死んだ親族が居たとか、川をイメージするようなことを言い出すことが多いのだが」
脳みそというものは一個の塊のように見えるんだけど、幾つかの部位に分かれているんだって。その脳みそなんだけど、側頭葉っていう脳みその外側の下の方にある部位に直接電気刺激を与えると、臨死体験で経験した川のイメージを体験することが出来るらしい。
人は死を前にすると想像も出来ないほどの恐怖を感じるらしいんだけど、その恐怖心を和らげるために、側頭葉という場所で電気刺激を発してイメージを作り出す。死ぬのは怖くないんだぞって幻想を見せるわけなんだけど、それだけ脳みそって不思議なものだし、凄いんだぞという話を君島さんは言い出した。
「まだ全てが解明されているわけではない脳に何かしらの傷が出来ていたとしたら、その傷によって出て来た信号が原因となって、今までは見えなかったものを脳内で勝手に作り出すなんてことを言い出す研究者もいるわけだ」
ヨーロッパの熱心な信者さんの中には『聖痕』というものが現れる人が居るという。それはイエスキリストが亡くなる際につけられた薔薇の冠の跡だとか、磔にされる際に手に釘を打ち付けられた跡だとか、死に関わるような跡が痣のような形で現れることがあるんだけど、
「それも人間の思い込みによって出来たものなんだ」
と、君島さんが言い出した。
「妊娠しているのではないかという思い込みだけで腹が大きく膨れることもあるのだから、思い込みの力というものは凄いんだ。あそこに人が居ると思い込むだけでそう見えたり、恐怖心から三つの穴を見ただけで人の顔のように脳が判断したり」
「つまりは僕の見たものは思い込みだと言いたいんですか?」
僕の問いに君島さんはニヤリと笑うと言い出した。
「常識に当てはめようとすれば何にだって当てはめられる、無理矢理にでも当てはめようとするのが人のサガなんだよ。脳みその異常で話を終えられなければ、今度は精神の異常に当てはめようとする。だからこそ、幽霊が見えるとか、そんなバカみたいな話はやるだけ無駄なのさ」
だから大っぴらに言っても碌なことはないんだぞ、と、君島さんは言いたいみたいなんだけど、
「だけどな、そんな心が病みかけた坊ちゃんの心のケアをするのが担当看護師の責任であるし、担当医師の責任でもあるんだ」
うんうん、と、頷きながら君島さんは言い出した。
「君の担当医師は礒部先生であるし、君に対してほんの少しの時間でも良いからカウンセリングしてもらえないか聞いてみよう」
「カウンセリングですか?」
「やりようによっては、坊ちゃんは礒部先生を自分の思うように動かせる」
「はい?」
「君の健闘を祈る」
意味不明なことを格好よく言った君島さんは颯爽とナースステーションへと帰って行ってしまった。
僕の退院は三日後になったんだけど、
「明日は先生のお話を聞いて、明後日には退院ね。仕事は早退しなくちゃならないし、半休貰わなくちゃならないし、本当に・・本当に!大変だわ!」
そう言いながら病室までやって来たお母さんは、教材の山をドサーッとテーブルの上に置きながら言い出した。
「時間があったから塾に顔を出して来たんだけど、例え今は塾に通うことが出来なくても、入学金を払っているから席はそのまま確保しておいてくれるんですって。それで、塾に通えない間の勉強の遅れを取り戻すためにって、新年度分までの教材を用意してくれたの。きちんと時間があるうちに目を通しておいて頂戴ね!」
新年度分までの?何?どういうこと?
「僕、きちんと入院中に漢字ドリルも算数ドリルもやっているけど?」
「それは学校の宿題でしょう!」
腰に手を当てたお母さんは仁王立ちになりながら言い出した。
「小学校のお勉強だけじゃ、全然十分じゃないの。塾の分もきちんとお勉強した上で、ようやっとまともな勉強をしたことになるのよ」
僕は目の前に置かれた教材をパラパラめくりながら言い出した。
「こんなところ、まだ学校でも習ってないよ!」
「習っていないところを先に勉強する、それを予習と言うのよ」
「三年生で習った漢字問題とかやる必要ある?」
「それを復習と言うのよ」
お母さんは大きなため息を吐き出しながら言い出した。
「事故で入院している間に、学校はお休みしているし、塾だってお休みしているの。本当だったら夏期講習だって受けさせたかったのに、お父さんはそこまで無理して勉強させる必要はないとか言い出して」
必要ない!必要ない!夏期講習って夏休みの間に集中して七日とか十日とか、追加で塾に通って勉強するって奴でしょう?
「夏期講習は退院して一週間後から始まるし、先生もこちらの方はまだ受付しているので、是非参加くださいって言っているし、担当のお医者さんに夏期講習に通って良いっていうお墨付きを貰わなくちゃね」
嘘でしょう?嘘でしょう?嘘でしょう?ただでさえ塾に行くのは嫌だって言うのに、夏期講習とか絶対に冗談じゃないって!
「智充くん、先生がお時間出来たんでカウンセリングしませんかって言っているんですけど、どうかな?大丈夫かな?」
今日の担当となる看護師さんがカーテンを開けながら声をかけて来てくれたんだけど、お母さんが一緒に居たとは思わなかったみたいで、ちょっと驚いたような顔をしていた。
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塾と学校の両立って本当に大変ですよね。側から見ていると、そこまで勉強に時間を使うのか?大人以上に働いて(勉強して)いないか?とも思います。塾に通っている子供よ、本当にお疲れ様です。
ちなみに側頭葉の話は本当で、脳みそって神秘に満ちていますよね。
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